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紫の夜語り〜万葉集秘話〜

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たびたび一族を連れて飛鳥へ行きました。
 遠智媛もまた二人の姫君の手を引いて、蘇我氏の威信をかけて造営中の境内を
見て歩いたものでした。しかし滞在先は夫君・中大兄皇子の屋敷にではなく、
倉山田家の屋敷でした。皇子の屋敷には、造媛が暮らしていたからです。
 妻が夫が同じ家に住むのは、身分のある正妻だけに許された特権でございます。
 おりしも石川麻呂一族が山田寺を視察していた頃、造媛は皇子の屋敷で
無事男御子を出産なさいました。 

 名は「健王《たけるのみこ》」
 中大兄皇子の初めての男子。
 母親は、右大臣・石川麻呂の長女、造媛。
 未来の皇太子《ひつぎのみこ》と申し上げても過言ではございませぬ。

 境内でその話を聞かされた遠智媛は、挑発的に背筋を伸ばし、皇子の屋敷の
方角をキッとにらみ据えました。
 倉山田家に初の皇子が誕生したのに、一族に暗雲がさすとは、あまりに皮肉
な話ではありませんか。
 これが遠智媛の出産であれば、石川麻呂も狂喜して踊り出したでしょうに、
今は周囲の祝いの言葉を虚ろに聞き流しているだけでした。
 形式上の祝辞と貢ぎ物を送った後、倉山田家は口を閉ざしました。

 「健や、健」
 中大兄皇子が馴れぬ手つきで健王を抱き上げ揺すると、赤子は居心地が悪く
なってむずがり始めました。
 まだ生後半年しか経ていないというのに、手足もしっかりしていて、華奢な
造媛の腕の中では対照的に大きく見えるのでした。
 皇子は「男児まで生まれた以上、飛鳥の僻地に置いておくわけにはいかない」
と、難波に来るよう強く言うのですが、造媛はどうしても首を縦に振ろうとは
しませんでした。
「石川麻呂を恐れる必要などない。形式的とはいえ、この子は孫ではないか。
遠智媛への遠慮もいらぬ。あれはもう過去の女だ」
 造媛は穏やかに言葉をさえぎり、
「私は石川麻呂様を怨んでいるわけでもなければ、遠智媛を妬んでいるつもりも
ありません。この子は倉山田家全員に愛され、守られてもらいたいと思います。
 私は自分のわがままで、住み慣れた飛鳥に留まっていたいのです。健がもう少し
大きくなるまで待っていただけませんか」
 皇子は澄んだ瞳に見返され、言い返す言葉はありませんでした。

 胸の中に芽生え石川麻呂への敵意。
 中大兄皇子も、はじめはそんな自分の気持ちを持てあましていたのかもしれ
ませぬ。
 策略とはいっても、遠智媛《おちひめ》にわずかな愛情がなかったわけでは
ありませんから、石川麻呂に向ける目にも敬意や労りの情があったことでしょう。
 けれど造媛《みやつこひめ》と出会い、健王が生まれてみると、皇子は
はじめて家庭の温かさを身に染みてお感じになったのです。
 今まで皇子の妻になった女性は、人恋しさに一夜の関係をもった女官や、
政略結婚で迎えた豪族の娘ばかり。
 自ら選び、愛したのは造媛一人でした。
 まことに愛情は、時として人を恐ろしく身勝手にするものでございます。

 皇子は、たとえ造媛をただ1人の妻と決めていても、あまり重みがないことを
肌で感じておりました。
 妃とは実家の後ろ盾があってこその存在。
 人の目には、愛もまた一時の感情に過ぎず、どのような深い寵愛を受ける
妃といえども確固たる基盤がない限り、いずれ廃れるものと映るのでした。
 石川麻呂がいる限り、造媛には帰る実家もなく、健王ともども皇子ひとりが
頼りかと思うと、哀れさに胸が痛み、焼かれる思いでございました。
(石川麻呂さえいなければ…)
と、思い詰めるのも無理からぬ話でありましょう。

 大化五年のある日、皇子は蘇我日向《ひむか》殿を呼びつけて、
「石川麻呂はさぞかし私を怨んでおろう」
と、ご下問なさいました。
 日向は微かな戸惑いをおぼえながら、
「いいえ、怨むどころか、造媛への扱いを悔いております」
「悔いて、どうなるというのだ」
「さあ、私にも兄の意図はわかりかねますが、周囲の者に『悔いている、造媛に
お詫びしたい』と、申しているそうでございます」
「私を恐れているのだな」
「倉山田家の者たちは、皆、皇子のお気持ちを推しかねて、当惑しているだけ
ではないかと存じます」
 皇子は歪んだ笑みを浮かべて、
「『窮鼠《きゅうそ》猫を噛む』という言葉もある。石川麻呂に『気にするな』
と言ってやれ」
と、吐き捨てるように仰せになったのでした。

 大化五年三月、突然石川麻呂は、皇子に対する謀反の罪を問われました。
 「帝の前で申し開きをさせて下さい!」
と叫ぶ石川麻呂に対して、孝徳天皇は謁見を拒否し、逮捕するよう詔が下され
ました。帝の使者との押し問答の果てに、石川麻呂は飛鳥への逃亡を決意します。
 故郷、飛鳥は蘇我氏の本拠地であり、長男の興志《こし》も山田寺建立
のために滞在しておりました。
 石川麻呂が一族を連れて逃げ延びようとする中、遠智媛だけは難波京に残り
父を見送ろうとしておりました。
「お父様、これからどうなさるおつもりですか」
「飛鳥には息子たちがいるから、とりあえず合流する…帝も直接お会いして
お話すれば濡れ衣だとわかって下さるはずだ…」
 石川麻呂は、自分でも当てにならないと知りながら、一縷の望みにかけて
そう呟きました。足早に去ろうとしている父の背中に向かって、遠智媛は
たった一言、
「造媛がお父様を密告したのでしょうか」
 日頃無口な娘の思い詰めた口調に、石川麻呂は思わず足を止め、
「わからない。だが、私はそう考えたくない」 
と、足下に視線を落としました。
 この後、石川麻呂は山田寺に立てこもり、家族を道連れにして非業の死を遂げました。

 公式の記録によりますれば、石川麻呂は山田寺の金堂で首をつって自殺した
そうです。しかし同じ記録の別の箇所では、「二田塩《にったしお》という
兵士が大臣(石川麻呂)の首を斬って、その話を聞いた遠智媛がひどく衝撃
を受けた」と書き残しています。
 「首級を帝にお見せするために、遺体から切り落とした」と解釈もできますが、
それならわざわざ「斬らせた」と書くでしょうか。
 また、父が自殺をしたのなら、娘の遠智媛が「父が塩に斬られた」と衝撃を
受けるでしょうか。斬殺されたから、悲しんだのではないでしょうか。
 私は石川麻呂は自殺ではなく、兵士の手で殺されたのだ、と確信しております。

 驚いたことに、事件からしばらくして、皇子自身が「石川麻呂は無実だった。
悪いことをしてしまった。悔いている」と大げさに嘆いて見せたのです。
 もちろん本心では、悔いてなどはおりません。
 しかし、このままでいれば、造媛まで「謀反人の娘」という汚名を着ること
になります。石川麻呂を抹殺し、なおかつ造媛の名誉を守るためには、口先
だけでも「無実だった」と、名誉回復する必要があったのです。
 その後、皇子の名で没収していた石川麻呂の財産をすべて「遺族に返却する」
と称して、造媛母子に与えてしまいました。
 遠智媛には今の屋敷に住み続けることを許されただけで、父の遺産は何1つ
受け取ることはありませんでした。

 皇子の策略を察して、遠智媛は自分の部屋に籠もったまま、いっそう深く
沈黙の海の底に沈みました。