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「月傾く淡海」 第七章 倭文と香々瀬

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「大丈夫。初めに戻るだけだから。……恐くないよ、荒魂」
 淡々と告げると、一言主はより強く倭文の血流を押した。
(うわっ……!)
 激しい息苦しさを感じ、倭文は胸を押さえる。頭の中が鼓動の音でいっぱいになり、それが一言主の心臓と同調していくのが判った。
「……ここのたり。ふるべゆらゆら」
 一言主が呪禁を揚言(ことあげ)ると、祀厳津の全身が光筋に捕えられた。
 一言主は倭文の首から指を離す。そして彼女の手をとると、自分の持った長矛を握らせた。
「一言主、何する気……!?」
 倭文は狼狽する。一言主は答えず、矛を握った倭文の手の上に自分の両手添えると、逃がさぬようしっかりと掴んだ。
「やめてよ、まさか……!」
 上げた悲鳴の続きは、言葉にならなかった。
 一言主は、倭文の手で祀厳津を--香々瀬を刺し殺させようとしているのだ。
「やめてよ、こんなこと、したくない……っ」
 倭文は必死に抗う。しかし、無駄だった。
 彼女の体は己の意志に反し、一言主に引き摺られるようにして動く。
 矛が祀厳津の体に触れた。倭文は息を呑む。
 その時……倭文を見据えて、『香々瀬』は言った。
「--弟殺し」
「……っ……」
 倭文が眼を背けた時、一言主が最後の力を込めた。矛は、まっすぐに祀厳津の胸を貫く。
 倭文は思わず矛から手を離した。
 一言主は貫いた祀厳津の体から矛を抜き取り、それを大儀そうに己の肩の上に担ぎあげた。
 一言主は、すうっと、大きく息を吸い込む。
 安堵したように眼を閉じると、彼はとても気持ち良さそうに綺麗な微笑みを浮かべた。
 満足感に浸る一言主の前で、力尽きた祀厳津の抜け殻が、床に崩れ落ちる。血に染まったその抜け殻は、ただ人形のようにそこに転がっていた。
 己の手で弟を刺してしまった倭文は、あまりのことに頭の中が真っ白になった。全身から全ての力が抜け、そのまま板床の上にへたりこむ。
 焦点の定まらぬ瞳で、ただ呆然とする倭文の耳に、弱々しい少年の声が聞こえた。
「……ねえさま……」
 倭文はハッとする。
 彼女は慌てて、祀厳津の抜け殻に顔を近づけた。
「香々瀬……お前、香々瀬ね!?」
 祈るような思いで倭文は呼びかけた。
 虫の息で薄く目を開けた少年の顔からは、あの陰惨な隈が消えており……そこにいたのは、確かに弟の香々瀬だった。
「……ぼく……ねえさまみたいになって……ねえさまを、追い越したかったんだ……だって、僕のこと、認めてほしかったから……」
 苦しそうに喘ぎながら、香々瀬は微かに笑った。
「ああ、馬鹿ね、お前……そんなことしなくたって……手間のかかるほうが……面倒だけど、かわいかったのよ……」
 倭文は涙を落としながら、香々瀬の頭をなでた。
 こんなふうにしてやるのは、生まれて初めてかもしれない、と思った。
 もっと可愛がってやればよかった。甘えさせてやればよかった。
 それはただ、簡単なことだったのに--。
 後悔にくれる倭文に髪を撫でられながら、香々瀬は静かに冷たくなっていった。
 香々瀬に依り憑いていた祀厳津は消えた。--そして、香々瀬自身も死んでしまった。
 倭文は、ただ一人残っていた血縁を失くしてしまったのだ。
 香々瀬の心が弱かったから、祀厳津につけこまれる隙を与えたのだろうか。
 もしあの子が揺るぎのない意志と自信を持っていたら、こんなことにはならなかったのだろうか。
 それとも……全ては逃れられない葛城の運命だったのか。
 今となっては、もう確かめる術もないけれど……。
「……倭文。俺のこと、恨む?」
 座り込んで嗚咽する倭文の後ろで、立ち尽くしたまま一言主は聞いた。
 彼の表情に後悔は見えない。しかし、微かに寂しそうだった。
「……わからない。今は、分からない……でも、多分……」
 手の甲で涙を拭きながら倭文は呟いた。
「多分、恨まない。憎んだりしない、きっと……」
 倭文は背を向けたまま一言主に告げた。
「そうだね。倭文は、激しい想いを持たない。いつも、心の均衡の中に在ることの出来る人だ。深い恨みも、強い執着も、始めから倭文の中にはない。……それを、清(さや)けき心というんだよ」
「……冷めてるだけよ。何に想いを傾けることも出来ない、つまんない人間なんだわ」
「まあ、そういう言い方も出来るけど。でもね、だから俺は倭文がいい、と思ったんだ」
「……いい?」
 倭文は振り返った。
「偏らない心の持ち主。……だから、俺たちを、まるごと受け入れられる」
 そう告げると、一言主は、長い間その素顔を隠し続けてきた己の仮面に手をかけた。
 紐を引き、結び目を解く。
 右手で仮面を持つと、彼は初めてそれを取り外した。
「円……」
 晒された一言主の素顔を見つめながら、倭文は夢で見た大臣の名を呟いた。
「--どう? 思ってたより、美しい?」
 額にかかる銀髪を払いながら、一言主は尋ねる。
 倭文は思わず笑ってしまった。現れた彼の面は、少し若いが夢で見た通り--つまり、倭文や香々瀬とよく似た容貌だったのだ。
「つまり、私たち、みんなそっくりってわけなのね」
「しょうがないさ。葛城の純血は、みんなこの顔なんだから」
 あきらめたように呟くと、一言主は取り外した仮面を倭文に向かって差し出した。
「……葛城の敗北に立ち会った長。倭文、お前もまた、俺達と同じだよ。--だから、次は、倭文だ」
「私が……次の……葛城一言主……?」
 一言主を見上げながら、倭文は穏やかな口調で呟く。それは、質問ではなく、確認の言葉だった。
「倭文なら、和魂と荒魂の均衡を崩さずに保って行けるよ。葛城は滅びない。形を変えても、生き残る。それが宿業だから……」
 一言主は、倭文の掌に仮面を乗せる。
 倭文とよく似たその白い顔で朗らかに微笑むと……そのまま、彼は、溶けるようにその場から消えていった。



 --命を弄ばれた真手王の仇を討つために、大王として立つ。
 そう決意した深海は、正式に玉璽を受けて即位式を行ない、名を「男大弩」と改めて二十六代目の大王となった。
 淡海から現れた「男大弩の大王」の名が広まれば、それを認めぬ勢力も黙ってはいないだろう。彼らの中から、深海たちに対抗するために、正統なる「真の大王」を名乗るものが現れてくるはずだ。
 その中には、恐らく真手王を滅ぼした者が潜んでいる。それを見つけだし、殲滅すること--それが、深海の真の目的だった。
 物部と息長の軍を引き連れて大和入りを目指し、山背筒城から弟国へと移動を続ける「男大弩の大王」のもとは、和邇氏・茨田氏など、畿内の主だった豪族たちが次々と馳せ参じていた。彼らは「男大弩の大王」への帰順を示し、一様に協力を誓った。
 移動を続ける内に、「男大弩の大王」の一行は大軍となっていた。畿内の豪族たちが順々に寝返る中で、最後に残っためぼしい対抗者といえば、列城宮に陣取った大伴軍と、彼らが担ぐ頭目のみとなっていた。
 深海が淡海を立った頃、列城宮の盟主は「橘王」という男だった。しかし、深海たちが行軍を進めている間に、列城宮でも内部抗争があったのだろう。何時の間にか、かの宮の主は「葛城の大王」を名乗る者になっていた。