玉ねぎ日和
「なんで、コンソメスープなの」
私が剥いた玉ねぎを次々に鍋に放り込んでいくお母さんを見て、思わず非難の声をあげた。
「あら、千波、コンソメスープ、嫌いじゃないでしょう?」
「カツ丼にしてって言ったじゃん」体重をやたら気にする女子中学生らしからぬ私のこの発言には、それなりにわけがある。
翌日は部活の試合なのだ。しかも、引退をかけた大事な試合。
縁起かつぎを一笑に付すことができるほど、私には余裕がない。溺れる者は藁をもつかむというとおり、「カツ」と「勝つ」をかけないと落ち着かないくらい、私は緊張しているのだ。
「いいじゃない、コンソメスープ。玉ねぎのパワーがたっぷりよ」
また、「玉ねぎ」だ。お母さんは、なんでそんなにただの野菜を盲信できるんだろう。同音異句の単語に平穏を求めようとする私も傍から見ればなんとやらのムジナというやつだろうけど、たしかな根拠があるぶん、正統性がある、気がする。
私のそんな考えが顔に出ていたのか、お母さんは言う。
「あのね、千波。玉ねぎは、全部皮なのよ」
「それは前にも聞いたけど」
「そうだったっけ?まぁ、とにかく、これだってわかる実がないのよ。皮の重なりが、このおいしい玉ねぎを形成してるってわけ」
「だから、それは前にも聞いたってば」中学生になっても、お母さんの言いたいことはよくわからない。
「それと同じ。千波の実力も、日々の積み重ねでしょ?ある日突然、強くなったりするわけじゃない」
お母さんは、そう言いながらもコンソメスープをつくる手順をゆるめない。
「決定的でわかりやすいきっかけなんか、そうそうあるもんじゃないわ。ただ、地道で地味な努力の繰り返し」
だんだん、コンソメスープのいいにおいがあたりにたちこめてくる。そのにおいに顔をほころばせながら、お母さんは続ける。
「でも、そんな皮の集まりが、コンソメスープの深みを生み出すのよ」
お母さんは、私に向き直る。
「大丈夫。千波は今まで、やれることはやってきたはずよ。それを信じなさい」
お母さんは、勘で天気を当てようとするみたいに、根拠がないくせに自信満々に言いきった。
玉ねぎが皮しかないからといって、それが私にとってなんだと言うのだろう。お母さんの理屈は無茶苦茶だ。
コンソメスープを飲んだところで、玉ねぎのパワーをいくら取り込んだって、それで私が自分を信じるという前向きな結論にたどり着けるなんて、本気で思っているんだろうか。
現実的な反論はいくらでも思いついたけど、私はお母さんの言葉に頷いていた。
そして、夕食が終わるころには、押しつぶされそうなプレッシャーを感じなくなっていた。
今さら緊張したところでなんにもならないという気持ちがあったからかもしれないし、おなかがふくれたことで気持ちに余裕ができたからかもしれない。
お母さんが作った、玉ねぎたっぷりの温かいスープがそうさせてくれた。
根拠なんてないけど、それは確信している。