ファントム・ローズ
うちの学校ではテストが終わるたびに成績の良い上位一〇名の名前が廊下に張り出される。だから学年のみんなは鳴海愛が頭がいいことを知っていたし、先生ならもちろん知らないハズがない。それに彼女は授業はよく欠席するけどギリギリ進級できるよう考えて欠席してるようだった。だから、結局先生たちはあまり強く出ることができないみたいだった。
鳴海愛が自分の下駄箱から靴を取り出している所に僕は声をかけた。
「先生たちが見張ってるけど、どうやって外に出る?」
「この学校に熱血教師なんていないから大丈夫だ」
「はぁ? どういうこと?」
「あいつらはどうせ校門に立ってるだけで、他の所なんて見回りもしない。柵を越えて外に出ているよみんな」
そう言って歩きだした鳴海愛のあとを僕は付いて行った。
僕らは適当な所から、校舎の外に出て、そして柵を登った。
鳴海は意とも簡単に柵を登って外に出た。それを見た僕は慣れているんだな、と思った。
今になって鳴海愛への興味が湧いてくる。他の生徒たちを逸脱する彼女は僕らとは根本的に違う。彼女が何をしてようと僕は驚かないと思う。
学校の外に出た僕らは迷うことなく一直線にアスカの家に向かった。
アスカの住むマンションは学校から歩いて数分の距離にある九階建てのマンションで、アスカの部屋は角部屋の901号室だった。
アスカの家の前まで来た僕はインターフォンを押した。――しかし、少し待っても何の反応もない。それが僕の不安を駆り立てる。
そして、鳴海がインターフォンを押した。でも、やっぱり反応がない。
鳴海はもう一度インターフォンを押した。すると今度はすぐにインターフォンから声が返って来た。
《どちら様でしょうか?》
アスカの母親の声だった。だけど、その声はすごく疲れているというか、何かに怯えているように聴こえた。
「アスカさんと同じクラスの鳴海と申します。アスカさんはご在宅でしょうか?」
玄関のドアが開きアスカの母親が現われた。
「アスカに何の用でしょうか?」
そう言うアスカの母親の顔は蒼ざめているように見えた。
鳴海は玄関に足を一歩踏み入れてから返事を返した。
「今日から、一週間の間学校の授業が午前中で終わるという連絡と、アスカさんが学校を?無断?で欠席したので担任の先生に様子を見てくるように頼まれまして」
今の鳴海は完璧な?優等生さん?だった。嘘が嘘と全く感じられない。
「二人ともわざわざありがとうね。アスカ、昨日の夜から高熱を出しちゃって、ずっと看病していて学校に連絡するの忘れてたわ」
鋭い眼差しをアスカの母親に向けた鳴海が突然とんでもないことを口走った。
「本当ですか?」
その言葉にアスカの母親は突然恐怖の形相をして鳴海のことをドアの外に押し出そうとした。だが、鳴海は逆にアスカの母親を押し倒して部屋の中に入った。
「アスカの部屋はどこだ?」
「そっちだ!」
僕はアスカの部屋を教えつつ鳴海の後を追った。
鳴海が部屋のドアの前で足を止めた。そして、ドアを力いっぱい激しく開けた。
部屋の奥にいたアスカがカーペットにへたり込みながら、僕らを指差して嗤っている。その光景を見た僕は背筋が凍った。僕はアスカに人間の狂気を見てしまった。
「りょうちゃん、まなちゃん、こんにちわぁ〜」
アスカは幼児のようなしゃべり方をして、手を伸ばしながら床に平伏すように頭を下げて、勢いよく髪の毛を振り乱しながら頭を上げたあとに壊れた嗤いを発した。
この場にアスカの母親が目から涙をぼろぼろと落としながら、取り乱したようすで現われた
「今日の朝からずっとこうで、お父さんは明日にはやっと帰って来れるって言ってたけど、私どうしたらいいかわからなくて」
そう言ってアスカの母親は床にへたり込んだ。
僕はアスカに駆け寄って、肩を思いっきり掴み揺さぶった。
「アスカ、どうしたんだ!?」
アスカは僕と目を合わせようとしない。いや、違う僕のことなんてお構いなしで頭を揺らしながら天上を仰いでいた。
そして、アスカは僕の瞳を愛くるしい瞳で見つめ、突然僕を押し倒して身体を覆い被せ、僕の唇と自分の唇を重ね合わせて舌を口にねじ込んで来た。
僕は突然のことに驚き、アスカの身体を突き飛ばした。
アスカは僕のことを哀しそうな眼で見た。
「りょうちゃんはアスカのこと、きらいなの?」
そう言って、アスカはどこからか取り出したカッターナイフで自分の手首を切った。
その光景を見たアスカの母親は叫び、僕は言葉を失った。
この場で唯一冷静でいたのは鳴海愛だった。
「大丈夫だ、人間は普通に手首を切ったくらいじゃ死ねない」
鳴海は続けてアスカの母親に向かって言った。
「警察と病院に連絡します」
鳴海はアスカの母親の返事を聞かずにすぐに自分のケータイを取り出し、警察と病院に迅速に電話をかけた。
そして、呆然としている僕を邪魔だと言わんばかりに押し退けて、アスカの腕の怪我の応急手当をしようとしたのだが、アスカは鳴海の身体を思いっきり押し倒した。
鳴海が予想だにしなかった攻撃を受けて床に尻もちを付いた隙を狙ってアスカは開いていた窓から身を乗り出し、大声を出して嗤いながら、空に羽ばたいた ――。
羽ばたく寸前、アスカは僕のことをちらっと見て哀しそうな笑みを浮かべていた。
時間が止まり、僕の耳から音が消えた。
衝撃のあまり声すら出せなかった、現実かどうかすら認識できない、幻の中で起きたことのようだ。
鳴海はすぐに窓の外を見下げて、厳しい表情をするとこうはっきり言った。
「助かる見込みは?絶対にない?」
その言葉は僕の耳には届かなかった。
――数分後、ものすごいサイレンの音を立てながら警察と救急隊員が駆けつけて、事故現場は立ち入り禁止となり、事故と関わった僕ら三人は警察の取り調べを受けた。
僕とアスカの母親は何かを話せる状態じゃなかった。だから鳴海が警察と話をして、僕はただ頷いているだけだった。そのため、ちゃんとした取り調べは後日改めて行われることとなった。
しばらくして僕の母親が僕の身柄を引き取りに来た。鳴海の両親は二人とも海外にいて、彼女は一人暮らしをしているために引き取りに来る人がいないらしい。
僕は母親に付き添われながら、幻の中を歩いているようだった。
でも、マンションを出た途端に僕は現実の世界に還った。そして、母親の静止を振り切って無我夢中で走り出した。
とにかく、全てから逃げたかった。
恐ろしいことが起きた。
周りに建物がどんどん後ろに流れて行き、自分がどこにいるのかもわからない。
アスカは自分の前で死んだというのに僕は何もできなくて……。
ただ、見てることしかできなくて、悔しくて、哀しくて、どうしようもなくて……僕は大切なものを失った。
胸が苦しくて、吐き気がする。嗚咽が止まらない。
頭がクラクラして、薔薇の香が風に乗ってやって来た。
辺りには誰もいない。そして、あいつはまた僕の目の前に現れた。
僕の気持ちがそうさせているのかもしれないけど、ファントム・ローズの?仮面?は哀しそうな顔をしているように見える。
ファントム・ローズの声は静かに言った。
作品名:ファントム・ローズ 作家名:秋月あきら(秋月瑛)