ファントム・ローズ
平凡な家庭で平凡に育った平凡な高校生というのは、僕が描いたウソの世界の話で、実際はあまりよい環境で育ったとはいえない。ここまではあっていると思う。
僕には幼なじみの女の子がいた。これもあっているハズ。名前は……アスカちゃんであってるんだろうか?
ある日突然引っ越した?
このあたりから自信が持てなくなる。
だって、なら僕の付き合っていた椎名アスカは、だれだったんだってことになる。
告白したのは僕だったか、それともアスカだったか……。
脳裏にちらつく女の子の影。
その影は椎凪渚だった。
僕が付き合っていたのは、はじめから椎凪渚だった?
そんなバカな。
だってそもそも彼女と出会ったのはクラブ・ダブルBの事件だ。
アスカはクラブ・ダブルBの事件に巻き込まれて……。
それがすべての事件の発端のハズだ。
引っ越した幼なじみと僕が付き合っていたアスカは別人?
それが一番無理がない解釈だ。
でも、どうして心に引っかかりを覚えるんだろう。
僕は手紙を渡された。ひとから手紙をもらうなんてはじめてだった。それが付き合う切っ掛けだった。
――センパイのこと屋上で見かけてから気になってました。
そんな書き出しだった気がする。
その日もぼーっと屋上で昼休みを過ごしていると、その子がやって来て手紙を渡してきたんだった。で、手紙を受け取るとすごい勢いで駆け出して逃げたんだ。後ろ姿を覚えてる。ツインテールの子だった。
間違いなくそれは椎凪渚だ。
でも修正された記憶の世界では、屋上でいっしょに昼飯を食べて、いっしょに帰って、そんなことをしているうちに僕から告白したことになってるハズだ。
そして、そこには僕ら二人じゃなくて、いつも3人で過ごしていた気がする……そうだ、鳴海愛だ。
クラブ・ダブルBの事件を通して僕は椎凪渚と鳴海愛に出会った。そのはずだったけど、渚に手紙を渡された記憶は、なんの記憶なんだろう?
突然、脳裏にフラッシュバックした記憶。
渚が僕に抱きついて号泣している。
――愛ちゃんが……いなく……なったの……。
こんな記憶まったく覚えてない。
僕の妄想だろうか?
まさか……。
ひらめきが戦慄となって僕の体を駆け巡った。
どうしてこの発想に今まで僕は至らなかったんだろうか。
それはきっと僕が?弾かれたモノ?として、自分だけが改変される前の世界の記憶を知っていると思い込んでいたからだ。そうなんだ、すでに僕も記憶が改変されていたんだ。
?弾かれた?ことによって、世界とのリンクが途切れた僕は、世界がバランスを取るための改変に影響外にいる。それは?弾かれた?あとの話だ。
鳴海愛。そう、彼女は僕よりも前に?弾かれて?いる。彼女が?弾かれた?ときに、世界は改変されたハズだ。彼女だけじゃない、僕以前に?弾かれた?人々すべての影響を僕は受けているハズだ。
僕はおそらく、鳴海愛を僕が思っている以前から知っていた。
薔薇の香りがした。
月夜に照らされる白い仮面。
「お帰り、春日涼」
ファントム・ローズは鳴海愛の声で静かにそう言った。
ただいまとは言えなかった。帰ってきたという実感がない。おそらく僕はどこにいようとその感覚に苛まれるんだろう。それは僕が?弾かれたモノ?だからだ。
「鳴海愛に話がある」
一瞬時間が止まったのかと思った。白い仮面の主はまったく動かなかったからだ。
僕は待った。
しばらく、ひととき、一瞬ほどだったかもしれない。実際にはとても短かったかもしれないけど、僕にはその沈黙が長く感じられた。
そして、薔薇の芳香とともにファントム・ローズは羽織っていたインバネスをはためかせ、体を回転させながら背を向けたかと思うと、薔薇の花びらが僕の視界を覆い隠し、やがて風が浮き全てを吹き飛ばすと、彼女は素顔を見せた。
黒髪の少女。クールに見えるけど、僕なんかよりよっぽど胸が熱い。彼女の名前は鳴海愛。
静かな瞳で鳴海愛は僕を見つめている。仮面よりも静かだ。彼女は姿を見せた、今度は僕から切り出す番だろう。
「鳴海はいつ世界から?弾かれた??」
「君より前に」
「それはわかってる。どんなきっかけで、鳴海が世界から?弾かれた?ことで、たとえば僕の世界にどんな変化が起きた?」
「…………」
黙った。言葉を考えているというよりは、その表情は押し黙っている感じだ。つまり言いたくなんだ。
なぜ?
「僕たちさ、同じクラスで席も隣り同士だっただろ? それなのに渚を介して紹介されるまで、僕は鳴海のことをよく知らなかった……本当に?」
フラッシュバックした映像はなんだったのか?
号泣する渚が僕に抱きつき口にした名前。あれが改変されて僕が忘れていた出来事だったとしたら、僕は鳴海愛を知っていたことになる。
鳴海愛は黙ったままだ。こちらからいろいろ話を振れば、そのうち答えてくれるだろうか?
「僕と鳴海がはじめて出会ったのはいつ?」
「…………」
「鳴海はいつから僕のことを知ってる?」
「…………」
「?弾かれた?存在は、その存在があやふやで認識されづらくなるけど、僕の世界で鳴海はしっかりと僕が認識することができた。ロクに話したこともなくて、親しくもなかった関係なのに。だれの世界でも認識されやすくなるコツでもあるのか、それとも僕が鳴海愛という存在を認識しやすかった理由でもあるの?」
ファントムとしてなら、どんな世界にも介入できるだろう。
鳴海愛は僕に背を向けて歩き出した。
「少し歩こう、行きたい場所がある」
長い髪を揺らしながら颯爽と歩く後ろ姿。
僕は誘われるようにふらふらとあとをついていく。
どこに向かっているんだろう?
このあたりの町並みはよく知ってる。よく通った道だ。最近はあまり通らなくなったかもしれない。
ちょっと急な坂道。幼いころはもっと断崖絶壁に思えた。義母が自転車を漕ぐ背中を思い出す。いつも自転車の後ろに乗せられ、送り迎えしてもらっていた場所だ。
坂を上りきったところで鳴海愛は足を止めた。
僕の通っていた幼稚園だ。
鳴海愛は道路をなぞるように指先を大きく左から右へと移動させた。
「私が歩いていると、いつも男児を乗せた自転車が猛スピードで追い抜いて行った」
「えっ?」
もしかして、それって……?
「自転車を漕ぐ母親は必死な顔をしているのに、後ろの男児は涼しい……というより、子供っぽくない冷めた表情をしていた。それがとても気になって、気づいたらその子のことを一日中見るようになっていた」
「鳴海もここに通ってた? というより、その男児って僕だろ?」
そうとしか考えられない。ただ、僕にはまったく鳴海愛という存在の記憶がなかった。
鳴海愛は僕の質問には答えず、遠い目で幼稚園の正門を眺めて、話を続けていた。
「普段は冷めた表情をしている子だったが、あの女の子といるときは明るい顔をしていた。だれから見てもその子のことが好きのは一目瞭然だったな」
「椎名アスカのこと?」
尋ねると鳴海愛は僕と眼を合わせて深く頷いた。
僕には幼稚園時代の鳴海愛の記憶がなかった。けど、椎名アスカは僕と鳴海愛の共有している記憶だ。
幼なじみの椎名アスカ。
作品名:ファントム・ローズ 作家名:秋月あきら(秋月瑛)