ファントム・ローズ
男の声か、女の声か、かろうじて女だと認識できる。決してそれは中性的な声だからとか、声質の問題ではなく、認識の問題だ。
目の前に立っているミラーはホストだ。この世界のホストではなく、元は僕と同じように?弾かれたモノ?だったに違いない。それがミラーとなり、ある力を手に入れた。
「アスカを返せ」
僕は鋭く言った。
「私の目的は世界をひとつに、迷える魂をひとつに融合すること。もうアスカは個ではなく、全に取り込まれたのよ」
「おまえはアスカの姿になることができる。全になろうとも、全の中で個として存在しているはずだ。僕はアスカさえ元に戻ればいい」
「不可能よ」
「この世界は夢幻だ。なにも意味を持たない。時間さえ。意味がないからこそ、意味を持たせることができる。想像と創造の力」
ミラーの目の色を変えた。僕の変化に気づいたのだろう。立ち籠める闇色の霧。それは僕の足下から重く床を這っている。
今、はっきりと水鏡紫影の表情がわかった。この世界は想いが強ければ強いほど具現化することができる。こちらの認識レベルに関係なく、強制的に相手側からこちら側に認識させる。
彼女はひどく驚いている。
「ファントムの……覚醒[めざ]め……」
おそらくそうなのだろう。僕も本能的にそう感じていた。
?弾かれたモノ?のすべてがファントムではない。ファントムは?弾かれたモノ?の中でも特異な存在なんだ。はじめて僕が出会ったファントムは、ローズ。次に出会ったファントムは、ミラー。
そして……。
すべての世界にファントムが何人いるのかは知らない。けれど、ファントムは他人の世界に大きく影響を及ぼすことができる存在だ。そんなのがたくさんいたら、世界はもっと荒れているに違いない。
「まずはアスカを返せ。次におまえの能力を具体的に説明しろ」
低い声で威嚇した。その威嚇は黒い靄となって具現化する。僕の躰を覆う黒い闇。まさにそれは僕が閉じ込められていた空間と同じモノ。
どうやって僕があの閉ざされた闇から抜け出すことができたのか?
いや、抜け出したというのは正しい表現ではない。
黒はすべての色が交じり合った色。それは混沌ともいうべき存在。そこにはすべての要素が揃っている。
それが僕の手に入れた力。
おそらくミラーの力も似た力に違いない。
「彼女は返せない」
「それは返したくないのか、それとも返す方法がないのか?」
「もうひとつに溶け合ってしまったから無理よ」
「嘘つきめ」
絵の具は一度混ぜたら元に戻せない。それが彼女の言い分なのだろう。
「嘘つきめッ!」
繰り返し、2度目は怒鳴った。
その瞬間に僕の足下から黒い靄が大量に噴き出しミラーの足下を呑み込んだ。
「こ、これは……」
驚くミラー。彼女は理解しただろうか?
「なにが……消える……私が……いえ……これは……」
言葉を途切れ途切れに紡ぐミラーの脚は黒い靄に包まれた部分が、まるで霞んだように半透明になっている。
「僕の力を理解したか?」
「私をこのワールドから消す……無に還す……ということ?」
「無じゃない、混沌に還す。おまえの能力は融合……と見せかけて、コピー。レコーダーのようなものだろう? みんながひとつに溶け合うなんてウソだ、おまえはただのミラーだ、自分自身を持たないミラー」
ミラーの顔が変化していく。水鏡紫影の顔はぼやけ、またあの顔になる。そう、アスカの姿だ。
「涼ちゃんやめて、今の涼ちゃんは涼ちゃんじゃない!」
声も同じ。
けれど、ミラーはミラー、本物じゃない。
僕は知っている。僕のやろうとしていることも、本物のアスカを取り戻せるわけじゃないってことを。けど、本物とはいったいなにか?
夢も現実も曖昧なこの世界で、本物とはいったいなんなんだろう?
「アスカは返してもらう」
黒い靄がアスカの身体を足下から頭まですっぽりと呑み込んだ。
「キィィィィィ!」
靄の中から歯ぎしりが聞こえ、女の手だ飛び出してきた。
逃がしはしない。
靄の密度が高くなる。その中に浮かぶミラーの顔。次から次へと別人の顔に変わっていく。男や女、老人から子供まで、中には見覚えのある同級生の顔もあった。
「私の夢は……ついえ……ない……こんなところ……で!」
男と女の合成音のような声を発しながら、ミラーが靄から抜け出そうとする。
肩が出て、ゆっくりと上半身も見えてきた。その身体が全裸で、顔は女、右半身が男、左半身が女、各部位で別人の身体が混じりあっていた。
闇色の靄はミラーの身体にヒビが這入ったような模様を描きながら絡みつく。
まるでチーズのように伸びる靄。ミラーと靄の本体の間で細い靄が糸を引く。
「アスカは返してもらう」
ミラーの身体に巻き付いていた靄がゴムのようにして、暗い暗い靄の本体に引きずり込む。
僕はハッとした。
芳しい花の香り。
忘れもしない薔薇の香り。
輝線が目の前できらめいたかと思うと、ミラーを繋ぎ止めていた靄の糸が断ち切られ、反動でミラーが大きく前に倒れ込んだ。
僕は振り向いた。
「なぜ邪魔をするんだ?」
ローブを纏った白い仮面の君。
「ファントム・ローズ!」
その名を叫んだ。
白い仮面は答えない。表情を隠し、その素顔を僕に決して見せないようにしている。
「君が僕の邪魔する理由がわからない。ミラーと対立していたんじゃないのか?」
「敵の敵が味方とは限らない」
声質が認識できない。ローズは僕を拒否している。僕はローズがだれなのか知っているはずなのに、今はおぼろげにしか思い出せない。
「なら君は僕の敵なのか?」
「君が世界を壊すならば……」
「僕はアスカを取り戻したいだけだ。君こそなにが目的なんだ」
「だれひとりとして世界に疑問をもたず、その世界が平穏に流れゆくこと」
「僕らのような?弾かれたモノ?を出さないためか?」
「それもひとつだ」
ローズの守りたいものはなにか。言葉どおりの世界を守る英雄に気取りだろうか。いや……違うね。
「渚はどうなった?」
僕の思惑は当たった。白い仮面が一瞬揺らいだのだ。
ローズは答えない。だから代わりに僕がそれを口にした。
「?弾かれた?んだろ。もう彼女の世界の均衡は崩れすぎた。彼女が彼女の世界である限り避けられなかった運命だと思うよ。彼女の周りには外の世界に関わる人物が多すぎた」
僕がローズに話しかけている視線の端で、ミラーが床を這って逃げようとしていた。
「まだアスカを返してもらってない」
僕の足下から噴き出した闇色の靄が床を這いミラーの足首に巻き付こうとする。
輝線が視界を横切る。
まただ。
「どうして邪魔をするんだ!」
ファントム・ローズ!
「それはキミが世界を破滅に導くモノになってしまったからだ」
「破滅させようとしてるのは、そこにいるミラーだろ! こいつが勝手に他人の世界に入り込んでるせいで、この世界だってもう歪んでるじゃないか!」
いずれこの世界の主人公も弾かれる。
それは僕のせいじゃない。
「僕はアスカを取り戻したいだけなんだ!」
叫びながらミラーに飛びかかった。
悲しそうなアスカの顔が僕を見る。
「くっ!」
作品名:ファントム・ローズ 作家名:秋月あきら(秋月瑛)