ファントム・ローズ
ミラー「Cace1 虚」
君は世界の成り立ちについて考えた事があるかい?
世界は結局のところ、記憶によって創られているんだ。
でも、僕には世界を創る力は無い。僕は世界から弾かれた者だから……。
ファントム・ローズは僕に言った。『君は世界から弾かれた』と……?
未だに意味はわからない。でも、僕の周りで不可思議なことが起きたことはわかる。
でも、その不可思議なことも結局なかったことになった。僕を除いては……。
僕はこの世界で数日の時を過ごした。
前の世界と変わった点は、多くの人々がいなくなったことくらいだと思う。それ以外は前と表面的には変わらない。
毎日普通に起きて、学校に行く。学校に行く途中にこの世界で用意されていた彼女――椎凪渚[シイナギナギサ]を迎えに行って一緒に学校に行く。
前の世界での彼女は椎名アスカという同じクラスの子だった。
彼女は前の世界で僕が巻き込まれてしまった事件で行方不明になり、ミラーズとして再び僕の前に現れ、そして、どうなったのかはさっぱりわからない。この世界にいないという事は死んでしまったんだと思う。
本当は死んでしまったかどうかもわからない。そもそも死というものもこの世界ではよくわからなくなってしまった。世界は全て幻のようで、僕は全てのことが夢の中で起きている事のようで実感がわかない。
僕はいったいなにをすればいいんだろう?
このまま世界に流されて生きて……いけるのだろうか?
自分の存在があやふやに思えてくる。
とくに渚といないときは、自分が消えそうで怖い。
両親でさえ他人に思えるときがある。渚以外はみんな他人に思える。
やっぱり世界に流されたままじゃ生きていけない。
でも不安なんだ。
僕は渚に依存してる。
好きかどうかは正直わからない。相手は僕のことを想ってくれている。僕も相手のことが好きだって感情がある。けど、この感情は本物なのだろうか?
だって僕の彼女は椎名アスカじゃないか!
頭が混乱する。
渚と長くいればいるほど彼女のことが好きになっていくような気がする。そして、僕の中から椎名アスカが消えていくんだ。椎名アスカという記憶その物が消えていくような気がする。
椎名アスカを忘れちゃいけない。今じゃみんな覚えてない。僕が忘れてしまったら、本当にいなかったことになってしまう。
でも、今日も僕は渚とデートをする。
学校が休みのときでも毎日会っている。自然とそうなっている。渚と離れてはいけない。不安と危機感がある。
土曜日の今日は電車に乗って大きな街で適当になにかする予定だった。
僕は待ち合わせの場所の駅に向かっていた。
駅まで続く街並み。
風景がぼやけて曖昧に見える。最初は視力が下がったのかと思ったけど、そんな急激に下がるわけがない。恐ろしいことにこの現象は渚がいないときに起こるんだ。
僕が抱えている問題は精神的な不安だけじゃない。
渚が近くにいないと、物理的な問題まで生じるんだ。
もう渚なしじゃ生きていけない。
ぼやけて見えるのは風景だけじゃない。ほかの物もすべて、人の姿さえもぼやけてて見える。
僕の周りの人たちは渚がいなくても、比較的判別できる程度は見える。けど、まったく知らない人になると、本当にわからないんだ。
そのことに関連していると思うんだけど、渚がいないときに他人から話しかけられたことがない。まるで幽霊になってしまった気分になる。
それとも周りがみんな幽霊なのだろうか?
こんな世界じゃ生きていけない……前に本気でそう思ったことがあった。けど、そう思った途端に、世界が歪んで僕自身の名前すら思い出せなくなりそうになった。あんな恐ろしい経験もう二度としたくない。だから僕はこんな状況でも絶対に生きていくと決めた。
そのためには渚は絶対不可欠なものなんだ。
僕の足は自然と早くなっていた。
渚にさえ会えば、このぼやけた世界から抜け出せる。
風景も行き交う車や人々も、みんなぼやけてしまっている。
そんな中、目の前にぼやけていない若い男が現れたんだ。
まったく知らない人だ。
僕にとってそれは驚きだった。
しかも、その人は僕に話しかけてきたんだ。
「春日涼君だね?」
さらに名前まで呼ばれるなんて思いもしなかった。
軽いパニックになってしまって、口ごもって返答することもできなかった。
慌てる僕の姿を見ながらも、当たり前のように男は平然としている。
目の前の男はなにかが違うと確信した。この世界では異質な存在としか思えない。
少し時間を置いてから、ようやく答えることができた。
「そうですけど?」
やっと絞り出せたのがその言葉だ。
男は真顔でうなずいた。
「少し時間をもらえるかな?」
「それは……」
僕も相手のことが気になる。けど渚に会わなくちゃいけない。駅はすぐそこだ。
今の僕にとって渚は何よりも大切なんだ。それよりも目の前のことを優先していいのか?
決して大げさではなく、このことは未来に関わる決断が迫られてる気がする。
大丈夫、少しくらい大丈夫だ。この人と話そう。
「少しだけなら大丈夫です」
「ありがとう。まずは自己紹介をしよう、これは相手を認識する上でとても大切なことだ。僕らのように?弾かれたモノ?は特に」
「!?」
やっぱりそうだ。この男は周りとは違う。
?弾かれる?なんて言い回しをするのはファントム・ローズくらいだ。
僕の置かれている状況、このぼやけた世界のこと、きっとこの男はなにか知ってるんだ。そうでなきゃ合点がいかない。
「僕の名前は影山彪斗[カゲヤマアヤト]。絶対に忘れないで欲しい」
その名前を深く胸に刻み込んだ。
絶対に忘れない。
両親でさえ他人に思える世界で、ぼやけてしまうこの世界で、影山彪斗を忘れないことを難しいことだと思う。
今は目の前ではっきりしてる影山彪斗も、いなくなった途端に記憶がぼやけてしまったり、すっかり無かったことになる可能性だってある。
今だって僕は多くの記憶を失っているかもしれない。
記憶を失っていることすら自分で気づいてない可能性だってあるんだ。
物理的な証拠を残していても無駄なんだ。この世界に椎名アスカの物は残っていない。椎名アスカは僕の中にしかいないんだ。
大丈夫、僕は忘れない。
そう思ったばかりなのに、突然影山彪斗の姿がぼやけはじめた。
なんでそうなってしまったのかわからない。
大丈夫、僕の中で影山彪斗の名前は生きている。ぼやけてしまったその顔もちゃんと思い出すことができる。ぼやけてしまっているのは僕のせいじゃない。
けど、このまま影山彪斗が消えてしまったら自信がない。
影山彪斗も自分の存在がぼやけていることを自認したみたいだ。
「タイムリミットのようだ。この世界は僕との関わりが薄い……また……ように……なるべく……努力する」
ぼやけていたものが霞み消えてしまった。
それは消失だった。
人間が僕の目の前で消えた。
今の僕にとっては驚くことじゃない。
そして、焦ることでもなかった。
影山彪斗はちっとも慌てていなかった。
作品名:ファントム・ローズ 作家名:秋月あきら(秋月瑛)