ファントム・ローズ
最後の言葉はよく聞き取れなかったけど、きっとまた向こうから会いに来る。そんな気がする。
だからこの件に関して僕ができることはない。
今僕がすることは渚に会うこと。
急いで僕は渚の元に向かった。
だんだんと辺りの景色が鮮明になってきた。知らない人たちの顔もちゃんと認識することができる。近くに渚がいる証拠だ。
どの程度の範囲内かはまだはっきりしないけど、渚を中心にして見えるモノが鮮明になっていくのはたしかだ。たとえば学校なんかだと、渚が学校にいれば学校全体が鮮明になってる。
ほかにも渚とよく通る道は、僕ひとりのときでも鮮明だ。でもこれは一緒に通る道じゃなくて、渚がよく通る道のような気がする。一緒に通ったことがない道でも鮮明なときがあるからだ。
この世界が渚を中心にしているのは間違いなかった。
渚は駅の改札口の近くにいた。
「ごめん待った?」
「ううん、ぜんぜん待ってないよ」
渚の笑顔を見るとほっとする。
周りも鮮明で、何事もない日常を取り戻せた。
この当たり前の景色が僕にとっては特別で、とても大切で心の安まる空間だ。
やっぱり僕は渚なしじゃ生きられない。
「どうしたの涼?」
「えっ?」
どうやら僕は重い表情をしていたらしい。渚が僕の顔を覗き込んでいる。
今は何事もない日常でも、渚と別れたらぼやけた世界に引き戻される。それが僕は怖かった。だからってずっと渚と一緒にいるわけにはいかない。
でもいつまでこんなことが続くのか?
きっと今のままじゃ一生続く。
渚と死ぬまで24時間ずっと一緒にいる方法を考えることが現実的なのか、それともこの呪いのようなものから抜け出すほうが現実的なのか。
今の僕にはここから抜け出す術がわからない。
ファントム・ローズもあれ以来僕の前に姿を現さない。最後に会ったのは、世界がこんなことになってしまった日だ。学校に行ったら渚が僕の彼女ということになっていた。
なぜファントム・ローズは僕を助けてくれないのか。と言っても、もともとファントム・ローズに僕を助ける理由なんてないかもしれない。目的だってはっきりしないんだ。
今もてる希望は影山彪斗の存在だ。
結局、僕からできることはなにも思い付かない。
考えてみれば、はじめっから流されて巻き込まれて、こんなことになってしまった。
僕になにができるんだ……。
「ねえ、涼ってば!」
大きな渚の声で僕は我に返った。すっかり悩んでしまって周りが見えてなかった。
「ごめん、ちょっと考え事してた」
「なんか変だよ最近?」
「そんなことないよ」
「絶対ウソ、なんかあたしに隠してるんでしょ?」
渚の言うとおりウソだ。でも隠そうと思って隠しているわけじゃなくて、話してどうこうなるわけじゃないと思ってるだけだ。結局話さないんだから隠し事と同じか。
不安そうな顔をした渚が顔を近づけてくる。
「もしかしてあたしたちに関わることじゃないよね?」
「どういう意味?」
関わることって言ったらそうだけど、きっと渚が言いたいのはそういうことじゃないと思う。だって渚は僕の置かれてる状況を知らないんだから。
「ねぇ……涼?」
消え入りそうな声だ。悲しそうな目をしている。
「なに?」
「あたしのこと好きだよね?」
「…………」
僕は答えられなかった。
渚のことが好きだって気持ちはある。それは僕の中にある感情で、無理強いをされているわけじゃない。でも、僕はそれを信じられない。
気持ちはそう訴えていても、世界がこうなる前は違ったって記憶が僕にはあるからだ。
頭が混乱する。
自分の感情が信じられないなんて、本当になにを信じていいのかわからなくなる。
僕が答えずにいると、渚は今にも泣きそうな顔をした。
「あたしのこと好きじゃないの?」
「……好きだよ」
絶対にうまく言えてない。
好きだって気持ちはウソじゃないんだ。でもうまく言えない。
渚の表情はもっと不安そうで悲しい顔になってしまった。
おかしい。
世界がぼやける。
渚が近くにいるのに世界がぼやけていく。
なんだか頭もぼーっとする。
意識が遠のく。
身体から感覚が消えていく。
違う……これは……イヤだ……僕が消えるんだ!!
「涼!」
急に視界と意識がはっきりした。
目の前にある渚の顔。
倒れた僕は渚に抱きかかえられていた。
周りを行き交う人たちも僕らのことを見ている。
恐ろしいことが起きた。
あれはただ気を失いそうになったんじゃない。僕がこの世界から消える気がした。いや、あのままだったら消えていたと思う。
やっぱりそうなんだ。
この世界は渚を中心にしている。
そう……だから、僕は渚によって生かされてるんだ。
本当はそんな気がしてた。でも怖かったら考えないようにしてたんだ。でも僕は確信してしまった。
渚が僕を捨てたとき、僕はこの世界からも捨てられる。つまり消えるんだ。
それは死ぬということなのだろうか?
きっと少し違う。
ほかのみんなと同じように、はじめから無かったことにされるんだ。
僕はどうしたらいい?
渚のことが好きだって気持ちはある。その気持ちを疑わなければいい。今はそれでいい。そうするしかないんだから。
僕は立ち上がった。
「ごめん……ちょっと調子が悪かっただけなんだ」
「あたしこそごめん。体調悪かったからあんな表情したんだね、なんか勘違いしちゃったみたい」
そう言って渚は笑った。
でも、その表情とは裏腹に不安なことを考えていないだろうか?
本当に倒れたんだから、体調が悪いって言うのは信じてくれたと思う。
好きかどうかの問いは渦巻いているかも知れない。
「渚のこと好きだよ」
「うん、あたしも涼のこと好き」
渚に不安がないことを祈るしかない。あったとしても、早く消えて欲しい。
なんだろう、とても後ろめたい気持ちがする。
嘘はついてない……でも……。
作品名:ファントム・ローズ 作家名:秋月あきら(秋月瑛)