過去を贈る、今を贈る
「ほらニコ、もう起きる時間だよ」
オレは額を何回かはたかれて、眠たい目を無理矢理覚ました。
「……何時」
「もう八時だ。さては時差ぼけだね」
そりゃそうだ。一週間もシャトルの中だったんだから。
しかも寝る場所がリビングのソファじゃ、寝心地だってあまり良くない。
ドクターはもう着替え終わって、忙しそうにあちこち動いている。
「手伝ってもらうと言っただろう。
早く支度してキッチンへ来るんだ」
目をこすりながら、リビングの奥に続いてるキッチンを見る。
ここからでも、テーブルに大量の材料が積んであるのが分かった。
「オレ、料理なんてできねぇんだけど」
「心配ない。簡単な作業だけだ。
それに、いつもは一人でやっていることだからね」
ドクターは勢いよくカーテンを開けた。
外は、真っ白だ。
「外」
「昨夜は冷え込んだからね。うまく雪が降ってくれたようだ」
「マジで!」
「マジだよ」
オレは毛布を蹴飛ばして窓際に走り寄った。
地面はふわふわと泡立っているみたいで、色が全然ない。
一つだけ色が見えたのは、窓の端でどっしり構えている「モミノキ」ぐらいだ。
「こういうのをホワイトクリスマスと言うんだよ」
横目でドクターを確認する。ドクターも何だか嬉しそうだ。
「もしかして雪は初めてかい」
「テレビの中ぐらい」
「それは良かった」
ドクターは笑顔を見せると、すぐにキッチンへと引っ込む。
ただ、引っ込む時にオレに向かって畳んだ布を投げてよこした。
「雪遊びなら後でやるんだね。今は手伝いが先だ」
布を広げると、それはギンガムチェックのエプロンだった。
ここのキッチンは、家の造りから想像するよりも、ずっと広くて重装備だった。
業務用のようなオーブンが三つも並んで、シンクも横に長い。
ダイニングテーブルには、端からこぼれおちそうな勢いで食材が乗っかっている。
野菜やら卵やら、毛のないでかい鶏まで。
「これ、誰が食べるんだよ」
「今日はクリスマスイブだからね。沢山の人を呼んでごちそうを食べないと」
「……イブ?」
オレは眉を寄せる。
「クリスマスの前日という意味だ」
「何で当日じゃないんだよ」
「どうしてだろうね。気付いたらそうなっていたんだよ」
よく分からないまま、とりあえず納得しておく。
大体、「くりすます」って何なんだ? ドクターはやけに張り切ってるけど。
記念日っぽいやつだと予想がつくぐらいだ。
ドクターを見ると、手際よく道具を揃えて色々と準備している。
「さ、ニコは小麦粉を振るって。
家でもそれぐらいは手伝っているだろう?」
オレの前に小麦粉の袋と粉ふるい、それから薄いシートが置かれた。
「全部?」
「もちろん全部だ。ケーキは三つ作るからね。
クリスマスにケーキと七面鳥は基本中の基本だ」
ケーキかよ。ごちそうで喜ぶなんて子供じゃねぇんだから。
内心、ドクターに向かってそう言ってみる。
実際に口に出せば、ドクターのカンに障りそうな気がしたからだ。
いや、そんなにすぐ怒りそうな性格には見えないけれど一応。
オレは袖をまくってから袋を破って、小麦粉をガシャガシャとふるう。
これぐらいならハイスクールの授業でもやったし、まあ問題ない。
「ドクターってそんなにクリスマスが好きなわけ?」
「ああ、大好きだね」
ドクターはあっさりと簡潔に肯定する。
「もっとも、嫌いな時期もあったけれどね。私がまだ小さい頃だ」
「……それって、どれぐらい前」
「さあね。とにかく、まだ地球にいた頃の話だ」
「……へえ」
地球に人が住めなくなったのってどれぐらい前だ?
歴史の授業を思い出そうとしても、具体的は数字は思い出せない。
とにかく、ずっとずっと昔の話なことは確実だ。
「親が実に敬虔なキリスト者でね。
クリスマスイブには教会で、子供たちが賛美歌を歌うんだ。
もちろん私も強制参加だよ。私は歌が下手で、しかも好きな音楽はヘヴィメタルだったから嫌で仕方がなかった」
卵をときながらドクターが笑う。濃い金の髪が揺れた。
「でも私も子供だったからね。その後のごちそうは本当に楽しみだったよ。
壇上で歌いながらケーキのことばかり考えていたんだ」
そんなに嬉しいのか。
オレはクリスマスなんて知らないから、その嬉しさも分かりようがない。
例えるなら、誕生日みたいなもんかな。
ごちそうが出るし、ケーキもある。
でも、皆で一斉にごちそう食うっていうんじゃ、ありがたみがなさそうだ。
目の前でできあがっていく小麦粉の山を見ながら、そんなことを考える。
「私のいた街は寒いけれども自然も多かった。
本当に、いい街だったんだよ」
急に声のトーンが落ちたもんだから、オレはドクターを見た。
けれども、ドクターは声の調子とは裏腹に、呆れたような顔をしていた。
「ニコ、足下」
「え? ……うわ」
オレは小麦粉を足の上にふるってしまっていた。
スリッパが真っ白だ。
「困ったね、粉をふるうぐらいのこともできないなんて」
字面だけならかなり腹の立つ台詞だったけれども、ドクターが無駄におかしそうに笑うから、オレは何も言わないでスリッパを脱いだ。
作品名:過去を贈る、今を贈る 作家名:ニオ(鳰)