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茅山道士 人間の皮事件2

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 乞食は先程までの濁った瞳とは違う素晴らしく透き通った瞳を程偉の奥方に向けた。彼女はお願いの議は道士がすると、麟に説明させた。橋のたもとで青い妖怪を見てから今、退治されたことまでを洗いざらい話した。
「あいわかった。しかし、麟とやら、それはちと難しいことだぞ。おまえ、何かその代償を私に与えられるか? 」
「申し訳ございません。私には何も代償となるものがございません。代償のたしに私自身の生命というのはいかがでしょうか。」
「では、おまえは自分の生命を私にくれるというのか。」
「はい、今日のことは私の過ちでございます。人一人の生命を失ってしまいました。それくらいのことは必要だと思います。」
 真剣な麟の表情を見て、しばらく乞食は考えていたが何を思い付いたのかニヤリと笑った。
「いいだろう。そして、もう一つ夫婦愛というやつを見せてもらうとするか。よいか、その男の奥方をひとりで、ここへ連れて来て私に心から頼ませてみるがいい。私の心を動かせたら救ってやろう。ただし、私がどんなことを言っても、どんなことをしても、その奥方をはずかし辱めるようなことがあっても、けっして怒ったり逆らったりしなければだ。」
 麟はその言葉を聞くと少しホッとして急いで屋敷に戻ることにした。程偉の奥方は乞食のところに残ることにした。屋敷では緑青が麟を心配した面持ちで待っていた。先に師匠の道士に津氏が尸解していることと心臓が戻るかもしれないことを伝えた。全ての辻褄があったらしく緑青は頷いた。そして、この屋敷の奥方に向かって死人を生き返らせる方法がみつかったと大きな声で言った。奥方は今まで緑青に夫を生き返らせるように、例え自分の生命と引き替えになってもいいからと泣いて懇願していたのだった。
「私はまだまだ術が浅くて、死人を生き返らせることはてぎません。しかし、御主人が殺されたのは私の弟子の術が防ぎきれなかったためです。しかし、奥方。それは、あなたが扉に隙間を作ったからでもあるんですよ。まあ、そんなことは言っても仕方のないことです。とにかく人を生き返らせることの出来る人を紹介してあげましょう。行って頼んでみなさい。きっと何とかしてくれるでしょう。」
「それはどんな方ですか。」
「城隍廟で寝泊まりしている乞食がいます。その乞食を訪ねて行って心から頼んでみなさい。たとえその乞食がどんなことを言っても、どんなことをしても、奥方を辱めるようなことをしても決して怒ったり逆らったりしてはいけません。そんなことをしたら御主人は死んだままということになりますから。私共は一緒に行くことは出来ません。道観におります。貴方様がひとりで行って誠意を見せなければなりません。」
 彼女はそれを聞いて慌てて城隍廟へと走っていった。自分が我慢するだけで夫が帰ってくるならば容易なことだと彼女は思った。城隍廟には確かに汚い乞食がいた。一瞬ためらったがそんなことも言っていられないと、乞食の前に土下座して、
「お願い申しあげます。」
 と、いいながら進んでいった。すると乞食は笑って言った。
「おお、別嬪さん。どうしたんだね。おまえさんはこの俺に惚れたんかね。一緒に寝たいのかね。」
 彼女が殺された夫を生き返せてほしいといって、事の次第を話すと、乞食はいよいよ笑って、
「ばかなことをいいなさるな。死んだ人間を生き返らせるなんて、そんなことの出来る奴なんかこの世にいるはずがないだろう。おまえは俺を乞食だとおもって、ばかにしているのか。俺は閻魔じゃない。」
 彼女が涙を流して頭を地面に叩きつけて頼んでいるものを、杖で打った。痛さをこらえて、杖を避けることもせず、なおも「お願いします。お願いします。」と、頼み続ける。人々が集まって来て垣のように取り巻いた。その中で乞食は、掌の上にいっぱい痰を吐き、ひざまずいている女の口先へ掌を突き出して、
「これを食べろ。」
 と言った。女は吐き気がこみあげてくるのを我慢しながら、道士の言ったことを思い返し、その痰を嘗めはじめた。痰を喉へ呑み込むと、それは何かのかたまりのようになり、つるつるとすべって行って胸のあたりでとまった。乞食は声を立てて笑い、
「別嬪さんよ。よほど俺が好きと見えるな。ここで一緒に寝てやろうか。さあ、寝たけりゃ、ここで裸になりな。」 と言う。さすがに彼女がためらいをみせると、乞食は、「ふん」 と、鼻を鳴らして去って行ってしまった。乞食は廟の中へ姿を消したが、追い駆けたが見当たらなかった。彼女は自分のやったことを恥じて死んでしまおうと思ったが、その前に夫の死骸をひつぎ 柩におさめてやろうと思い屋敷に一端、戻った。
 血だらけの夫の亡骸を水で清めてやり、妖怪が裂いてしまった腹から出た腸を手で腹へおさめながら、わあわあと声をあげて泣いた。あまりに泣いたためにむせ返り、吐き気をもよおした。それでも泣き続けていると、胸から何か固まったものが突き上げてきて、顔をそむける間もなく腸をおさめたばかりの夫の亡骸の腹の上に吐き出してしまった。見るとそれは人間の心臓だった。それは夫の亡骸の腹の裂け目にぬるぬると入って行った。そして腹の中でぴくぴくと動き出したのである。動き出すと同時に、煙のように熱気がそこから立ち上ぼった。彼女は急いで両手で腹の皮を閉じ合わせた。少しでも力を弛めると、熱気が閉じ合わせた隙間から洩れてくるのだった。そこで下女に絹きれを持ってこさせて手伝わせて腹にそれを巻きつけた。
 生き返るのだろうか、彼女はそう思いながら手で死骸を撫でているとどんどん温かくなってきて、夜中には息をしはじめた。そして、とうとう明け方には生き返ったのである。
 その時になって初めて乞食が掌に上に吐いた痰が、夫を生き返らせた心臓だったのだということに気が付いた。生き返った夫は、ぼんやりとして言った。
「うつらうつら夢を見ていたよ。だが、どうしたのかな、何だか胸のあたりがちくちくと痛むのだが。」
 妻は夫に全てを話して聞かせた。夫は自分が死んでいたことを聞かされて驚いていたが、それ以上に妻の献身的な愛情が嬉しかった。
 

 男が無事に生き返ったことを聞いた緑青と麟は城隍廟へと出向いて行った。それは麟が取り付けた約束の履行のためである。廟では乞食ではなく、津氏だけが待っていた。無事、男が生き返ったことを報告して麟は心から彼女に礼を言った。自分のおごった感情がどんなに危険なものなのかをはっきりと悟らせられたからである。麟は自分のした約束のために堅い表情になった。自分の生命を仙人に与える前に自分が預かった術をなんとか緑青に与えられないかをお願いしようと思っていた。
「あの仙人様は……。」
「あの方は御自分の修行場へお帰りになられました。あなたの生命はいつか再び逢った時に貰い受けるそうです。それまで、しっかりと修行しておくようにとおっしゃっていましたよ。」
「ひとつだけ教えてください。どうして、人間を生き返らせる術を持つ人物をすぐに捜せたのですか。」
彼女は微笑んで、
「廟というのは、必ず仙人が神から頼まれて人々の声を聞くためにいるところです。再会した時に、あの方をお見かけしていたのでわかっていたのです。」
作品名:茅山道士 人間の皮事件2 作家名:篠義