月下の麗人
呆れているようなおもしろがっているような口調でハディスは言った。耳に届いた噂だけでも故人の生前の性格や生活が結構わかる物らしい。ディストはまあどこにでもいるような権力者だったようだ。適当に働き、適当に恨みを買い、適当に他人を憎んでいたらしい。
礼拝堂の戸が開いた。現われた人物に会場が静まり返った。レジスだった。殺人事件が起こったとき、犠牲者が死んで一番得をする者を犯人として疑うべきならば、今回の場合それは間違いなくレジスである。皆の注目を浴びるなか、レジは祭壇に置かれた棺に近寄った。そしって棺の前に膝をつき肩を震わせる。うつむいて顔は見えないが、小さくすすり泣く声が聞こえた。
『へえ』
ロレンスは心の中で感嘆の声をあげた。レジスは見事に演技をしている。祈るレジスの様子に、彼が異母兄を殺したと主張していたものはバツの悪い顔をしたほどだ。
しかし、ロレンスはレジスが心の中でほくそえんでいるのを見抜いていた。
『ま、別にいいですけどね』
祭壇からさがったレジスは涙を見られまいとするように顔をぶせ、口元を手で覆って礼拝堂を出て行った。ロレンスは開いた扉の隙間から、廊下の机に乗っている置時計を見た。
九時まで後三十分。
今まで明るく周りを照らしてくれていた満月が雲に隠れて、四阿は暗くなってしまった。けれど、セリナは怖いとは思わなかった。ロレンスとどんな話をしようか考えるのに忙しかったから。両親も召使達もいつも忙しそうにしていて、ゆっくり話を聞いてくれないのだ。
芝生を踏む音がして、ロレンスが来たのかと屋敷の方へ目をやった。しかし、庭園の道を辿ってくる黒い影は彼女の父親、レジスだった。まだこっちには気づいていないようだ。ベッドを抜け出したことがわかったら怒られる。セリナは慌ててしゃがみこんで茂みの後へ隠れた。
黒い影は、まるで酔っ払っているようにふらつきながら近付いてくる。両肩が震えていた。その振るえは、次第に全身に広がって最後には哄笑になった。
「ハハハハハッ! あっけない」
気がふれたようなレジスの笑い声に、セリナは凍りついた。まるで今まで父に化けていた悪魔が、本性をのぞかせたようだった。
娘の存在に気づかないまま、レジスは笑いと歩みを止めた。噴水に手をつき息を整える。
「フッ、さすがに高い金を払っただけあったな、この薬」
レジスは懐から茶色い小瓶を取り出した。片手で隠れてしまうほど小さなビンだった。
「本当に痕跡が残らない。誰も私が手を下したと見抜けなかった」
葉の揺れる音がして、レジスは振り返った。バラの茂みの影にセリナが立っていた。
「セリナ。聞いていたのか」
レジスは辺りを見回した。政略結婚の道具に使えないのは痛いが、跡継ぎはワルタがいる。レジスは護身用の短剣を探り当てた。
「おいで、セリナ」
ハディスはわずかに顔をしかめて言った。
「ロレンス。いい加減その服をかえたらどうだ?」
「え?」
ロレンスは初めて服の様子に気づいたと言うように、自分の姿を見下ろした。胸から腹にかけてべったりと血が付いている。最初に四阿で事切れていたセリナを見つけたのはロレンスだった。その亡骸を抱え、屋敷にまで運び、長い祈りを捧げ終わるまでロレンスは少しの休憩もとらなかったのだ。
「ああ、そうですね。そうします」
見ると手にまで血がついていた。倒れていたセリナを抱き起こした感触が甦る。
「……とても軽かったですよ、彼女。まだ幼かったから」
ぽつりと言ったロレンスに、ハディスはふうん、と曖昧な返事を返した。
「私がもう少し早く行っていればよかったですね」
「気にすんな気にすんな。お前が殺ったわけじゃねえんだ」
ハディスは虫でも追い払うように軽く手を振って見せた。
「わかっていますよ。それで、ワルタの様子は?」
「ああ、全然ダメ。妹が死んだんだ。かなりまいってるな」
「なんとかなぐさめてあげてくださいよ。かわいそうに」
「あのな。俺が子供のご機嫌とるの、得意に見えるか?」
「確かに。ああ、そうだ、あれを見せてあげたらどうですか? 小さいとき私に見せてくれたじゃないですか。あの火の奴」
「あー、あれね。結構基でがかかるんだが、しかたないか」
同じ過去を共有している者同士でしか理解できない会話を一通りすませてから、ハディスはふと思いついた。
「まさか、また滞在が一晩伸びるとかいうんじゃないだろうな」
「いえ、それは大丈夫ですよ」
皆忙しい身でこの館に集まってきているのだ。泥棒が入ろうが館が爆破されようが、今度こそ明日には解散になるとロレンスは説明した。
「んじゃ、二人も死んでる件はどうなるんだよ?」
「なにせ非公式で極秘の集まりのことですから。うやむやにされて終わりです」
「ふーん」
「ああ、そうだ。この間セリナさんからの手紙を持ってきたメイドさん、どこにいるか知りません?」
いきなり前の話題となんの関係もない言葉をぶつけられて、ハディスは内容の理解に少し時間をかけた。
「さっきすれ違ったが…… なんの用だ?」
まだ血の痕跡も生々しい四阿で、レジスは落ち着かなげに腰を下ろしていた。そのうちに人影が二つ見てとると、そちらに走りよる。
「どういうつもりだロレンス枢機卿! こんな悪趣味ないたずらをして!」
暗闇から現われたのはロレンスとメイドだった。メイドの持つ盆には二人分のゴブレットとクラッカー、そして赤いワインのビンが乗っている。
レジスは、茶の紙をロレンスに突きつけた。
『またこんどおしゃべりしましょうね。くじにあずまやで待ってます』
枢機卿は酒がつがれた自分のゴブレットを取り、語りだす。
「失礼とは思いましたが、勝手に机の上に置かせてもらいました。セリナさんにかかわる物なので、父親の貴方に返したほうがいいと思いまして。今回の事は本当に残念でした。私もせっかくセリナさんと仲良くなれたのに。ディスト卿の事もありますし、今夜は貴方と一緒に追悼の意を込めて語り合おうと思いまして」
「……」
この男、どういうつもりだ? どこまで知っている? 飲み込んだ唾液が苦い。
ビンがテーブルに置かれる様子をいつもと代わらぬ調子で見守っている若い枢機卿が、得体の知れない生物に映った。
「ああ、すみません。これからお酒をついでもらうので下がらないでくれます?」
戻ろうとしたメイドを呼び止める声も穏やかだ。こいつ、本当に何も知らないのか?
黙ったままのレジスをそのままに、ロレンスは静かに語り始めた。
「誰かが亡くなるのは嫌なものですね」
「ああ」
レジスは生返事を返す。
「親しい人だとなおさら。どんな形でもいいからもう一度姿を見たいと思います。そう…… 化けてでもいいから」
「そうだな」
「こんな話を知っていますか? フレアリングに伝わる伝説です」
「……」
「フレアリングは戦と炎の民ですから、死後の世界の考え方も他国と違って荒々しいのです。そういえば貴方もフレアリングの血が混ざっていると聞きましたけれど」
ロレンスの声がわずかに低くなる。とっておきの不吉を語るように。