月下の麗人
「いいの。こういう特別な日じゃないと家をぬけだせないもの」
足で反動をつけて子供はイスからポンと地面におりた。ロレンスは少し体をかがめ、少女と目線をあわせる。
「何をしていたんです?」
とがめるのではなく、おもしろいことがあるなら教えて欲しいというようなロレンスの口調に、少女はすっかり安心した。
「別になんていうこともないのよ。ここでバラを見たり歌を歌ったり、宝物を埋めたり」
「宝物ですか」
子供の頃に大切な物を土に埋めた覚えはロレンスにもあった。宝といっても大抵キレイな模様の石とか鳥の羽とかそんな物だったが。
「ほら、ここよ。埋めた場所がわからなくならないように、ちょっぴり土から出してあるの」
少女はバラの茂みの土を指差した。土から錆びた剣の先やらビンの口がのぞいている。踏むと危ないとおもったが、よく考えればバラの木の根元だ。庭園にひかれた道を無視し、トゲに刺されながらわざわざ茂みにわけいる物好きはいないだろう。
「いいんですか? 大切な宝物の隠し場所を教えてしまって?」
秘密基地や宝の隠し場所は子供にとって特別な物のはずだ。
「いいのよ。あなた、いい人みたいだいもの」
「ありがとうございます」
どうやらロレンスはすっかり気に入られたようだった。
そろそろ昼食が近い館の一室に、同じく子供に気に入られた者がいた。
「ハディス! 開けろ!」
戸を叩く音に、ハディスはベッドの中で頭を押さえた。
「勘弁してくれ……」
昨日ぶつかってきたワルタとかいった子供に、何か知らないが懐かれてしまった。昨日あれからふとした事でハディスが他国の生まれだともらすと、ワルタはその国の話を聞きたがった。あまりにしつこくせがむのでしぶしぶながらも話してあげたのが悪かったらしい。
明け方寝て夕方起きるという生活はすぐに改善できず、ゆっくり寝ていようと言い訳までして朝食の出席をサボッたのに、この時間に起こされたのでは意味がない。
「起きろハディス!」
後頭部を掻きながら、ハディスは戸のむこうに声をかけた。
「はいはい、少し待ってろ着替えるから」
「急げ! ディスト卿が、叔父上が死んだ!」
「ああ?」
寝巻きから服に着替え、ハディスは机の上に置いてあった財布と薬の入った袋をポケットに突っ込む。廊下に出ると、ワルタが少しも待っていられないという感じでハディスの手を引き、館の奥へと走り出した。
ディスト卿の部屋の前は、人が集まり通れぬほどだった。
「ああ、ハディス」
ロレンスが声をあげる。
「これは一体!」
枢機卿の配下を通すために人の固まりはサッと左右に退いて道を開けた。戸口のむこうが聖域でもあるように、混んだ廊下から部屋に入り込む者はいない。
ハディスは構わず乗り込み、ベッドの上で事切れているディストの死体に近付いた。ロレンスがその後に続く。
「ハディスとやら。一体なにがあったのだ。どこにも傷はない。毒の痕跡もない」
貴族の一人が声をかけてきた。死体に近付く勇気があるだけで自分が高名な医者でもあるような扱いだ。ハディスは苦笑した。
「知らないうちに病魔に犯され、急に心臓が止まることもあるでしょう」
よそ行きの言葉で言って、ハディスはサイドボードに置かれたグラスを手にとった。
「酒もすぎれば毒になります」
「ともかく、死体をこのままにしてはおけませんね」
ロレンスは見開いたディストの目を閉じた。
礼拝堂の戸に寄りかかり、ハディスは扉の向こう側に声をかけた。
「おいロレンス。早くしろよ」
「はいはい。うう、冷たい。このせいで風邪ひいたなんてことになったらまぬけですね。それに床をぬらしそうで」
聖職者は、死体に触ったということで礼拝堂の中で清めを行っていた。 普段ならロレンスの性格上、そんな面倒なことはしないのだが、他の貴族たちの手前サボるわけにはいかなかったのだ。
白い衣を着たロレンスの目の前には、石で作られた水盆が置かれていた。中に入った聖水を青い樹の枝につけ、それを体にふりかける。清め用の衣は薄く、濡れると白い肌がすけた。
「そうだロレンス。あの場ではどうかと思って言わなかったんだが、あの男な、あれ、毒殺だぜ」
さらりと大変なことをハディスは言ってのけた。ロレンスが沈黙で先を促してくる。
「ほら、俺いつも薬を持ち歩いているだろ。杯を持ったとき、毒の検査薬を指につけて塗ってみた。そしたらしっかり出たぜ、反応が。ま、お偉いさん方にはフクザツな力関係があるだろうから、黙っといたが」
人一人が死ねば当然派閥同士の均衡に影響を与えるだろう。毒殺と自然死ではまた話が違ってくる。どっちがロレンスの利となり不利となるか、ハディスにはわからなかった。だからあの場所では当たり障りのないことしか言わなかったのだ。
「心遣い感謝します」
ロレンスが礼を言った。
「あ、誰かきた」
小間使いの格好をした女性が歩み寄ってきた。
「ロレンス様はここに?」
「ああ」
応えたハディスにメイドは手紙を差し出した。
「これは?」
「セリナお嬢様がロレンス様とお話をしたいとおっしゃいまして。お清めの最中ですので待つようにと申し上げたら、これを渡すようにと」
メイドが去っていくのを見計らってハディスがちゃかす。
「セリナ? 女の名だな。旅先で浮気か? 恋人にばらしてやるぞ」
「まさか。セリナに会いませんでしたか? ここの館の子ですよ。どうやら私のことを気にいったらしくて」
「あー、やめてくれ。ガキなら間に合っているからいい。俺もなつかれた。ワルタとかいうガキだ。他の貴族がわざわざ自分の子をつれてくるはずないだろうから、セリナの兄だか弟だかか」
「兄がいるっていってましたね、そういえば」
清めを終えたロレンスが、髪を手でなでながら礼拝堂から出てきた。手紙を受けとって、封を切る。
『またあそこでおしゃべりしましょうね。くじにあずまやで待ってます』
たどたどしい字でそう書かれていた。
「やっぱりデートの誘いじゃねえか」
ちゃっかり覗き込んでいたハディスがちゃかす。
「あはは、これは本当にあの人に言えませんね」
笑いながら、ロレンスは手紙を懐にしまいこんだ。
「つーか、これから帰るんじゃなかったのか?」
「人が一人死んでるんですよ。とりあえず皆でお悔やみするに決まっているじゃないですか」
「……報酬、その分増やせよ」
「大丈夫。増やしたとしても貴方の場合借金の方が多いですからマイナスが減るだけです。お金はあげませんよ。それに食事代だって浮いてるじゃないですか」
「鬼」
「聞こえません」
クスクスとロレンスは笑ってみせた。
日はすっかり暮れて、あまり広くない部屋にロウソクの明かりが灯される。ロレンスが清めを行った礼拝堂にディスト卿の遺体は運び込まれた。死者を肴に、生きている者達は噂話を楽しんでいた。過労、病気、そして暗殺。様々な死因が邪推されている。
「おーおー。当人がしゃべれないからって皆好き勝手言ってるねえ」