茅山道士 麒妃と麟舒
「麟さん 私の為に申し訳ございません。このような傷まで負わせてしまって・・・・・やはり私には何かよくない物があるのでしょうか。」
「いや、大丈夫です。麟舒さんの魂が何処にあるのか分かりましたから。なんとかして助け出してあげましょう。」
と、かっこよくキメてみたところで麟は身体が痛くて呻いているケガ人なのである。麒妃の館に着いてから また発熱して寝込んでしまった。よほど、その亡霊に対するショックが大きかったのだろうと緑青は思った。最初の亡霊退治というのは自分にとっても かなりのショックを与えたからである。
次の日になっても麟の熱が下がらないので、退治のほうはさて置いて まず亡霊が誰なのかを調べてみることにした。昨日の出来事を娘から聞いたらしく王彦思が見舞いに離れにやって来た。その折りに麟舒の家が昔、誰が住んでいたか、を尋ねてみたが彼が知る限りはずっと麟舒の一族が住んでいるとのことだった。仕方無い、あまり古い人物ではいくら地元の人たちと言えどもわかろう筈がない。基本的な除霊をしてみるとするか、緑青は『よっこらしょっと』と言う掛け声と共に立ち上がって本宅のほうへ歩き出した。
風が心地好く吹いている離れの手摺に座って景色を眺めている。まだ、微熱が残っているせいか、目の前を完全に認識できないが、それがまたいいように思えた。外から誰かが帰って来た。小道を通って向かって来る。相手が自分に気付いたらしく小走りで近づいて来た。相手は体調はどうだ、と尋ねている。
「おまえの発熱の原因がわかったよ。・・・・ったく厄介なことになった。」
緑青は頭をかいて、困った様子を全身で現わしている。彼が先代の師匠から秘術を伝授されなかったのは、この素直さと人情もろいところが原因である。人情に流されて冷静な判断を欠くことになると、先代の鵬道士は考えたからだ。これさえ、抑えられれば・・・・と、麟は思っている。そうすれば、彼は無事、師匠の遺産を手にすることが出来るからだ。一体何があったのか、と麟が尋ねた。すると緑青は麟の熱が治まらないので基本的な除霊だけでもやってみようと思い立ち、麟舒の家を訪れたのだった。
「今日は朝から除霊をやりに行ってたんだが・・・・あの亡霊どうやって妨害したと思う? 」
さあ、とんと見当がつきません。麟はふざけたように返答した。しかし、それを意にも介さず話は続けられた。
「離れの前にこしらえた祭壇めがけて寝台を投げてよこしたんだ。おかげで祭壇はオシャカになっちまって今日は止めにした、という訳だ。その時に霊芝の葉を眼に当てて様子を見たんだが(作者注*霊芝の葉で眼をなでて外を見ると一時的にではあるが志怪の姿がとらえられるようになる)亡霊の背後に麟舒とおまえが写っていたよ。おそらく魂だと思う。三魂七魄の誰かはわからないが、誰かが奴の術に捕まっている。だから おまえさんは精神的にグラついているのさ。今度、奴に逢えば麟舒と同じ目に遭うぞ。」
最後は緑青特有の脅しに似た警告である。素直に心配していることを告げられないから脅しになってしまうのだ。麟は思うところがあるらしく、しばらく考えていたがようやく口を開いた。
「朝から考えていた事なんですが、最後の手段として九天応元雷声普化天尊を呼び出して罰してもらうのは・・・・」
九天応元雷声普化天尊は、その名の通り一切の雷関係の神のうちで最高位に位置している神であり、また五雷、十雷、三十六雷を掌握し、善行をした者は生かし、悪行をした者を落雷で殺すといわれている。その神に対して廟に行って頼めば、願いがかない亡霊は地獄へ落とされることになるだろう。しかし、緑青は被害が甚大になるという点で反対した。落雷が一度で亡霊を直撃してくれればいいが、もし何度も同じ場所へ落雷すれば、下手をすると落雷で麟舒の家が吹っ飛びかねない。それに麟舒自身にも被害が及ぶだろう。それは捕われている麟にも。天尊に頼むのは最終手段として一時保留することにした。庭はふたりの深刻な話とは完全に無関係に揺れている。さわやかな風が庭を駆け抜けて通り過ぎる。
・・・・亡霊騒ぎがなければ、この庭をずっと愛でているのも悪くないな。・・・
不謹慎な思いを麟は心に浮かび上がらせていた。ちょうど、その時に緑青が大声を出したので自分の考えていた事を読み取られたのかとギクリとして飛び上がった。
「そうだ。 もっと簡単な方法があるぞ。地の神に告訴するんだ。神ならば亡霊ごときに害を被ることもない。麒妃に告訴してもらえばいい。うまく行けば誰も傷付けずに済む。」
「しかし、相手が呼び出しに応じてくれればいいですが・・・・」
「それは俺たち道士の腕次第ということになるな。」
そう意見を述べた道士師匠はニヤリと笑ってウインクした。そのニヤリとした顔につられて麟も笑い出した。
「ねぇ、緑青さん 私は割りとおっちょこちょいなんですね。」
笑いながら麟は初めて亡霊と対峙した時のことを話していた。たった一言、術を唱えさえすれば亡霊に対して守りの壁を造れたのに恐怖で頭から術がふっ飛んでしまった為にしなくてもよい怪我をしなければならないなんて。まだまだ修行が足りません。と、麟が初めての経験に対する反省らしいものを述べた。
「あたりまえだ。まだ旅は始まったばかりなんだからな。いきなり最初からうまくいっては修行にならないじゃないか。」
それに長年修行した私の立つ瀬がないし、と緑青が付け足した。
すぐに理由を話し、麒妃を伴って街の城隍廟に行って城隍神に対して麟舒を助ける告訴をさせた。すると、その夜のうちに麒妃の元へ地の神の使いがやってきて、ここから西にある玻亭村に田というお年寄りが住んでいて、かの人は本当は九華洞の仙人であるから頼んでみるように、と告げて戻っていった。
次の日 三人が玻亭村へ行き、田先生の家を捜して老人をみつけると、ひざまずきながら進み寄って、再拝して緑青が言った。
「下界の賤しい俗人が、おそれ多くも大仙様に拝謁させていただきます。」
老人は緑青たちを見ると、さも迷惑そうに、その拝礼をやめさせながら、このような今にもこの世にいとまを告げようとしている老ぼれに・・・と言った。それでも、しつこく平伏していると老人はしきりに手を振ってやめるように再度告げた。老人は村の子供達に読み書きを教えているらしく、家のまわりは子供達でいっぱいだった。そのいたずら小僧たちが、三人をひやかすので麒妃は泣きそうになりながら、もう帰りたいと麟に小声で訴えた。その彼女に麟舒を助けたければ、どんなに辱めを受けようと耐えなければ彼は戻って来ないだろう と麟は言った。その言葉に、麟舒の花嫁は黙って首をうなだれて静かに平伏を続けた。
日暮れから夜中まで、三人は平伏したまま家の前にいた。ようやく夜が更けて人通りがなくなってから、ついに老人が言いだした。
「あなたがたが、それほど熱心に頼むなら、わしもかくしだてはすまい。」
三人がそれを聞くとホッとして、麒妃が涙ながらに未来の夫が横死したいきさつを話した。すると老人は、その事件について自分も以前から知っていて、訴えを待っていたことを教えた。
作品名:茅山道士 麒妃と麟舒 作家名:篠義