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無口と饒舌と糸電話

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「やっぱり、窓閉めたままで良かったね」

 息も絶え絶えの私を見下ろして、弥生が笑う。その憎らしい顔にうるさいよと小さく呟いてごろりと寝返りを打った。背中越しに弥生の笑い声を聞いて、口を尖らせる。

「でも、汗かいたねえ」

 後ろから顔を覗き込む弥生が、汗で額に張り付いた私の髪をかき上げる。横目で窺うと、そう言う弥生の首筋にも長い髪が幾筋か張り付いている。こちらにのしかかっているせいで私のとがった肩甲骨が柔らかな弥生の胸に食い込むのを感じる。その触れ合う肌がべたつくのは私の汗のせいなのか、弥生の汗のせいなのか、それとも、この部屋のじめじめとした空気の中の水分が纏わり付いているからなのか、よくわからなかった。いつもなら不快と感じるそのべたつきも、今はそれ程気にはならなかった。それよりもずっと、弥生の首筋に張り付いた髪が気になって、それを剥がそうと仰向けになり、首筋に手を伸ばす。けれど指が髪に掛かるより早く弥生の顔が降りてきて唇をふさがれた。伸ばした手は彼女の髪ごと頬に当てられることになった。軽く触れただけで戻っていく弥生が私を見下ろす。弥生曰く、頭半分背の高い私を見下ろすことなどあまりないから楽しいのだそうだ。弥生の髪が首や肩に触れてこそばゆい。その髪の中から見上げた弥生の頬と首筋には細く褐色の筋が。先程よりも増えている張り付いた髪を指で払うと、弥生はくすぐったそうに笑った。そしてそのまま体を離し、起き上がる。

「そろそろ着替えよう」

 脱ぎ捨てられた下着を拾い上げ、身に着けていく弥生。私は汗の事が気になって、シャワーを浴びたらどうかと提案してみた。

「近いんだし家で浴びるよ。さすがに気が引ける」

 そう言われて曖昧な相槌を打つ。そして着替えるその姿をぼんやり見ていた。然るべきところに然るべき量の肉の付いた弥生に比べ、自分の体のなんと貧弱なことか。その骨の浮いた体を撫でるときの弥生の楽しそうな表情を思い浮かべる。何が楽しいのだろう。改めて考えると不思議だ。

「奈々は着替えないの? 暑いから窓開けちゃうよ?」

 既に着替え終わった弥生にそう言われて、慌てて着替える。新たに出したTシャツも汗で張り付いて気持ち悪い。弥生はせっせと制汗剤で誤魔化している。やはり後でシャワーを浴びてこよう。それよりも、まずは、この蒸し風呂のような部屋をなんとかしなければ。

 カーテンと窓を開ければましになるかと思ったけれど、外も部屋の中と変わらぬ温くじめじめとした空気に満たされていて、顔をしかめた。振り返ると、弥生が汗のかいたグラスを口に渋い顔をしていた。どうやら持ってきたお茶はすっかり温くなっていたようだ。氷でも持って来ようかと台所に向かおうとすると、弥生は鞄を手に立ち上がる。

「そろそろ帰るわ。あ、この漫画貸して?」

 来たときに読んでいた漫画を手にそう言われ、了承する。今日はまた随分と早急な気もしたけれど、余程汗が気持ち悪いのだろうと一人納得した。

「それじゃ、また」

 玄関で弥生を見送る。またがいつかはわからない。明日かも知れないし、一週間後かも、もっと先かも知れない。学校帰りに弥生が声を掛けてくるときがそれだ。

 弥生とは家も近いこともあり、幼い頃にはよく遊んだものだった。けれど、中学に上がった頃くらいからはたまに下校を共にしたり、ごく稀に家を行き来する程度の付き合いになっていた。それというのも、私が他人との会話を面倒臭がって話の輪に入らなくなっていたからで、いつも楽しげに話しの輪の中にいる弥生とは接点が無くなっていたのだ。今でもそれは変わりなく、学校で弥生と話したりすることはほとんど無い。他のたくさんの友人に囲まれている弥生に私から声を掛けることなど出来るはずもないし、声を掛けたところでろくな会話など出来はしないのだ。会話なら他の友人達との方がずっと上手くいくだろうし、そうして楽しそうに話す様子を眺めるのも悪くない。私は輪の外で本を読んだり、音楽を聴いたりして話しかけ辛い雰囲気を出して級友との会話を回避している。普段の私達が交わすのは会話ではなく、視線だけだ。そんな感じで疎遠な割りに、たまに弥生が気の向いたときに一緒に帰ることだけはずっと続いている。私が相槌を打つくらいしか話さないのを承知の上で声を掛けているのだからと、こちらも気楽だ。そして最近は、私の家まで来て、寝る。

 私達の関係は恋人という言葉で言い表すにはあまりにも希薄だ。けれど、誰にも知られずに交わされる視線とその行為は他では得られない幸福感を私に与えている。それは秘密を共有していることから来る高揚感なのかも知れないけれど、それだけでは無い何かがそれらの中にこめられているからなのかも知れない。その何かを口にしたことはお互いに無いけれど。

作品名:無口と饒舌と糸電話 作家名:新参者