circulation【2話】橙色の夕日
しかし、どうみても彼は一人で、辺りにもそれらしい人物は見当たらない。
踊り場のようになっているこの場所の、さらに下へと階段は続いており、また、この踊り場の左右にも、暗く細い道が伸びていた。
道の先はどちらも暗闇に呑まれて見えなくなっている。
まるで迷路みたいだ……。
こんなところで、ずっと一人で、フィーメリアさんは怖くないのだろうか。
「それが……いつも姉が占いに使っている部屋はもぬけの殻で……」
衝撃的なことを口にするファルーギアさんが、あまりにも先程と変わらないのんびりっぷりなので、どういった反応をすればいいのか分からなくなる。
「その部屋以外は私もろくに入ったことが無くてですね……。
ちょっと、屋敷に戻って地図を取ってこようかと思ったところなのですよ」
「そ、そうなんですか」
ぎこちない表情でそう答えて、私はファルーギアさんと一緒に元来た階段を登る。
フィーメリアさんがどうなったかもわからないのに、笑いかけるわけにもいかないし、かといって、ちっともおおごとでなさそうなファルーギアさんに、あまり深刻な顔をするのも場違いな気がした。
なんだか調子が狂っちゃうな……。
ファルーギアさんの後ろで、こっそり肩を竦める。
もし、フィーメリアさんまでこんな風にマイペースな人なのだとしたら、ファルーギアさんの言うように、しばらくこんなところに閉じ込められていたとしても、案外平気で居るのかもしれない。
それならいいんだけど……。
一歩階段を登る毎に、足元からかびの臭いがたっぷりの、よどんだ空気が舞い上がる。
こんなところに、一人きりで、その上食料も無いのだとしたら、私なら耐えられないだろう。
彼女の無事を祈りつつ、デュナとスカイが顔をのぞかせている遺跡の出口を見上げた。
ファルーギアさんと一緒に五人で屋敷に戻ると、彼は書斎らしき部屋から一枚の地図を引っ張り出してきた。
机いっぱいに広がる、模造紙のような大きさの地図は、その広い紙の上にぎっしりと通路が書き込まれていた。
地下一階、二階、三階……まであるのか……。予想以上の規模に軽く目眩がする。
地下三階は遺跡の中央にポツンと一室出来ている形になっており、そこに注釈として遺跡の主が眠っていると添えられている。
……つまり、あの遺跡は先人の残した巨大な埋葬施設だったのか。
気付いた途端、背筋を悪寒が駆け上がる。
あのかび臭さも陰気さも、むしろ墓として当然の雰囲気だったのだ。
「うーん……」
ファルーギアさんは小さく唸ったきり、細い顎を指先で擦りつつ考え込んでしまっていた。
デュナは真剣な眼差しで地図を見つめ続けている。
報酬の話はまだ出ていないのだが、デュナが催促しないと言う事は、まだ彼女の中で、この仕事は終わっていないのかもしれない。
私も、なんとなくフィーメリアさんが発見できないことには落ち着かない気がする。
静まり返った部屋で、私の左隣に立っていたスカイが腕を肘で軽く突付いてきた。
スカイを見上げると、スカイの視線は私の右側を見ている。
視線を辿った先には、フォルテが小さく震えていた。
机の端に両手をかけて、頭一つ分、なんとか机の上に出して地図を見ていたフォルテだったが、今は、その大きな瞳があからさまに怯えたような色を宿していた。
どうしたのかと声をかけようとして、その瞳が凝視している部分が、先程私が見ていたものだという事に気付く。
「フォルテ、大丈夫、怖くないよ」
軽く屈んで、その小さなふわふわの頭を軽く引き寄せる。
優しく囁くように、その恐怖を溶かす事が出来るよう祈りつつ声をかける。
目の前で、小さな唇が動くのが見えた。
「これ……お墓なの?」
机の向こう側に立つファルーギアさんに聞こえないようにか、フォルテはいつも小さめの声をさらに小さくして問いかけてきた。
「そうみたいだね」
私の言葉に、フォルテの瞳が揺れる。
「フィーメリアさんは大丈夫だよ。何も怖いことなんかないよ」
どこにも根拠はなかったが、具体的でない何かに怯える子にかけられそうな言葉なんて、他に思いつかなかった。
いつの間に回り込んできたのか、フォルテの右にスカイが顔を出す。
「そもそも、見知らぬ人間の墓を怖がる理由なんてないだろ?」
スカイもやはり、私と同じく精一杯優しい声で話しかけていた。
的を得ないような顔でフォルテがスカイを見上げるので、私もつられてスカイを見る。
「だって、幽霊とか……出るかもしれないよ……」
「どうして? フォルテはその人に何かしたのか?」
「……何にもしてない」
「じゃあ、向こうだって何もしないだろうさ」
「あ……そっかぁ」
フォルテがふにゃっと表情を崩したのを見て、心底ホッとする。
理想を言うならば、この子にはいつも楽しく笑っていてほしい。
あの日、暗い森で一人泣いているフォルテを、過去の記憶を一切無くしてしまったフォルテを拾ってきた事に、私は責任と、自分でも気付かないほどの強い罪悪感を感じていた。
私とデュナとスカイ。三人での初めてのクエスト。
デュナとスカイは既に、私が魔法使いになるべく修行をしていた二年間の間もずっと二人パーティーでクエストをこなしていたのだが、私はその日が冒険者としての初めての冒険だった。
簡単にできる物を。と言う事で、家から三十分ほどで着く森に、薬草集めに来ていた。
薬草が必要数集まり、帰ろうかという頃、森の奥から小さな泣き声が聞こえてきた。
途切れ途切れの泣き声を辿って行くと、そこにフォルテが居たのだ。
自分がなぜこの森に居るのかも分からず、今までどこに居たのかも分からず、自分の名前すら思い出せない女の子。
その日は朝からどんよりと重い雲が幾重にもかかっていて、ついに雨が降り出してしまう。
泣き続けるその子を放っておくわけにもいかず、私達はその子を家へ連れ帰った。
デュナがステータスチェックでその子を確認すると、名前と年齢、身長体重以外の全てが空欄だった。
フォーテュネイティ・トリフォリウムという、とても長い名前の女の子を、私達はフォルテと呼ぶことにした。
それからしばらくは、フォルテの身元を調べる為走り回ったり、記憶を何とかして取り戻そうとしていたわけだが……。
……こうして毎日一緒に冒険をしているというのが、その全ての結果だった。
たとえば。
フォルテを拾ったのが私達じゃなかったら、施設に預けようというデュナの意見に私が従っていたら、フォルテは今頃もっと幸せに暮らしていたのかもしれない。
そんなことを、ちょっとした瞬間にいつも思ってしまうのだ。
そう、こんな風に、クエストの過程で不意にフォルテを怯えさせてしまったときなんかに。
背中にそっと手が添えられる。温かさを感じて振り返ると、スカイの、黒いグローブで覆われた腕が見えた。
フォルテは地図を楽しそうに眺めている。
時々「あー、行き止まりだー……」と小さな呟きがもれることから、どうやら、入り口から三階へと降りられるルートを探す遊びをしているようだ。
スカイを見れば、ほんの少し心配そうな顔で私を見つめていた。
作品名:circulation【2話】橙色の夕日 作家名:弓屋 晶都