circulation【2話】橙色の夕日
2.遺跡
ドアノブに手をかける。少しざらついた、冷たい鉄の感触。
時間と共に風化したのか、雨に打たれて錆びた跡か……。
ぼんやりと、そんなことを考えながらノブを回す。
回りきる瞬間にほんのちょっと目眩を感じたが、それきりで、扉は簡単に開いた。
「おー。開いたな」
スカイの声に振り返ると、皆が後ろから中を覗き込んでいた。
扉の向こうはすぐ階段になっており、明かりも窓もない地下へと続く細い階段は、その姿を闇へと溶けこませていた。
「うぅー……」
スカイと一緒に階段を覗き込んでいたフォルテが、鼻を覆って後ずさる。
地下遺跡は、よどんだ空気に、かびの臭いが充満していた。
眉間に皺を寄せて下がってしまったフォルテを目で追うと、その後ろにファルーギアさんが立っている。
彼は、持ってきていたランプに火を入れていた。
「ありがとうございます」
そう言ってファルーギアさんが私の押さえていた扉を支える。
閉まらないようにだろう、扉の足元に太目の木の枝を差し入れている。
「それでは、私は姉を探してきますね」
階段に一歩足を踏み入れたファルーギアさんの背にデュナが声をかける。
「私達はここで待っていたらいいのかしら?」
「ええ、もしくは屋敷に戻ってお待ちいただいても、どちらでも構いません。
報酬は戻り次第、屋敷でお支払いします」
薄暗い階段を一人下りてゆくその背中に「お気をつけて」と声をかけるべきか迷ってしまう。
私達には、暗く広く迷いそうに思えてしまうこの遺跡だが、彼にとってみれば、ちょっとした離れのような感覚なのではないだろうか。
だとしたら「お気をつけて」というのは大仰だ。むしろ失礼な気さえする。
結局、かける言葉を見つけられないままに、撫肩のせいか、余計に小さく見えるファルーギアさんの背中を見送った。
「どうする? 屋敷に戻るか?」
顔を上げると、スカイが片手を腰に当て、私達を見回している。
「このままファルーギアさんを待ちましょう。
うっかり扉が閉まってしまったら、フィーメリアさんと一緒じゃないと、彼も出てこれなくなりそうよ」
デュナが、扉を支えている枝を見下ろして言った。
確かに、これを見る限り、内側からなら開けられるとか、そういう事はなさそうだ。
「これで二千か。確かに美味しいな」
「そうでしょう? ホント、他の人に取られてなくてよかったわ」
ニヤリとほくそ笑む彼女の瞳をメガネが隠す。
なんだか悪そうに見える彼女の笑顔と対照的に「だな」と同意したスカイの笑顔は人懐こく爽やかだった。
この入り口から、占いをしていたという部屋までは、どのくらいかかるのだろう。
いつまでもぼーっと突っ立っているのも何なので、私達は草原に敷物を広げて座り込んでいた。
天気は良いし、風もそよそよと柔らかい草の上を撫でている。
「こうしてると、眠くなってくるな」
あぐらをかいたまま、後ろに伸びをするスカイ。
私の膝の上には、フォルテの頭がちょこんと乗っていた。
こちらは既に夢の国らしい。
デュナは先程から熱心に、手の平大の小さなノートに数字や記号を延々と綴っていた。
時々、あの扉の前に行っては、触れたり、精霊を呼び出してなにやら試しているようなので、大方魔力反応の扉の解析をしているのだろう。
デュナの実力が、こうした日々の努力の賜物なのだという事を、私達は知っていた。
もちろん、デュナ自身は好きでやっていることなので、私が凄いなぁと思うほどには、苦でないのだろう。きっと。
カシャン。
と、金属製のものが何かにぶつかったような音が小さく聞こえた。
地下からだ。
皆が息を潜めるように、耳を澄ましているのを感じる。
ちょうど扉の傍に居たデュナは、じっと中を凝視していた。
スカイも階段に向かおうと立ち上がるが、私はどうしようか。
膝の上のフォルテの寝顔をちらと見て、視線のみを扉の向こうへと投げかけた。
「ファルーギアさん?」
デュナが暗闇の向こうへと声をかける。
「ああ、すみません。うっかりランプを落としてしまって……」
ファルーギアさんの声は、私に耳にも入ってきた。
そう遠くない場所にいるようだ。
「うーん。ラズ、ちょっと照らしてきてくれる?」
デュナが少しだけ申し訳無さそうに声をかけてきた。
どうやら、ランプの火が落ちた衝撃で消えてしまったらしい。
「うん」
まだぐっすりのフォルテをそうっと膝からおろして、マントのポケットからロッドを取り出す。
手にしっくりくる木の柄。先端には黄色い握りこぶし大の球がついた、使い慣れたマジックロッド。
昨日、夕方になってやっと瓦礫の隙間から回収してきたロッドだ。
デュナはあの後、マーキュオリーさんのお屋敷で休んでいたので、私とスカイとフォルテの3人で、あちこち瓦礫をひっくり返して捜した。
それでも、重たい石壁を撤去するような仕事は、犯人達の召喚した人形がやってくれたので、肉体労働というほどの事はしていないが……。
ロッドの先の球に、溢れない程度の光を集める。
光を集めてくれた精霊に、お礼の精神力を差し出すと、開け放たれたままの扉をくぐる。
ちなみに、デュナは明かりを灯すとなると大抵火を使う。
デュナの話によると、光を留めておくのは難しいことなのだそうだ。
私に言わせてもらえば、火を絶やさず灯し続けることの方が大変なように思えるが、そこはやはり、オーダーのやり方次第なのだろう。
私とデュナは、一見、同じように精霊を用いて魔法を使っているように見えるものの、その過程が全く違っていた。
私は、精霊にイメージで必要な物を伝えるのに対して、デュナは、欲しいものやその分量を、分子レベルで正確に指定する。
と言っても、精霊が化学を分かった上で要求に応えているわけではなく、デュナの中で正確にイメージされた物をそのまま返しているに過ぎないわけだが。
それは例えば、水をきっちり二十ミリ取り出したい時など、細かい調節にとても向いていた。
私の場合は"ちょっと"だとか"これくらい"だとかそういう伝え方しかできない為に、必要以上に取り出してしまったり、足りなかったりしてしまうのだが、彼女にはそれがない。
かといって、魔法使いが全員化学を学んでデュナのようになるのかと言えばそうでなく、過去大魔術師と呼ばれてきた人達は、むしろイメージで取引をする人の方が多かったりするわけだが……。
そこらへんは、向き不向きの問題なのだろう。どちらが正しいというわけでもない。
デュナのやり方の方が、応用がしやすく小技が使いやすいのは確かだが。
杖を掲げて、温かい光に照らされた階段を降りてゆくと、程無く床に屈み込み、手探りでランプを捜していたファルーギアさんの姿を認めた。
「大丈夫ですか?」
「はい、すみません……」
光球の明かりが床に届くと、少し向こうに転がっていたランプを拾い上げ、ファルーギアさんがペコペコと頭を下げた。
「ええと……お一人……ですか?」
ファルーギアさんは、フィーメリアさんと二人で戻ってくるはずだった。
作品名:circulation【2話】橙色の夕日 作家名:弓屋 晶都