circulation【2話】橙色の夕日
7.忠告
お屋敷に戻ると、デュナは早速ファルーギアさんと研究室に篭ってしまった。
「先に寝てていいから」と言い残されたという事は、つまり夜中まで……もしくは朝までかかるのだろう。
私達三人は簡単に夕食をいただいた後、昨夜泊まった部屋へ戻った。
フォルテは、デュナから時間がかかることを聞かされていたのか、図書館から本を二冊借りていた。
一冊はもう少しで読み終わるらしく、もう一冊はそれの続きなのだそうだ。
一応昨日も部屋で洗濯はさせてもらっていたのだが、今日の下着も念のため洗っておこうかな……。
家を出てもう六日。明日で七日目になる。
インナーはローテーションしているものの、建物倒壊やら、遺跡探索やらで、マントや帽子もいい加減埃っぽくていけない。
そろそろ一旦家に帰って、お日様の下でゆっくり洗濯物を干したいものだ。
しかし、ザラッカからまっすぐ家を目指しても丸二日は歩かないといけなかったし、
朝から出られなければ、二泊することになる可能性だってある。
うん。やっぱり洗濯できるときにしとこうっと。
「あともうちょっとー」と抵抗するフォルテをなだめてシャワールームへ連れて行く。
宿には、色々な地方からのお客さんの為か、バスタブのあるところもちらほらあるのだが、マーキュオリーさんのお屋敷にも、このお屋敷にも、四角く区切られたシャワールームしかなかった。
フォルテの手を引いて廊下を歩く。
シャワールームは自由に使うよう言われていた。
「さくっとシャワーを浴びて、ゆっくり続きを読んだらいいから……」と声をかけると
「うん……」と気の無い返事。落ち込んでいるというよりは、心ここにあらず。という感じか。
どうやら、半分以上頭がお話の世界に浸かっている様だった。
足元すら見えていなかったのか、何も無い廊下でフォルテが躓く。
反射的に繋いでいた腕を引き上げて、なんとかフォルテは転ばずにすんだ。
驚愕の表情で目を見開いたまま、固まっているフォルテ。
急に現実の世界に引き戻されて頭の中身が追いついてこないのだろう。
「もう、ちゃんと前見て歩かないと危ないよ?」
硬直したままのフォルテがおかしくて、苦笑しながら瞳を覗き込む。
どこを見ているのかよく分からないラズベリー色の美味しそうな瞳が、その焦点をようやく私に合わせると、ホッとしたように照れ笑いをする。
「えへへ……ごめん……」
……本当だ。
私は、テラスでの会話を思い出していた。
私が笑えば、フォルテはそれだけで十分安心できるんだ。
刷り込みでもなんでもいい。この笑顔に応えていこう。
これからも、ずっと。
不思議と前向きに。
かといって無駄に力を入れることなく、自然とそう思えた事を、心の底から嬉しく感じる。
フォルテの手を握りなおして、私達はまた廊下を歩き始めた。
こうして、ファルーギアさんのお屋敷で過ごす二日目の夜は、穏やかに過ぎていった。
翌朝、私達はデュナのハイテンションな叫びで起こされた。
「出来たわよーーーーっっ!!」
朝と言っても、時計の針はやっと五時を回った頃だ。
「う、うう……んんー……。デュナ、おはよう……」
何とか、眠りの淵から這い出て返事をする。
「あら? フォルテは起きないわねぇ」
顔を上げると、デュナは本を抱えたままぐっすり眠っているフォルテの頬をぷにぷにと突付いていた。
「ああ、うん。昨日は結構遅くまでそれ読んでたみたいだから……」
結局、最後まで読んでから寝てしまったのだと思う。
私が寝てしまう方が早かったので、ハッキリとは分からないが、もう私が眠りにつく頃には、残りページ数も少なかった気がする。
もちろん、二冊借りてきた方の、二冊目の方だ。
「ふーん……。じゃあ、ラズだけでいいわ。今からフィーメリアさんに薬を飲ませるわよーっ」
そう叫ぶと、デュナは廊下に出て行ってしまった。
扉も開け放したままに。
うーん……テンション高いなぁ、寝てないからかな……。
のそのそと靴を履いて、マントを羽織る。
グローブと帽子は無くて構わないだろう。
幼い頃から旅暮らしだった私には、寝巻きに着替えて寝る習慣がないので、部屋を出るにはそれだけで十分だった。
フィーメリアさんの部屋へ入ると、デュナとファルーギアさんがフィーメリアさんのベッドの枕元に立っていた。
手には薄紫色の液体が入った三角フラスコを持っている。
あれが中和剤だろうか……。
傍の椅子には、椅子の背を抱くようにして座っているスカイが居た。
どこか遠い目をして、力なくうなだれているようにも見える。
「おはよ」
「おー……おはよぅ……」
声をかけると、のっそりこちらを見上げた。
爽やかの代名詞のような彼が、珍しい。
目の下にはうっすらとクマが出来ていた。
「寝不足?」
「まぁな……」
苦笑した、のだろう。僅かに表情が歪む。
デュナが、ちらとこちらを見て説明した。
「ああ、スカイで薬品の実験してたのよ。摂取量に対する薬品の量とか、試してみる方が早かったから」
なるほど……。
つまり、スカイは一晩中、実を食べさせられては薬を飲まされて……の繰り返しをしていたという事か。
「ブラックブルーの実、思ったよりうまかったよ」
力なく笑いかけるスカイの笑顔は、なんだか儚げにも見えた。
「そ、そうなんだ、それは……」
なんて言おうか一瞬迷ったが、たとえそれがものすごく不味い味だったとしても、スカイは食べなくてはならなかったのだろう。
「……よかったね」
「おう」
足元を過ぎる風に気付いて部屋を見渡すと、二つある窓はどちらも全開になっていた。
……何で窓が開いてるんだろう。
疑問を口にしようとデュナを見上げると、その肩先には風の精霊がとまっていた。
「二人とも、こっちに来なさい」
デュナの指示に、私達はデュナとファルーギアさんの立つ、奥側のベッドサイドへ移動した。
すぐに、私達を囲むように風の障壁が張られる。
それは、フィーメリアさんと私達を隔てる形になっていた。
デュナは二つ目の構成を組み始めている。その指先に、また風の精霊が姿を現す。
見れば、先ほどのフラスコは栓の開いている状態でベッド脇のサイドテーブルに置かれていた。
デュナが構成を実行に移すと、フラスコの液体が霧散する。
ほんのり紫がかった霧が、フィーメリアさんを包み込んだ。
薬品を吸入させるつもりなのだろう。霧のほとんどは顔に集中していた。
それと同時に、ファルーギアさんが秒針の付いた懐中時計を覗き込んでカウントを始める。
精霊を用いた、一般的に魔法と呼ばれている"精霊魔法"には、どうしてもできない事があった。
それは、人間や生き物の体に、直接作用する事だ。
魂を持つ物の体は、魂によって守られている為、精霊達には手出しが出来ないらしい。
逆に、神の力だとか奇跡の力だとか呼ばれる回復系の魔法は生き物に直接作用するものだったが、これには人を傷付けるような類の呪文が存在しないと言われている。
もっとも、悪意に満ちた人や、神の存在を信じない人には簡単な治癒術も使えないわけだが。
作品名:circulation【2話】橙色の夕日 作家名:弓屋 晶都