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circulation【2話】橙色の夕日

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 全てが見透かされてしまいそうな焦燥感がじわりと湧き上がる。

「ラズー、やっほー」
 遠くから、フォルテの声がする。
 少し風に消されてしまったようなその声は、テラスの斜め下の方から聞こえてきた気がして、そちらに目線をやる。
 二つ下の階にあるテラスに、フォルテとデュナの姿があった。
 ぶんぶんと手を振るフォルテに、慌てて手を振り返す。
 フォルテの後ろでは、デュナが少し申し訳無さそうに、肩を竦めていた。

 もう、離れてそんなに経っていたのか……。
 フォルテは、長時間私の姿が見えないと、必ず私を探しに来るところがある。
 柔らかな西日が夕焼けになる程だ。
 本に夢中だったとは言え、流石に不安になってしまったのだろう。

 基本的に、そういう時は、私の姿さえ確認すれば安心してくれるので、デュナは私がまだテラスにいることに賭けて、フォルテを傍のテラスに出してくれたようだ。
 直接会わないで済むよう気遣ってくれた彼女に感謝する。
 図書館の天井は高く、二階下と言っても表情がハッキリ見えないほどには離れていた。

 こうやって、私の名前を繰り返しては、不安そうに探しに来るフォルテを、親離れできない子供のようで可愛らしいなどと思っていた自分を猛烈に責める。

 あの子は、記憶にこそ無いけれど、何かを失ってしまった事は分かっていて、それで私を探すんだ。
 ふいに、記憶を無くしてしまったように。
 フォルテにとっての私達は、またふいに消えてしまうかもしれない存在なのだろう。
 その可能性は、私にも否定できない。
 冒険者だなんて、いつ死ぬかも分からない稼業をやっていればなおさらだ。

 笑顔で手を振るフォルテを見る。
 どうしてあの子が、私にこんなに懐いているのかなんて、分かりきっていることだった。
 あの子を拾ったのが私達で、あの子の面倒を見ているのが私だからだ。
 フォルテには他に頼れる人が、本当に、誰も居ない。
 この広い世界で、フォルテの中には私達の存在しかないのだ。
 私に向けられるこの信頼は、いわゆる刷り込みのような物なのだろう。
 フォルテの笑顔を、私はどうしようもなく悲しい気持ちで見つめていた。

 ひとしきり手を振って満足したのか、フォルテはデュナに背を押されながら中に入ってゆく。
 それを見届けてから、何気なく振り返ると、強い眼差しでこちらを射抜いているスカイがいた。

「……なんだよ……それ……」

 私を見つめるスカイの真っ直ぐな瞳が、じわり。と揺らいだ。
 な、な、なんだろう……。何か今、私はまずい事をしただろうか……?

「どうして、フォルテをそんな顔で見るんだ?」

 あー……。えーと。
 おそらく、さっきフォルテに向けていたつもりの笑顔は、スカイから見て、とても笑顔には見えなかったということか。
 ……フォルテに伝わっていないといいけれど……。

 感情が顔に出やすい自分にうんざりしつつ、どうしても逸らせそうに無いスカイの視線を受けて、仕方なく見返した。
 少し怒ったような口調とは裏腹に、彼は今にも泣き出しそうな顔に見えた。
 感情の顔に出やすさで言えば、スカイも同じような物かもしれない。
 シーフとしてそれでいいのか、少し疑問が残るが、詐欺師ではないわけだし、問題無いという事にしよう。
 黙ったままの私に、再度スカイが口を開いた。

「……何か、あったのか? いや……あったんだろ……?」

 断定されてしまった。
 言い逃れる事も出来そうにない雰囲気に、詰めていた息をゆっくり吐き出すと、私は、さっき見た記事の内容を思い浮かべる。
 どこから話そうか。

「ええと……。さっきね、一年位前の新聞を、偶然見かけちゃって……」

 あれ。

 スカイの顔色が変わった。
 さっと血の気がひいたその顔を地面に向けながら、彼は何か苦いものを無理矢理飲み込もうとしているようだった。
 えーと……。
 もしかしなくても、これは、知っていたという事か。
 つまり、三人のうちで知らなかったのは、私だけだったという事……か……。

「……なんだ、スカイも知ってたんだ」
 自分の声が、思ったよりもずっと冷たい響きで聞こえる。
「っ……」
 私の言葉にスカイがたじろいだのが、ハッキリ分かった。
 別に、責めたつもりではなかったのだけれど、そう取れたのかもしれない。
 掠れそうな声を、絞り出すようにして、ぽつり、ぽつりとスカイが言葉を零す。

「……いや。あのデュナが、さ」
 テラスは大分冷え込んできて、風が冷たく肌を撫でる。
「ほんの二ヶ月足らずで、何の収穫もなく、フォルテの身元捜しを諦めるなんて、……おかしいと、思ったんだ」
 俯いていた視線を、もう一度私に合わせて、息を吸い込むスカイ。
「それでさ、聞いてみた。……いや、問い詰めたって言う方が正しいかな。そしたら、その話を……」
「そっか……」
 いつの間にかそうとう傾いてきた夕日に、二人の足元では影が長く伸びていた。
 夕日の眩しさに、思わず目を細める。
「俺さ、デュナがフォルテを施設に入れようって言い出したとき、反対できなかったんだ。賛成も出来なかったけど、反対できるほどの覚悟もなくてさ……」
 頬に夕日をいっぱい浴びたスカイが、ふわりと笑った。
 それは、まるで夕日に溶けてしまいそうな、柔らかい笑顔だった。
「けどさ、あの時、ラズが引き止めてくれて、もうちょっと探そうって言ってくれて、俺は今、本当によかったと思ってるんだ」

 ……私だって、その時この話を知っていたら、止められなかったと思うけど……。

「今さ、俺たちの傍にフォルテがいて、みんなで笑ってられるだろ?
 あの時バラバラになってたら、こんな風に揃って旅したりも出来なかったもんな」
「……それが、フォルテの為に良かったのかは、分からないよ……」
 俯きかけた私の肩をガシッと強引に掴むと、そのままテラスの手すり際に押される。
「下向くなって。ほら、いい景色だろ」
 目の前に、キラキラと輝く夕日に彩られたザラッカの町が広がる。
 ミニチュアのお城達が並ぶ町並みは、今、黒とオレンジのコントラストに包まれていた。
「うん……。綺麗……」
 うっかり見とれていると、スカイが横に並んで同じように町を見下ろしながら言った。
「多分さ、デュナも本当は施設に入れたくなかったんだよ。フォルテを。そうじゃなきゃ、ラズにも言ってたはずだろ?」
 ちらと隣を見ると、そのラベンダーの瞳に夕日がくっきり映っている。
「きっとデュナは、ラズに止めてほしいって心のどこかで思ってたんだ。
 ……だから、ラズが一人で責任感じることじゃないんだぞ?
 俺だって、分かってて何も言わなかった、共犯者なんだからさ」
「犯罪者みたいに言わないでよ……人攫いみたいじゃない」
 張り詰めていた空気も、緊張も、全てが夕日に溶けてしまった気がして脱力しながら笑うと、スカイがまるで子供のような人懐っこい笑顔を返してきた。
「やっと笑ったな」
 嬉しくてたまらないという表情に、思わずふき出してしまう。
 あれだ、えーと、悪戯が成功して、嬉しくてたまらない子供みたいな感じ。とでも言えばいいだろうか。