その声は消えない
私の言葉は、強弱のない音しかないこの教室のなかでは、とても異質に響いた。
一番悲しいこと。その言葉に、呼び水のように私のなかの何かが吸い寄せられる大きな流れを感じて、声が震えた。
なんでだろう。胸の内側から蹴飛ばされるような感覚に、息が苦しい。
何かが出たがっている。
表に出ずに息をひそめていた言葉が、私を内側から食い破ろうとしている。
「私、あれから教科書見直したんです。正解、見ました」
「ちゃんと復習したんですね。何て書いてありました?」
プリントをまとめる手を止めて、先生は私をまっすぐに見た。急に取り乱した私に驚くことなく、とても穏やかな目で。
「自分が、誰からも必要とされていないと思ってしまうこと」
息継ぎをした。出した言葉に乗って、自分の内側にあった汚くて嫌な部分のすべてが目の前に現れてしまいそうな衝撃に、体が震えた。
「私、この言葉を読んだとき、本当にそのとおりだと思ったんです。だって、これは」
私が、そうだったから。その一言は、言葉となって出てこなかった。
ラストいっぽーん、がんばーっ、おつかれーっ。
グラウンドからの声が、やけに大きく響く。
その声が私に向けられたものでないことに、なぜか無性に泣きたくなった。
「部活、休んでるんです」
脈絡のない私の言葉に、それでも先生は聞き漏らすまいとしてくれていることが、俯いていてもわかった。
「ちょっと前まで、入ってたんです。バスケ部。ヘタだからレギュラーとして試合に出たことなんてなかったけど、それでも楽しかったんです。だんだんボールが手に馴染んでいくのがわかるのが嬉しかった。パスがうまくつながるときが好きだった。楽しかったんです」
流れはどんどん威力を強めている。
「でも、ちょっとした拍子に足を痛めちゃって。致命的な怪我じゃなかったんですけど、どんどん置いてかれました。実力も、それから」
少しためらってから、「みんなとの関係も」と付け加えた。
口にして、自分で認めちゃった。
とうとう誰にも見せまいと守ってきた、私のなかの最後の砦が崩れたのがわかった。
「おかしいんです、私。遅れを心配してみんなが頑張れって声をかけてくれるたび、ありがとう頑張るからって笑顔で返すくせに、ずっと思ってたんです。もう頑張りたくないって」
グラウンドからの声は、もう聞こえない。ひたすらに静かだ。
音がないということは、こんなにも心細いことだったっけ。
「走っても、汗と涙の区別がつかなくなるくらい走っても追いつけないんです。あとどれだけ頑張ればいいんですか。頑張れば、いつか報われるんですか。疲れたって言っちゃ、いけないんですか。立ち止まりたくなることは、卑怯なことですか。そんなことないって思っていたいのに、もう自分に言い返せないんです」
頑張れと応援されるたびに、背中を押される気がした。
退路からどんどん遠くへと押し出されて、ただ前へ前へと、みんなが正しいい道だと信じる方向へ。
疲れきって歩けなくなるまで、それは続いた。気付けば、どことも知らない場所に、私は一人で座り込んでいた。
「わかってるんです。目標に届かないのなら、もっと頑張るしかないって。実際にそうしている人はたくさんいて、みんな弱音に負けずに努力し続けてる。ただ、私は、言ってほしかったんです。頑張ってるねって。届かないこの悔しさを、わかってほしかった」
これじゃ、子どものわがままだ。自覚はある。
でも、私がたしかにそう思ったことは確かなのだ。
「自分が悪いなんて思いたくない一心で、だんだんチームメイトを恨んでることに気付いて、すごくこわかった。どうすればいいのか、わかんないんです。ただ、逃げ出したかった。チームメイトを嫌いになっていく自分を、これ以上嫌いになりたくなかった」
何だかんだと理由をつけて、結局は自分が傷つきたくなくて、それでいて認めてほしいと期待して、それがダメなら他人を恨む。こんなの最低だ。
わかってる。そんなの、わかってるよ。
「部活から離れてみて、私なしでもちゃんとまわっていることを知ったときは、ちょっと笑いました。私一人の空回りなんて、周りにとってはどうでもいいことですもんね。それだけのことなのに」
必要とされていないように感じた。そう言おうとして、喉が詰まった。
同時に鼻の奥がつんと痛んで、両目から次々と涙が落ちる。
他人が許せないとか、そんな自分が許せないとか、そんな行き場のなかった気持ちは、狂暴なまでの感情のうねりに流された。
音のなくなった私のなかでは、ひたすら一つの声が響く。
どうして、と。どうすればいいの、と。
それは、何かを否定するために声を張り上げてきた感情に、今までずっとかき消されてきたものだった。
一番深いところで、ずっと叫び続けてきた、私の声だった。
わからないの。どうしてこんなに何かを欲しがってしまうんだろう。突き放したいくせに、いつまでも縋りついてしまうのはなんでだろう。
わからないよ。
「本当は、わかっているんじゃないですか」