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誘拐犯とパンケーキ

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   * * *

 一人になった。今朝、目隠しや猿轡を外された、父上の書斎。売れるものは全て売ってしまったから、本棚も何もない。あるのは椅子と机だけ。
 夕日が閉ざされた深緑のカーテン越しに私の目を焼いた。目隠しも猿轡もないけど、椅子に座らされて縛られているのは今朝と同じだ。元・自分の家で縛られるなんて変な気分。おかしくて涙が出そう。
 不意に足音が響いてきた。ビクリと身を竦めるも、「入るぞ」との声に肩の力が抜けた。
「生きてるか?」
「残念ながら」
「……泣いてたのか?」
 本当、デリカシーに欠ける奴。そこは見て見ぬ振りをすべきところだろうに、クロは自分の服の袖で私の目元をグイグイ拭いた。
「さすがにもう勝手は出来ない」
「別にいいわよ」
 もう縄を解けとも訴えなかった。何だか気が抜けてしまって。これからどうなるのか。マヤ家がどう反応したのか気になるけども、私の知る由もない。けれど、とりあえず今ここで殺されることはないだろう。クロの持ってきたそれに毒が入っていなければ。まだ湯気の立つそれ――パンケーキにおなかが鳴る。
「腹減っただろ」
「……それは“勝手”の部類に入らないのかしら?」
「『人質に死なれちゃ困るだろ』とでも言っておくさ」
 ということは勝手な行動なのだ。引き寄せた椅子に座るクロに私は苦笑しながら、向けられたフォークに口を開いた。思えば食事はほぼ一日振りだ。咀嚼する私への「うまいか」との問いに、飲み込んだあと答える。
「焦げてる。なのに生地は生焼け。強火で焼いたわね」
「……」
 ぴたりと手が止まった。子に対する母親のように、食事を与えていたクロの顔がつまらなそうに歪む。クロはおしゃべり好きなだけあって、表情も豊かだと思う。下手すれば私よりも。
「でも、悪くないと思うわ」
 私がそう続けると、年上の男はまるで小さな子どものように照れた笑顔を浮かべ、けれどそれをすぐに消して私に餌付けを再開した。
 甘さと苦さが、変にミスマッチしたパンケーキ。ジャムもシロップもない、普通だったら失敗作と評する出来だけど、今の私には最高のごちそうだった。
「……あの人は?」
 この問いは二回目だ。お互いに無言で一枚目を食べ終えた頃合に、私は食事ではなく質問のために口を開いたのだが。
「オレの兄貴」
「……ふざけてるの?」
 まさか二度もボケられるとは思っていなかった私は、一気に脱力してしまった。そんな私の苦笑を見て、ふっとクロの顔も緩んだ。……慰めてくれてるのだろうか。
「アスなら出てる」
「また?」
「受け取り時刻なんだ」
 はっとした。そういえば自分が人質ということは、身代金も要求しているということなのだ。攫われたことばかり頭にあって失念していた。
「いくら?」
「……ここから高飛びして、一生遊べるぐらいの額」
 直接の数字は教えてもらえなかった。教えてもらったとしても現状に変わりはないから意味はないのだけど。
「……でも、私は」
 フレーダお嬢様じゃないわ。
 続けようとしたセリフは二枚目の一口パンケーキに遮られた。聞かれたくない、話したくない、要は自分のミスは認めたくないという意思表示に、私は無言で口を動かす。飲み込んだらまたすぐに次がくる。その繰り返しで、結局皿の上のパンケーキを食べ終わってしまった。それは同時に、会話のチャンスの終わりでもあった。
 私はこれからどうなるのか。
 それだけでも訊こうとすると、クロは有無を言わさず立ち上がってしまった。踵を返した瞬間、かちゃんとクロの手許から何かが落ちる。
「落ちたわよ」
 ちょうどクロの座っていた椅子の上で止まったそれを顎で示しながら指摘するも、クロは立ち止まらず歩き続ける。
「――聞こえないな」
 そしてそのまま、扉の向こうに消えてしまった。
 私は足音を聞きながら、閉められた扉から椅子の上へと視線を移す。
「……バカ」
 私は夕暮れの線を通り越し、椅子をガタガタ鳴らしながら向きを変えて、鎮座しているナイフへ後ろ手を伸ばした。

   * * *

 この時間にこの場所に一人で立つのは二度目だった。一度目は友人と遊びすぎて、門限を過ぎて正門をくぐるのを躊躇った数年前。なつかしい高い目線の風景に、つい目を細めてしまう。そして二度目は今現在。
「動かないで下さい」
 既に聞きなれた部類の丁寧語に思わず身が縮こまる。直後、ギンと耳障りな金属音と、靴と砂のズレる音が鼓膜を揺らす。
 錆び付いた裏門のちょうど真上で邸の敷地内を見下ろすと、クロの黒髪が見えた。あれきり関与しないと思っていたのに、何故。
 もっと下に目線を下ろすと、地面に一本のナイフ。これを投げられたのだ、と気付いて今更ながら私は泣きそうになった。
 裏口から駆けて来てくれたクロの手には鞘入りのままのナイフ、裏庭に立ったままのアスは手ぶら。二人の兄弟が対峙する。
「何の真似です、クロ」
「……それはこっちのセリフだ、アスター」
 本名はアスターというらしいアス。帰って来ていたのだ。恐怖が過ぎると冷静になりすぎるのは、人間の性なのか自分の性なのか。ここで考えることじゃないなと思考を止める。
 逃亡失敗中の私は、身動きが取れずじっと鉄の門を乗り越える姿勢のまま黙り込む。
「もうやめようぜ。こいつが誰だとか関係ない、誘拐なんてすべきじゃなかったんだ。……攫ったオレがいうセリフでもねぇけど」
「おしゃべりが過ぎますよ」
 アスは喋り方を崩さず、懐から何かを取り出した。ナイフだった。何本持っていてもいいけど、……何本持ってるんだ。
「忘れたのですか、クロ。マヤ家が我が家に何をしたのか」
 二本目のナイフを鞘から抜く、アスの悲しそうな怒りの目を見て察した。この人たちも同じだ。私の家と、似た運命を辿ったのだ。
「金も手に入らない。一人娘を殺して大切なものを失わせることも出来ない。ならば家政婦だろうがなんだろうが、マヤ家に従事している者を殺して、少しでも恨みを晴らすのは道理でしょう!」
 むちゃくちゃだ。どんな逆恨みだと、それを向けられた張本人ながらツッコミを入れたくなってしまう。逆恨みに種類もないけど。
「だから終わってるんだよ、三年前にもう!」
 過去に捕らわれていても仕方ない。そこで罪を犯していい理由などない。前を向いて歩かなければ。生きるために。
 クロの言いたいことはよくわかる。わかるけど、交渉が失敗に終わったらしい誘拐犯にいっても、右から左もいいところのセリフだろう。案の上アスは鼻で笑ってこっちに近づいてくる。
 ――殺される。恐怖が駆けた。
「逃げろ」
「クロ」
「いいから」
 邸側にぶら下がっていた右足の靴裏を押し繰られる。二年前に放置していた靴だったけど、まだ履けた靴。バランスを崩しそうになった私は、邸の外へ体重を移動させて叫ぶ。
「クロ!」
 アスが駆けて来る。クロが足元のナイフを蹴り飛ばした。その隙に私は身長プラスアルファの鉄門から飛び降りる。着地に成功した私は門を掴んで中を見た。
「オレさ、クロカシっていうんだ」
 まるで檻越しの、囚人の別れのようだ。姓まで教えないクロに、むりやり笑顔を向ける。
「……名前、同じ長さじゃない」
 薄闇の中、クロカシの横顔も笑っていた。
作品名:誘拐犯とパンケーキ 作家名:斎賀彬子