魔本物語
第6話 ドゥローの禁書
ワームの一件の後、三人はすぐに聖堂に戻ってきた。そして、セイとファティマはセシルに話があると言われてセシルの部屋に案内された。
家具の少ない片付いた部屋にあるソファーにセイとファティマが座り、セシルはデスクに座りながらセイに質問をした。
「あの女性に昨晩会ったと言っていましたが、名前は聞いていますか?」
「ええと、アズィーザと名乗りましたけど、それがどうしましたか?」
「アズィーザですか……名前は違いますが、おそらくあれは生き別れになったわたくしの姉でしょう。会った瞬間にわかりました」
セイとファティマは驚いた顔をして、セシルは話を続けた。
雪の積もる人里離れた山岳地帯にその家族はひっそりと暮らしていた。
その家系は代々魔導師の家系であり、生まれて来る子供は魔導師の才能を色濃く受け継ぐ子供であった。そして、その家には二人の子供がいた。姉の名をアリア、弟の名をセシルと言った。
二人の子供はこの家系の歴代の魔術師の中でも群を抜いた才能を持ち、一〇歳になった姉のアリアは家にある魔導書を全て開くことができたのだ。
その日はいつもと変わらぬ朝だった。
セシルは朝一番に精霊に祈りを捧げて、それが終わると窓の外を眺めた。
八歳の少年の背には窓の位置は高く、背伸びをしたり飛び跳ねたりしていると、姉のアリアがやって来て椅子を窓の前に置いてくれた。
「ありがとうお姉ちゃん」
「どういたしまして」
アリアはニッコリと笑うと、セシルと一緒に窓の外を眺めた。
白銀の雪が深々と降っている。これから寒くなってくると、この山は外からの侵入者を拒む。この家族はそんな厳しい自然の中に住まいを構えて暮らしていた。
「もうすぐ朝食ができるから手伝いに行きましょう」
アリアはそう言ってセシルの手を取って椅子から下ろした。そして、二人は台所に駆け足で向かった。
台所ではセイレーンの母メヌエットとノエルの父セトが楽しそうに食事の準備をしていた。そう、セシルとアリアは違う種族同士の混血児であったのだ。そして、セイレーンの血を強く受け継いだセシルには真っ白な翼が生えていた。
ノエルであるセトの住んでいた村では他の種族と一緒になることをタブーとして、もしも他の種族と一緒になることがあれば、極刑を下されて最悪の場合は火あぶりの刑にされるような村だった。だから、その村を飛び出してこんな雪山に住んでいるのだ。
そして、いつもと同じ朝食の風景が訪れるはずだった。
ガラス窓が何者かに割られ冷風が部屋に吹き込み、窓から大勢の獣人たちが家の中に侵入してきた。
涎を垂らした獣人たちから子供を守るようにメヌエットは二人の子供を胸に抱きかかえて後退した。そしてセトは家族を守るように獣人たちの前に立ちはだかった。
獣人たちを分け入って一人の少女が姿を現した。白銀の髪を持つ左右色の違う瞳を持つ少女。
「〈ドゥローの禁書〉はどこじゃ?」
見た目よりもずっと大人びた声。その言葉を聴いたセトは驚愕した。
〈ドゥローの禁書〉とはこの家系に代々伝わる魔導書のことで、その書物の存在を知る者はこの家の者以外いないはずであった。その魔導書は大変危険な力を持つために門外不出の書であったのだ。だから、その名を銀髪の少女が知るはずがなかった。
「〈ドゥローの禁書〉など聞いたことがないな」
セトは表情一つ変えず少女に言った。しかし、少女は信じなかった。
「書を渡せば危害を加えるつもりはない。じゃがな、渡さぬと申すのなら命ないものと思え」
「ないと言ってるだろう」
口ではそう言ったものの、セトは内心では嘘をつくことが意味を成さないことを悟っていた。
獣人たちは目をギラつかせ、子供たちを舌舐めずりしながら見ている。子供たちは脅え母の胸で振るえた。もはや、緊張の糸ははち切れる寸前であった。
家族を守るか、魔導書を守るか、セトはどちらも守らなければならなかった。そして、少女が獣人たちに合図を送ったのと同時にセトの身体も動き、彼は呪文の詠唱をはじめた。
「風よ、見えない鎖となりて敵を捕らえよ――エアチェーン!」
巻き起こる風によって食卓に乗る皿が地面に落ちて割れ、風はそのまま獣人たちの身体を拘束した。傍目からはなにが起きたのかわからないが、獣人たちの身体は風の鎖によってぐるぐる巻きに去れ、唯一できる動きは両足で飛び跳ねることぐらいだ。そんな中、銀髪の少女だけは身体を自由に動かすことができた。風の鎖は彼女を捕らえることができなかったのだ。
「汝の魔法など妾には通用せぬ」
少女が蒼い月のような笑みを浮かべて次の瞬間、セイとは家族に向かって叫んだ。
「早く逃げるのだ!」
もはや遅かった。獣人たちを拘束していた魔法をいつの間にか解かれ、獣人は母と子に襲い掛かろうとした。それを止めるため獣人たちに魔法を放とうとしたセトの胸を鋭いなにかが貫いた。
銀髪の少女が持つ槍がセトの胸を貫いていた。長い柄を伝って少女の手を染める紅い鮮血。それを目の当たりにしてしまった家族は言葉を失った。逃げることも忘却した。
立ち尽くす母の手を引くアリア。
「お母さん早く!」
我に返ったメヌエットが子供に手を引かれて走り出そうとしたその時、獣人の鋭い爪がメヌエットの背中を抉った。
苦痛に顔を歪ませながらメヌエットは二人の子供に向かって叫んだ。
「早く逃げなさい!」
メヌエットに襲い掛かった獣人は彼女の白い羽をもぎ取り、鋭い歯を立てながら腕に脚に噛み付いた。
血に染まる母を見ないようにしてアリアは弟のセシルの手を引いて逃げ出した。
玄関ではすでに獣人たちが待ち伏せしており、二人は地下室に逃げ込んでドアに鍵を掛けて立てこもった。
地下には幾つもの本棚の中にたくさんの魔法に関する書物が並べられ、中には魔導書もあったが、アリアが探している魔導書は本棚にはない。
顔を真っ青にしてなにも言わず震えるセシルの手を引きながら、アリアは地下室の石壁を手で探りながら微妙に出っ張っていた石を引き抜いた。すると壁が音を立てながら動き出し、左右に開かれた壁の中に小さな部屋が現れ、その部屋の中心には小さな箱が置かれていた。その箱の中に目的の物が入っている。
アリアは箱のふたに手をそっと掛けて力を込めた。この箱はこの家の血を引く者にしか開けることのできない箱であった。そして、箱はアリアを認め、静かにふたが開いた。その中に入っていたのが〈ドゥローの禁書〉であった。
アリアもセシルも〈ドゥローの禁書〉の存在は聞かせれていたが、そこになにが書かれているのかは聞かされていない。ただ、その書は大変危険な物であり、命に代えても守らなければならいないことは知っていた。
〈ドゥローの禁書〉を手に入れたアリアは再び石壁を手で探って石を引き抜いた。すると、また別の壁が左右に開け、外へと続く人工洞窟が現れたのだ。
激しい音を立てて地下室のドアが壊され獣人たちが流れ込んできた。二人の子供は明かりも持たずに暗い洞窟に中に駆け込んだ。
暗い洞窟の中に足音が響き渡り、獣人たちが唸り声をあげながら追ってくる。今はひたすら逃げるしかなかった。出口を抜ければどうにかなるかもしれない。
作品名:魔本物語 作家名:秋月あきら(秋月瑛)