贈り物
「佐野さんがこんなに泣き上戸だとは存じませんでした」
部屋に上がってなおも泣き続けている先輩記者に、苦笑いしながら中山は声をかけた。ハンカチを渡すと、佐野は鼻をすすり上げ、割れた声で「すまん」と言った。
「感激で言葉が出んなど、記者失格であるな」
藍のハンカチを広げて顔をごしごしこすってから、佐野はそれをぐちゃぐちゃに丸めて和服の懐に突っ込んだ。
「後ほど洗って返す」
「そんな、結構です」
「では、これと交換でどうだ」
佐野は鞄から舶来品らしい上質な麻のハンカチを出してきて、ポンと中山の膝に投げた。上等すぎます、構わん、とっておけ、と押し問答しているところへ、廊下を渡ってくる気配もなかったのに、何の前触れもなく襖が開いた。
「お待たせしもした」
従道はそう言ってゆっくりと中へ入ってくると、慌てて姿勢を正す記者二人の前に胡坐をかいた。
「先ほどは、お見苦しいところをお見せいたしました」
佐野がそう言って畳に手をつくと、従道は「うんにゃあ」とかぶりを振る。
「庄内んお人はほんごつ情ば深か。未だに兄ば慕うてこげんとこまではるばる駆けつけてもろうて、兄はまっこち幸せもんでごあす」
「南洲様がおいで下さらなければ、庄内藩も殿もいかなることになっておったか判りません。南洲様は我々にとって大恩人です」
「………」
西郷伯はそれには言葉を返さず、ただ少し頭を下げた。
三人の女中が来て、膳を据えて下がった。従道は「上がったもんせ」と一言促して、自分もさっさと箸をつけた。太い指や大柄な身体にどこか不似合いに感じられるほど、酢で締めた鯖を器用にほぐし、ナスの和え物を口に運ぶ。食べる時に音も立てない。
「閣下は、舞や茶道を嗜まれますか」
同じことを感じたのか、佐野が尋ねた。
「茶は貧乏じゃった稚児ん時に奉公でやいもしたが、他は踊りも謡いも我流ごあす」
確かに、この伯爵の宴会芸である歌と踊り―――都都逸にカッポレ、おまけに裸踊り―――は誰がどう見ても自己流だろう。味があるのも事実だが、到底どこかの流儀に則ったものではない。もっとも、裸踊りに流儀も何もないだろうが。
そこまで考えてつい口元が綻んだのを見とめたのか、従道はへらっと笑みを浮かべた。
「そちらさんがよっくご存知じゃ」
表情を読まれて、しまったと中山が赤面するのを、伯爵は楽しげに眺め、味噌汁を口に運ぶ。中山は汗をかきつつも、何となく心が寛いでくるのを感じる。自然に人の緊張を解くゆったりした風格は、この男の天性か、それとも長年の修養によるものか。
経綸を語らず、演説も成さず、それどころか、まともに演説会にさえ出ない。ただ懇親会には必ず顔を出し、政治の話をはぐらかし、煙に巻きながら、ひたすら飲んで謡って踊る。
清濁併せ呑む貧乏徳利であると同時に、自らは器に合わせて自在に形を変える澄んだ水のようでもある。何とも不思議な男であった。