贈り物
翌朝は、爽やかな晴天となった。高く遠く、抜けるような水色の空が、いかにも「馬肥ゆる秋」である。
中山は夜明けと共に床を上げ、まだ眠っている同室の先輩記者の邪魔をしないよう、紙と鉛筆を持って庭へ出た。勿論掲載してもらえる予定はないのだが、毎朝、雑用係の「仕事」が始まる前に、中山は見聞きしたことを記録するようにしていた。先輩記者が記事を書くときの参考ぐらいにはなるだろう。
外は肌寒い。昨夜と同じ袷を羽織った中山は、庭石に腰掛け、軽く手をこすりながら使い込んだノートを開いた。
そこへ、「中山君っ」と弾んだ声がかかった。
驚いて顔を上げると、鶴岡にいるはずの先輩記者、佐野が、羽織袴姿で息を切らせて立っていた。
「佐野さん」
佐野は元庄内藩士で、幕末の戊辰の戦でも従軍している。六十歳を過ぎており、顎に蓄えた髭(ひげ)は白くなっているが、まだまだ現役でペンを握って東奔西走している。
「どうしてここに」
中山はノートを閉じて立ち上がった。駆け寄ってきた佐野は、どこか磊落な印象を与えるえらの張った顔に、にやりと笑みを浮かべて見せる。
「わしが留守の間に、かの西郷伯爵の一行が鶴岡を過ぎたと聞いて、こりゃあいかんとすぐに出発して追いかけてきた」
国民協会の一行が鶴岡に入ったとき、佐野はちょうど青森へ取材に出かけていて不在だった。社に戻るのは出発の一週間は後だと聞いていたのに、ここで追いつかれるとは、よほど急いだらしい。
「今着いたんですか」
「いやいや。昨夜遅くに着いた。無理を言って近くの農家に泊めてもらって、朝一番で駆けつけてきた」
佐野はそこでちょっと居住まいを正した。
「何せ南洲様(西郷隆盛)は、庄内の恩人。その弟御の鶴岡入りを逃すとは佐野一生の不覚だ」
本気で悔しがっているらしい佐野の姿に、中山は苦笑する。
「………変わったお方のようです」
昨日の西郷従道の挙動を思い出し、中山は言った。ちなみに先輩記者に聞いたところ、従道が言った「深川の芸者」は、気風(きっぷ)のよさを売り物とし、男物の羽織を着て男名を名乗って宴席に出るのを常としていたらしい。
中山の困惑を悟ったのか、佐野は豪快に笑う。
「そりゃあ、ただのお人のはずがなかろう。写真でよう拝見しとるが、目元も顔立ちも、南洲様そっくりじゃ」
陽気に言った後、佐野は大きな口を一文字に結んだ。その唇が、かすかに震える。
「時々………見ておって涙がこぼれそうになる」
「佐野さん」
「南洲様の大きさは、お目にかからんと到底判らん。いや………お目にかかったところで判りはせんが、それでも、とてつもなく大きい人だということぐらいは感得できる」
感慨がこみ上げたのか、佐野は小さな目を指先でちょっと拭って、中山を見た。
「ここへ来て最初に君に会えるとは幸運だった。どうにか、少しでも西郷伯爵にお引き合わせを願えんだろうか」
「いいですよ。ちょうど今日、皆が出発した後で部屋に来るようにと言われておりますので」
軽く応じると、佐野は目をぱちぱちさせた。
「皆が出た後? 御用協会の連中、会頭を置いてどこへ行く気だね」
もっともな疑問に中山はつい噴き出してから、さてどう説明しようかと首を捻ってしまった。