贈り物
従道はこの八年後の明治三十五年、六十歳で死去するが、「政府の鍋釜」の形容にふさわしく、第二次伊藤内閣で復帰後は、第二次松方内閣、第三次伊藤内閣、大隈内閣(隈板内閣)で一貫して海軍大臣を務め、更に続く第二次山縣内閣の成立に当たっては、再び内務大臣に就任し重きを成した。そして山縣が辞表を奉呈し首相を辞したとき、従道もまた辞表を提出し、それ以降、要職に就くことはなかった。明治三十三年十月のことである。
この「なるほど大臣」から海軍を引き継いだのは、従道が信頼し重用したために官房主事時代から「権兵衛大臣」とまで言われていた、鹿児島人の山本権兵衛である。権兵衛は誰にでも正論を吐いて噛み付く男で、しかも口が悪い。上司が従道でなければ中佐ぐらいで早々にクビだっただろうと囁かれている。従道は海軍大臣復帰後、ようやく陸軍中将から日本で最初の海軍大将に進級するが―――陸軍中将を二十年もやっている―――、権兵衛はこの茫洋とした同郷の先輩に、
「あんたは、海軍ではおいよっか新参者じゃっでな」
などとズケズケ言いつつ、人員整理を断行し組織を整え、存分に腕を奮った。