贈り物
佐野の予見通り、西郷従道の国民協会会頭在任は、わずか一年で終った。翌年三月、第四回帝国議会閉会後の内閣改造で、総理大臣伊藤博文は従道を説き伏せ、再び海軍大臣に復帰させたのである。従道は一度は断ったのだが、薩摩の先輩である黒田清隆や、親友で従兄弟で幼馴染の大山巌などに説得され、静岡県沼津の別荘にまで押しかけられて懇願され、結局、就任を承諾した。
一旦は野に下り、政治団体の会頭となった人間が再び内閣に―――それもいわゆる「元勲内閣」に列したとあって、世間では従道を批判する者もあった。俳人正岡子規は、随筆にこう書いた。
「君はまた大臣になり給ふぐらいなら、また何故に民間の協会になど入り給ひしぞ。それはより道でござる。「とんと落ち つつと上りて 雲雀かな」」
従道を「よりみち」と読んだ皮肉であるが、別の本に、子規は兄を追慕する従道の句を載せている。「亡き兄の まぼろし悲し 秋の暮れ」と。
国民協会会員の方も無論いい気はしなかっただろうが、従道は協会の送別会で壇上に立ち、訥々(とつとつ)としたいつもの口調で、
「この度の、わたくしの入閣には、皆様大変驚かれたと思いますが、わたくしも大変驚きました。これでも静岡までは逃げたのですが、残念ながら追っ手に捕まってしまいまして。どうも、まことに面目ない次第です」
と言って深々と一礼し、笑いに包んで円満に脱会してしまった。