贈り物
【4 踊る伯爵閣下】
三人が宿に戻ったときには、既に十一時近くになっており、当然のごとく、というか、国民協会の一行は演説会へ出発して不在だった。だが、従道が下駄を脱いで上がろうとすると、どたどたと廊下を走る音がして、小太りのずんぐりした男が一人、息せき切って出てきた。東京から同行してきた、二十代半ばの東京新聞の見習い記者だ。
「西郷先生っ」
「こや、西村さあ」
従道は相変わらずの緊張感のない笑みを見せた。西村記者見習いは何やらびっしりと字が書かれているらしい紙を、ほとんど振り回すようにして言った。
「困りますよ本当に。せめて協会の方々に話ぐらいはしてから外出頂かないと。何かあったらどうなさるんですか。懇親会の予定とか打ち合わせとか、お伝えしておかなければいけないことが山のようにあるんですから。大体―――」
たかが記者見習いにまで―――もっとも、中山も似たようなものだが―――、これだけガミガミ言われる伯爵閣下も珍しい。
「俥(人力車)を待たせていますから、お願いですから早くお支度をなさって下さい」
「あい。判いもした」
どちらが立場が上か判らないようなやりとりの末、西村は従道に紙を押し付け、ばたばたと玄関を出て行った。従道はそれを見送ってから紙を畳み、懐に無造作に突っ込んだ。読む気はどうやら皆無のようである。
「こいから懇親会ば行くで、佐野さあも来てくいやせ」
「あの、閣下」
遠慮がちに中山は呼びかけた。
「わたしに御用がおありだったのでしょうか」
尋ねると、従道は「あ」と言って、額をぽんと叩いた。明らかに、すっかり忘れていたらしい。
「明朝、また話もんそ。おはんのよか姉さあに、頼み事ばあっで」
「姉に、ですか」
中山はぽかんとする。伯爵はにこにこと「あい」と言った。