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茅山道士 かんざし2

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 上元夫人との話から二日が経過して、ちょうど道士が、いつもの散歩から戻って、庭をブラブラと歩いて来たところを、館の回廊から自分を呼ぶ声が聞こえた。道士が、そちらに顔を向けると、上元夫人が手招きしているのが目に入った。
「あなたに頼まれた薬です。しばらくは、痛みを抑えられますが、眠ってしまったら朝まで目覚めませんよ。」
 仙女は小さな布包みを麟に手渡して、こう言った。それを受け取った道士は、早速、午後の茶会の折りに試してみることにした。

 午後のお茶の時間に西王母が現れた。側には上元夫人と王夫人も控えている。お茶を頂く前に、と麟が、過日の約束が果たせるようになったので見て欲しいと、西王母に話を切り出した。上元夫人以外は、その言葉に大層、驚いた。人界に戻る条件が西王母から、麟に下されていたことは、皆、知っていたが、こんなに早く右手が動くようになったのか、とびっくりしたのである。
「まず、ひとつめです。」
 そう言って、麟は自分の前に置かれた並々とお茶の入った器を、危なげな様子もなく、持ち上げて西王母の前に置いた。自称母上は麟の表情を凝視していたが、当の本人は、いたって涼しい顔である。お茶の時間の少し前に、上元夫人の薬を飲んだ麟には、痛みはまったく感じない。ただ、手の感覚も少し鈍っているので、用心してはいる。
「では、ふたつめは、この花を右手で取ってくださいな。」
 茶器を置いた麟に、西王母は自分の髪にさしていた花飾りを抜いて、ポオンと空中に投げ出した。それは、麟が精一杯に手を伸ばせば、届きそうな空間に静止した。考えていたよりも少し高い位置である。一同が、麟に視線を投げ掛けている。その視線の中を、そろそろと包帯を巻かれたままの右手を持ち上げた。痛みは感じないが、ギシギシと肩と腕がきしむような感触が、麟を襲う。痛み止めが効いていなければ、相当な痛みを伴うだろう。ゆっくりと、ゆっくりと上空に手を伸ばし、なんとか花かざりに手が届いた。ごくりと、全員が息を飲む。右手が徐々に締まり、花かざりを掴んだ。
「これで、よろしいですか、おかあさん。」
 ぎこちない様子で、麟は花かざりを、自称母親に手渡した。最後は、難関の印を結ぶことである。
「では、九字をきります。」
 九字とは、左手の中指と人差し指を突き立てて、その二本を右手の親指と薬指と小指で、しっかりと握り込む。その上に、右手の中指と人差し指も二本は立てて、その形のままで、術を唱えるものである。印のなかでも比較的、簡単で効果的なもののひとつである。普段の道士の仕事なら、この九字さえ結べれば問題はない。
 ぐっと息を飲んで、若い道士が左手の指を右手で握る。痛みはないが、握ること自体が難しい。四苦八苦で、どうにかこうにか九字の形をとって、術を唱えながら、印を結んだ両手を左右に切った。麟が印を結び終えると、自称母親は少し残念そうに微笑みながら頷いた。とうとう、かわいいわが子を手放す時がやってきたのだ。自分が提示した条件を、すべて突破されては人界に下ろすしかない。「よく頑張りましたね、麟。それでは、明日にでも索明か角端に送らせましょう。」
 意外に、あっさりと西王母は、麟が人界に戻ることを認めた。もっと揉めるだろうと考えていた者たちは、一同ふっと気が抜けてしまった。上元夫人は一同が沈黙しているのを見て、静かに席を立った。そして、入れ直した暖かいお茶を、ひとりずつに手渡した。
「みなさん、せっかく麟が傷を治して、人界に戻るのですよ。そんなに沈まないで、喜んで送ってやりませんか。」
 その言葉に、王夫人が一番に口を開いた。
「そうですね。麟にとっては喜ばしいことですもの。おめでとう、麟。」
 王夫人の言葉がきっかけとなり、皆が一斉に麟にお別れの挨拶や旅のこころがけなどを話しかけはじめ、にぎやかな茶会は夕刻まで続いた。

 仙界最後の夜に、西王母は麟の部屋を訪れていた。他のものには、誰も入らないようにと命令して、ふたりだけで話し始めた。
「もう、帰ってしまうのですね。」
「お世話になりました、おかあさん。何も恩返しせずに、人界に戻る私くしを、お許しください。」
 若い道士は深々と頭を下げた。そんな麟の姿に、西王母は静かに頭を横に振った。その姿を自分の前に見せてくれただけで、そして実の子のように微笑んでくれたことだけで、十分に返してもらっていると、仙界の女主人は心の内で感謝した。
「おまえは、私くしに、ひとときの憩いを与えてくれました。それで充分ですよ。私くしとの約束は覚えていますね。」
 ここで、西王母は少し低めの声で、麟に尋ねた。皆には内緒なので、ついつい小声になってしまうのだ。そんな様子に若い道士はクスッと笑って、『はい』と答えた。
「また逢いましょうね。修行の旅が終わったら、一度来てくださいね。」
 ここで麟が大きなあくびをした。どうやら痛み止め薬の副作用が出てきたらしい。涙目で、麟がそろそろ休みますと言うと、西王母も一端、部屋を出たが、眠った頃を見計らって、再び、麟の部屋を訪れた。そして、寝入っている麟の側に立って、その耳にしている珊瑚の耳飾りを、そっと抜き取った。以前、麟から、その耳飾りの由来は聞いていた。麟が、「麒麟送子」の子供としての福を、その身から離さずいられるようにと、子供の頃に両親が願いを込めて、付けさせたのである。
「だから、ずっと離したことはありませんよ。たまに、外す時も、掃除をする時だけですから。」
 そう言って、麟は大切そうに珊瑚玉を撫でていた。西王母は、その珊瑚玉を大切そうに自分の耳飾りと交換した。その交換した珊瑚玉と同じようなものに、術をこめて麟の耳に嵌め込んだ。この若い道士が傷を負ったり、病気になったりしたら、その珊瑚玉は小さな蜂になって、西王母のもとへ戻ってくるように…。
「こんなことは、おまえが知らないほうがいいのです。こうしておけば、私くしの心配は少なくて済む…。」
 静かな空間に西王母は立ち尽くした。別れを惜しむように、若い道士の寝顔をずっと見守っていた。

 次の日、朝早く、麟はひとりで起きて、回廊に出た。朝靄の庭を、ぼんやりと歩いてみる。この幻想のような景色とも、今日でお別れだと思うと少し寂しい気がする。昨日、無理をした右手はズキズキと痛み、自分が人界に戻るという現実に引き戻してくれる。この痛みがなかったら、麟はぼんやりと夢の中を彷徨うように、この仙界で暮らしてしまうかもしれない。
「麟、おはよう。」
 足音もなく黒麒麟が近付いて来た。しかし、それ以上は語ろうとせず、ただ。麟の進む方向に、自分も歩を揃えている。
「夢の世界ですね、角端さん。」
 若い道士は、足を止めて角端に軽く会釈した。にっこりと微笑んだ道士を見て、角端は、とても残念な気がする。この若者と、もっと話したいことが山ほどある。その昔、角端が、かの仙人と語らったように、いろいろなものを見聞して話し合いたいと、その時、切にそれを望んだ。だが、それも所詮は、叶わぬことだろうと、黒麒麟は少し片頬を吊り上げた。
「そろそろ用意をしたほうがいい。」
 それだけをぶっきらぼうに言うと、黒麒麟は館のほうに向きを変えた。
作品名:茅山道士 かんざし2 作家名:篠義