茅山道士 かんざし2
「俺が乗せてやる。行ってみよう。とても美しいところだから。」 青麒麟が強く勧めるので、道士も好奇心が出て、その言葉に従った。ゆっくりと、ふたりが道を進むと、ほどなく、麟が中間点というところまでやって来た。樹齢がとても経っている大木が静かにそびえ立っている森は、昼でも太陽の光を閉ざしてしまうようで、薄暗い。しかし、それが恐ろしいと思うわけではない。森閑とした大木の間を、のんびりと歩くと、遠くに鳥のさえずりが聞こえる。ふと、麟がそちらを向くと、大木の合間から光が地上に届き、倒れた古木の上に名も知らぬ青い鳥が止まっている。
「なあ、麟。」
そんな道の途中で、それまで他愛もない話をしていた青麒麟が真顔になった。麟が、その顔を見て立ち止まった。
「おまえは、この間、自分の寿命が50年と言ったが、それは、おまえにとって長いものか。」
「そうですね。麒麟のあなたからすれば、短く感じられるのかもしれませんが、人間の私くしにとって死ぬまでは長い時間なのです。それは、私が体感する時間の中で、最も長いものですからね。」 そう言われて、青飛は気付いた。この若い道士が計り得る時間の中で、最も長いのは寿命である。確かに青麒麟にしても、長短の差こそあるが、自分の寿命が一番長い時であろう。麟の言うことは、とても当たり前のことだったが、青麒麟は、その言葉で麟の50年がどれほど長いものなのかが判った。
「俺の寿命は、あと1300年ばかりある。麟の言う通り、俺だって、それ以上の時間は体感できないよなあ。50年なんて、俺にすれば、あっという間に過ぎてしまうが、そう考えれば長く感じられる。」
そこで、青飛は麟を伴って、再び歩き始めた。自分たちが短い短いと言う50年は、人間にとっては長い。それが人間を感情豊かにさせている原因なのだろう。泣いたり笑ったりという単純な感情ばかりでなく、さらに複雑に入り組んだ感情というものが、刻々と過ぎて行く時間の中で生み出されて行くのである。それが羨ましいと青麒麟は思わないが、あの仙人が憧れたものが何であるのか、少し分かったように思えた。
森を抜けると、遠くに薄紅色の空間が目に飛び込んできた。
「あれが桃園だ。麟、背に乗れ。」
青飛はすでに麒麟の姿で、麟を急かせた。早く、麟に、その光景を見せてやりたい青麒麟は、麟が背に乗ったと同時に、脱兎のごとく空へ舞い上がる。
「しっかり掴まっていないと振り落とすぞ!」
激しい風圧を感じて麟は青麒麟の首に腕を巻き付けた。麒麟の首は鱗で覆われているので、掴んでいるだけでは落ちそうになる。必死に、両腕を延ばして組み合わせようとするが、肩の傷がギリッと痛み、右手の指を曲げようとして、さらに痛んだが、人間とは不思議なもので、あれほど曲げられなかった指が痛みを伴いながらも、麟の意思通りに左手と組み合わされた。
「ハハハ…必死になれば動くものだろう。」
青麒麟は高らかに笑った。そこで、麟は青麒麟が自分の傷を知っていて、わざと、そう言ったことに気付いた。自分が傷の痛みを恐れて無理をしなかったのを、青麒麟が突然、猛スピードで飛び始めたので必死になって、右手を痛みに負けずに、初めて曲げられたのである。
青麒麟は桃園の上空で速度を落として、ゆっくりと空を駆ける。まるで踊るような軽やかな足取りになった。
「もうしがみつかなくてもいいぞ、麟。」
ゆっくりと麟が顔を上げると、足元は一面の薄紅色の海である。あまりの見事さに若い道士は声が出ない。青麒麟には麟の表情は読めないので不審に思いながら、ゆっくりと降下した。
トンッと軽い衝撃がして青麒麟は地上に戻った。ゆっくりと麟が、その背から降りて、ぼんやりとしている。
「おいおい、麟。あまりの見事さに声も出ないか。」
「はい、本当に美しいところですね。」
桃園の外側に降りた二人は、そこで黙って景色に目をやる。広大で美しい風景に、どんな形容詞をつけようと、それを表現することは難しいだろう。
青麒麟が促して桃園の中に入った。整備の整った桃園は下草が見事に取り払われて、その地面には散った花びらが絨毯のように敷き詰められている。
「ここの桃の花は、ずっと咲いている。一本の花が終わっても、となりは咲き始めたりするからな。」
少し軽口を吐いてから、さっきは悪かったと青飛は笑いながら、麟に頭を下げた。突然のことだったので、麟は何のことか一瞬わからなかったが、すぐに先程の猛スピードのことだろうと、にこりと笑った。右手を差し上げて、軽く握ってみせた。
「ほら、少し握れるようになったでしょ? さっき、少しコツがわかりました。これなら、すぐに動くようになると思います。」
「そうか、がんばれよ。でも、動くようになったら、人界へ戻るのだな。」
麟がずっとこのまま仙界にいてくれると嬉しいな、と青飛は断られることを覚悟して頼んでみた。若い道士は、その申し出を残念そうに断った。そう、決して仙界へは戻ってこないのだと青麒麟にもわかっていた。人間としての生を全うしたいというかの仙人の願いは麟という姿で人界に傑出した。青麒麟の眼からみても、なんと仙人の願い通りなのだろうと思うほどの夢の結晶である。
「他の皆様からも、お誘いを受けましたが、これだけは、どうしても承知できません。どうか、お許しください。」
おだやかな表情のまま若い道士はペコリと頭を下げた。その姿を前にして青飛は苦笑した。青麒麟の勧めを受けることは、夢の結晶が砕け散ってしまう結果である筈なのに、どうしても手元に置きたくなってしまうのだから仕方がない。
「わかった。もう誘わないから……でも、人界に顔を出してみようかな。」
「私くしは旅をしているので、どこにいるのか、わかりませんよ。」 いじわるな答えだと、さらに青飛は苦笑した。麟も青麒麟相手だと、ついつい軽口が出てしまう。うーんと青麒麟が首をひねりながら歩いて、
「おまえとは一期一会の相手なのかもしれないなあ。」 と、静かに言った。確認の終わった青飛にとっては、このまま逢えなくても、心残りはないように思う。例え、青麒麟がうっかりしていて麟の寿命が尽きてしまっても、それはそれで次の転生した麟に逢えるのだ。確かに残念ではあるのだが、かの仙人の夢が見れたことで満足できたと、自分を自分で押さえることにした。これ以上、人間の麟に関わると、それこそ夢を壊してしまうだろうと、それのほうが逢えないことよりも恐ろしかった。
「俺は麟と逢えて、とてもよかったと思う。次に逢えたら、もっと嬉しいが……それは、俺のわがままな願いだ。だから、人界に戻って道士の修行に励んでいる時に、俺の事を忘れずにいてくれたら、満足ということにする。」
作品名:茅山道士 かんざし2 作家名:篠義