茅山道士 かんざし2
クククッ…と青竜王は弟を見て笑った。おそらく、他の誰もが呆れて放ったらかしにしている兄を、文句を言いながらも探しに来たのだろう。
水晶宮に戻っても、誰もが皆、『帰ってきたか』ぐらいのことしか言わないのは、青竜王には分かっている。相手に見透かされたようで紅竜王は、少し照れ隠しに、横で驚いている麟に目をやった。発する気は人である。
「こんなところに人がいるとは珍しい。兄上のお知り合いにしても、とても若い方ですね」
『照れ隠しに話を逸らしたな』と、青竜王は思いながら、自分の最近、知り合った友人なのだと麟を紹介した。紹介された本人は、立ち上がってペコリと頭を下げた。
「故あって、滞在している麟殿だ。」
「これは…挨拶が遅れて申し訳ない。私くしは、この…」
隣りにいる青竜王の顔を、ちらりと見て、紅竜王は言葉を止めた。兄はわずかに頭を横に振っている。
「私のすぐ下の弟で、仲叔と言います。永いこと、家を空けていたので、捜しに来たのですよ。」
紅竜王が止めた言葉を隠すように、青竜王は後を続けた。麟は気付かずにニコニコと聞いている。
「居場所もわかったのだから、構わないだろう。」
「いいえ、一度、お戻りください。」
弟の強い口調に、若長はやれやれと溜め息をついた。せっかく、のんびりしていたのに、また何やら用事が溜まっているのだろう。ここしばらくは、西王母の館にいたが、実のところ水晶宮には、もっと前から帰っていない。出かける前に、この次弟に雑務は全て任せるからと頼んで、ふらりと飛び出したのである。それも限界にきたということか、と青竜王は立ち上がった。
「麟、すまないが私は家に戻ってくる。館まで、一度戻してあげよう。」
「いいえ、ゆっくり歩いて戻ります。」
青竜王の親切な申し出を、麟はやんわりと断った。体力を戻すために散歩しているのだから、飛んで帰っては意味がない。そこで、思い付いて空に向かって口笛を吹いた。すると、どこからでもなく、青い麒麟が姿を見せた。
「ちょうど、誰もいないようだ。これでよかったかな、青飛。」
紅竜王は、近付いてきた青麒麟に話しかけた。青麒麟のほうも、満足そうに、「これは好都合だ。」 と、うなずいた。
その青麒麟を見て、青竜王は誰が告げ口をして、弟を自分の元へ連れて来たのかがわかった。
「青飛殿だな。私の居所を教えたのは。」
「たまたま、昇竜山の上空を通りかかりましたら、お声をかけられただけで、わざわざ告げ口をしたのではありませんよ。若長。」
ニヤリと口元を歪めて、若長は青麒麟を指さした。「こいつめ。」と笑い出した。まあ、そんなところだな、と若長は納得した。聖獣と呼ばれる徳の高い麒麟が、わざわざ、遠い水晶宮まで言上しに行くことなど考えられない。
青竜王は瑶地の館へ退出の挨拶に参上することにした。そのまま、水晶宮に戻っても、誰もとがめないだろうが、礼儀に反することはしたくないと理由はつけているが、実際は、将来の自分の妻に声をかけたいためである。若長は、麟の前に手を差し出して、笑いかけながら短い別れの挨拶を述べた。
「また、いつか逢いましよう。それまで、怪我などなされませんように。」
その言葉に、麟は苦笑してうなずいた。青竜王も微笑んで、ふたりはそこで別れた。
若い道士のもとに青麒麟を残し、他のふたりは館のほうへフワリと飛び上がった。空に舞い上がってから、紅竜王は自分の持った疑問を口にした。
「兄上、たいそう仲が良い方のようですが、一体あの方は、なぜ、瑶池の館におられるのですか。それには、私くしたちが正体を隠す必要があるのですか。」
そんな紅竜王の問いかけに、青竜王はハハハ…と笑った。次弟のプライドは恐ろしく高い。おそらく身分を隠していることの理由が知りたいのだ。
「あれは仙人修行の誘いを王夫人から受けた人だ。まだ、ご返事をなさっておられないので、皆、正体は隠している。」
もっともらしい嘘だと内心で若長はニヤニヤした。しかし、次弟のほうは、それを冷たくあしらった。ずっと一緒に暮らしている兄の方便など見抜けぬ筈がない。
「そういうことを、おっしゃいますなら、私くしが頭を冷やして差し上げましょうか、兄上。」
紅竜王は、その名が示す通り、炎を操る竜王であるが、同時にあらゆるものを凍らせてしまうことができる。深紅の炎を駆使して闘う紅竜王の姿は神々しく華やかである。対して、兄の青竜王は真っ青な鱗を輝かせて、天空に浮かぶだけで相手を平伏させる威厳と風格を持つといわれている。しかし、人型をとっている限りは、その威厳も風格も吹き飛んでしまうのが、青竜王のおかしなところといえる。紅竜王のきつい嫌味にも、たいして堪えた様子もなく、まいったなあ、と頭を掻いている。
「頭のキレる弟を持つと苦労するなあ。」
「私くしに嘘をおっしゃるからですよ。それとも、私くしがきいてはいけないことなのですか。」
「そうではないが… あれは、ある仙人の転生した姿でね。仙界とのちょっとした因縁で怪我をしたものだから、こちらで静養しているのだよ。だから、他のものに話が広がるとうるさいだろうから、西王母様から他言無用と命ぜられたのだ。」
別に紅竜王が、それを流布すると心配しているのではない。その転生前の人物のことを知っているから、麟と逢って口をすべらせてはいけないと、そちらの心配をしたからだと青竜王は、弟に説明した。
「転生といえば…あの方ですね。」
先程までの冷たい表情が少し解けて、紅竜王は微笑んだ。それで兄は側についていたのだなと、納得がいった。水魚の交わりを結んだ相手が、人として目の前に現れたのだ。水晶宮のことなど、その瞬間から頭の内から抜けていたに違いない。転生した姿を見ているだけで、兄は嬉しかったのだろうと、物分かりのいい弟はわかってしまった。
「それは、ようございましたね、兄上。そういうことなら、水晶宮へお戻りにならない訳もわかります。」
無理にとは申しませんよ…と仲卿は、水晶宮に慌てて戻らなくてもよいと兄に伝えたが、兄のほうは頭を横に振った。
「いや、もういいのだ。そろそろ、麟も人界に戻るだろう。別れというのは、苦手でね。こうやって帰ってしまったほうが、諦めがついていい。」
青竜王にしても、皆と考えることは一緒である。だから、よけいなことを言う前に、紅竜王が呼びに来たことを理由にして、水晶宮に戻るほうがよかった。そういう意味では、弟は、良い時期に来てくれたと感謝している。
「さあて、仲卿、水晶宮の用事はどれほどかな。」
おどけた調子で青竜王が尋ねた。紅竜王は口元を軽くゆがませて、「山程に…」と答えた。
「随分と回復したようだな、麟」
青麒麟は人型に変化して、麟に手を差し出した。その手を軽く握って、麟がその言葉に応えて笑いかけた。若い道士が元来た道を戻ろうと歩き出して、青麒麟に止められた。せっかくだから、桃園まで行かないかと誘ったが、麟は頭を横に振って、とてもそこまでは歩けないのでと断った。
「じゃ、一度も行ったことはないのか、麟」
「はい、いつも中間点まで行って戻ってきています。それ以上行くと帰りが問題なので…」
作品名:茅山道士 かんざし2 作家名:篠義