Under the Rose
14. Recollection(2/2)
「いっ!? ちょ、ちょっと沙耶! いきなり床に投げ出すこたぁないでしょ!?」
逃げた沙耶が向かった先は、彼女と桂とが暮らしている部屋だった。
電気も点けず、カーテンはしっかりと閉められたまま。途中、誰かが後をつけてくるような気配はなかった。
ないどころか、全く感じなかった。残った桂の頑張りの成果にしてはさすがにおかしい。
全てが上手くいき過ぎている。
「……」
警戒を解かず静かに耳をすましている沙耶に、騒ぎ立てる真の文句は届かないらしい。
部屋に入るなり乱暴に――というより遠慮一つなく床に投げ出され、その上無視に無視を重ねられ思わず涙目になる真。
全てはこの、動かない両足のせいだとそっと手を置いてみた。
「(……)」
感覚がなかった。
上に手を置いても、なでてみても、つねってみても、手の熱は足に何一つ伝わることがない。
視覚で確認しなければ、手で触れていることすらわからない。
「反応、ないかい」
真のそばで姿勢を低くして、問いかける沙耶。
まったく意識をやっていないものと思われていたが、どうやらちゃんと見ていたらしい。
「全く……って、うわっ!?」
まぬけな声をあげ、驚くのも無理はなかった。
真の言葉をさえぎるようにして、沙耶が手にしたナイフで真の片足に傷をつけたのだ。
とはいっても、多少大げさな動きに反して傷自体は全く深いものではなかった。
ぎりぎり血が出るほど、肌の表面だけをかすめただけである。
真の身体なら数回のまばたきの間に治癒してしまうほどのわずかな切り傷。
「はてさて、なんだろうね……」
数秒、数分と経ってもふさがる様子のない傷を見て、二人は複雑な表情を浮かべた。
小さな傷すらふさがらない。
吸血鬼であるなら、本来はありえないことだった。
だが、現実に真の治癒能力は沙耶や桂以下――下手すると人間以下まで衰えている。
互いに不安を覚えずにはいられなかった。
「一ついいかな? 君は、過去のことをどこまで覚えてる?」
「過去? ……、過去?」
「たとえばわたし達と出会う前のこと、そして……なんだろうな。君の、家族のこととか」
「家族」
その言葉に反応するように、真の表情が一瞬にして凍りついた。
自らの中にある記憶をたぐり、必死に『家族』という単語に関連する思い出を探ろうとする。
家族といえば、まず父と母。この二つの存在なしに子どもは生まれない。
続いて、兄弟。一人っ子という可能性もあるが、兄弟がいた可能性も確かに存在する。
はたして多かったのか少なかったのか。
仲が良かったのか、それとも、
「頭が……痛い」
形の見えない引き出しに手をかけた時、真の頭に重い衝撃のようなものが走った。直後、ずきずきと全体が痛み始める。
頭痛だけではない。胸の辺りからなにかが上がってくるような違和感を感じ、それはすぐに吐き気へと変わる。
「記憶がない……?」
「……思い出せない。それに、今まで考えたこともなかった」
「……」
「沙耶、あなたは私を知ってるの? 話しぶりからして、私が知ってる以上に私自身のことを知ってる気がする」
「……それは」
「知ってるんでしょ? 私のことも、今何が起きているかも、相手がどんな連中なのかも全て」
多少の動揺を瞳に浮かべながら喋る真の問いかけに、沙耶は返事をしなかった。
静かに立ち上がり、バルコニーがある方向へ進んだあと、閉め切っていたカーテンを静かに開ける。
外はわずかの雲を残すだけで晴れている。音もない、冷え切った夜だった。
「太陽や人間はわたし達を拒むが、月とそれを包む夜だけは違う。なあ、そうは思わないかい? 真くん」
「ここからじゃ見えないわ」
「……そのうち桂も帰ってくるだろうよ。それまで少し昔、いや……おとぎ話でも話そうか」
「ずっと、ずっとずっと昔。吸血鬼は人間に追われ、世界の果てという果てまで逃げた。そして最終的に人間との関わりを断絶した」
「……」
「運良く逃げおおせた一つの集まりの中で、やがて一人の子が生まれた。その子は集まり全体を統率する『柱』の後継ぎでね、そこまでは何も問題なかったけど」
「けど?」
「数年後に、その子の弟にあたる存在が生まれた。二人は腹違いで、上の子はいわば妾との子……血筋からは外れていた。後継ぎの座は揺れたよ。結局どちらが選ばれたと思う?」
「……わからない」
「血を優先したんだよ。選ばれなかった上の子は、いても問題事の種になるだけだから陰へと追いやられた。殺されなかったのが不思議なくらいだ。まあ、そんな感じでも集まりは平和だった……人間に迫害されることもなく、仲間内だけで暮らす。排他的で閉鎖された箱庭の中で、ずっと」
「……」
「けど、その平和は突然粉々に砕かれた。『柱』の一人が、皆を裏切り、ハンターと呼ばれる人間達をその空間へ招き入れた。一晩でその集まりは皆殺しにされた」
「沙耶、そんな話になんの関係が、」
言いづらそうに口をはさむ真。だが、その言葉はすぐに沙耶の言葉にさえぎられてしまう。
「あの夜、全てを奪われた……何とか生き残った上の子も満身創痍、夜明けを待たずとも死は目前だった。でも、神さまってのは皮肉なもので、その傷ついた吸血鬼の前に人間を導かせた。わかるかい? 双子だよ、双子……。生きるために、吸血鬼は双子の身体を利用した」
「……。下の子は……弟はどうなったの?」
「死んだ」
「……」
「死んだと、思ってた。ずっと思ってた」
「……?」
「憎かった。裏切った吸血鬼に自分の全てを奪われたことはもちろん、それ以前に自分の居場所を横からかすめとっていった弟も憎かった。だから、だから消えてくれればいいと思ってた。ずっと、そう思い続けてきたのに……」
「沙耶?」
「何故今さら私の前に現れた? 出会わなければ忘れたままでいられたのに。こんな馬鹿げた昔話をする必要もなかったのに!」
「……待って。今の話、理解するまで少し時間をちょうだい」
明け方頃、桂は慌ただしい様子もなく落ち着いたまま部屋へと戻って来た。
だが、すぐにその部屋にただようなんとも表現しがたい雰囲気を察し、怪訝な表情を浮かべる。
外の景色を見ながら、壁を背もたれに静かに立っている沙耶。
そして、そんな彼女から目をそらすようにしてうつむき気まずそうな顔をしている真。
その足にはわずかな傷が走っており、ぬぐっていない血がそのままになっている。
桂が中に足を踏み入れても、二人は反応一つ返さなかった。
今は物音一つない朝方、余計にその静寂が気まずい。
「真、その役に立たない足は元に戻ったの?」
「全然」
「そう。いつまでも子守りをする気はないから、早く戻して頂戴」
「そのつもりだけど、ね」
「……」
「……」
「……姉さん?」
未だに無反応の姉へ、桂がおそるおそる声をかけた。
外を見ているのと、耳のそばに垂らしている長い髪が邪魔をして表情がまったく窺えない。
腕を組み、微動だにしない沙耶。
作品名:Under the Rose 作家名:桜沢 小鈴