Under the Rose
12. 円環(1/2)
ある夜、自分の前に一人の男が現れた。その男は自分と同じく、吸血鬼だった。
そして、ろくな説明もないままに『来い』とだけ言ってこちらへと手を伸ばす。
唐突に、確実に何かが動き始めていた。
「のわわわーっ!! ちょ、やめ、あわわわっ!?」
曇り一つない満月を浮かべた空の下に、必死に駆け回る真の姿があった。
長年自らのテリトリーとしてきた路地裏を止まることなく走り、息切れする暇もない。
そんな真を追うようにして、数人の人間が動いている。
速度こそ真に大きく劣っていたが、人数ではこちらが圧倒的に有利である。
「いやーっ!」
わざとらしいほどの悲鳴を上げながら、慌ただしく何度目かも知れない角を曲がる。
一見何も考えていない真が追い詰められているように見えたが、これでいてきちんと彼は計算しているようだった。
まずは、一番の不安要素である相手の人数を削る。
相手も全員が全員同じ足の速さを持っているわけではない上、体力も同様に違いが出る。
加えて、辺り一帯を知り尽くしている真と違い、完全に手探りの人間達にはムラが出てもなんら不思議ではない。
「……っ」
振り返る。
実際には後続がまだいるのだろうが、今のところぴったり後ろをついてきているのは二人。
それを確認するなり真は急ブレーキをかけるようにして止まり、振り返った。
合わせて追ってくる人間も足を止める。
「そっちがその気ならっ!」
相手の目線がどこにいっているかもよく見える至近距離。
これなら。
これならば、暗示をかけることが出来る。
そう確信した真は、意識と視線を二人のうちの一人に集中させた。
「……」
両者の目が合うが、その後も相手が目をそらす様子はない。
「(さあ、隣の人間を押さえつけちゃいなさいっ!)」
意識をその命令に集中させる。
ここまでくれば、まず失敗はしない――真はそう信じて疑わなかった。自分の力はそれほど弱いものでもない。
もう相手は思考すら正しく機能しないはず。
「で、でえっ!?」
直後、想定外の状況に真は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。効いていない。
自分の力による暗示が、まったく通用しなかったのだ。
何事もなかったかのように自分の方へと走ってくる二人。
触れるか触れないかのギリギリのところで、ようやく真は走り出した。
「(今まで失敗しなかったのに、なんで、なんでぇ〜)」
思わず泣きそうになる真だった。
人間以上の力を持っていたとしても、数の差や運などでそれはいくらでも揺らぐ。
あえて全員との正面衝突を避けていた真だったが、予定よりもずっとはやく体力の限界が訪れ――
その上、本人にとって最大の武器であり切り札だった暗示能力が失敗に失敗を重ねる失敗続きだったことで、じわじわと劣勢に追い込まれつつあった。
「さて、決断はいかがかな」
狭い通路にはさみうちされ、退路を塞がれた真の前でキースが問いかける。
涼しげでありながら、どこか重い雰囲気を感じるシルエットだった。
「あ、あはは……もう少し延長してくれないかな、なんて……」
「無理だ」
悪あがきとして出した願いは、ほんの一瞬で却下された。
さすがの真も嫌な汗が止まらない。当の本人にはわからないが、その表情はこれ以上ないくらいに青ざめている。
風の噂で、真は聞いたことがあった。
ハンターに連れて行かれた吸血鬼は、人間のおもちゃにされてしまいそれはもう遠慮一つなく好き勝手に始末されてしまうのだという。
ある者は身体を切り刻まれ、内臓という内臓を引っ張り出されて売り飛ばされる。
話によると、そういうものを何よりも愛するコレクターも存在しているらしい。
特に血液は不老長寿の薬として高く売れると聞いた。
ある者は吸血鬼特有の行為である『誓約』を逆に利用され、下僕となり地獄のような毎日を送らされる。
誓約というのは言葉通りのもので、片方が主人、残る一方が下僕としてそれぞれが儀式を通して誓う。
下僕となった者は、誓いを交わした以降主人に絶対服従となり、命令の類には逆らうことができない。
この二つの他にも恐ろしい噂は絶えない。
「(死にたくない!)」
そうして考えをめぐらせられるだけの余裕はあったが、状況に関しての余裕は全くといっていいほど真にはない。
数はもちろん、相手は人間だけではない。目の前には純血の吸血鬼が立っている。
「……返答は分かっている」
「えっ?」
キースが発した一言に、わずかな期待を寄せる。
もしかして、もしかするのだろうか。真はキースが次の言葉を口にするのを待った。
「生きてさえいれば傷物でも構わないとのことだ。やれ!」
そして、そんな期待を抱いた自分を真は深く責めた。自らを囲んでいた人間が、一斉にこちらへ向けて刃物を向ける。
逃げられない。
ついには全てを覚悟した真。できることは、ただ反射的な受け身を取ることだけだった。
作品名:Under the Rose 作家名:桜沢 小鈴