Under the Rose
10.5.Daydream(8/8)
凍てついた空気の中、階段を上る音が聞こえる。
規則正しいそれは、夜のしじまの中でゆっくりと響き続ける。
しばらくしたのち、その音はぴたりと止んだ。最後の段を上り終えたらしく、今度は屋上に続く扉を開ける音。
夜間には鍵がかけられているはずの扉は、嘘のようにすんなりと開いた。
その人影を除いては、誰もいない。
静かに繰り返される非日常に、誰も気がつかない。
屋上に出るなり、鮮やかな満月の光が人影を照らし出す。
黒いウェーブがかった長い髪に、闇に混じると判別がつかなくなってしまいそうな漆黒のドレス。
数年前と同様の姿をした、吸血鬼としての真がそこにいた。
片方の腕に抱いているのは、持ち歩くには少し大きな花束。
周りを見渡し、誰もいないことを確認したのちにまっすぐに歩き出す真。
そう広くもない屋上。すぐに、金網の前へと辿り着く。
上を見上げ、一瞬考えるように固まったあと、彼はすぐに行動を起こした。
身長の倍もありそうな金網をよじ上り、越える。
花束を抱えたままだというのに、その動きは身軽そのものだった。
そして、金網と宙の間にあるわずかな足場に降り立つなり、ためらいもなく一歩一歩前に出る。
ゆっくりではあるが確実な足取り。
喧騒から離れた静かな屋上に、わずかな足音だけが響く。ギリギリのところで歩みは止まった。
「どうか……どうか、この手向けが最後であるように」
ちいさく呟いた言葉は、この国の言葉ではなかった。うつろに視線をただよわせながら、言葉を紡いだばかりの唇を噛む。
そのまま、手に抱えていた大きな花束を投げるようにして宙へ落とした。
『束』という形をとどめきれずにバラバラになった花の一本一本が、建物と建物の間にある狭い空間へと散っていく。
小さな花は、地面に辿り着く前に暗闇に飲まれて見えなくなった。
見届けたのちに、屋上に立つ真がまた一歩前へと踏み出す。
「――――」
広げた両腕に冷たい夜風を受け、わずかに微笑んだあと、前へと差し出した足は地を離れた。
先ほどの花束と同様に、その身体は永遠ともいえる一瞬を経て落ちてゆく。
地面を離れて、落ちてゆく。
作品名:Under the Rose 作家名:桜沢 小鈴