珈琲日和 その9
「そう言われれば、峰子さんも美和子さんも彩子ちゃんもみなさん美女揃いですね」
「だろ? それにさっきの美人さんもな」
「さっき? ああ、マリさんの事ですか?」
「それ以外に誰がいる? 見応え充分のゴージャスな美女じゃないか」
「確かに・・・美人には違いないですけど」
僕の苦笑いに、渡部さんは不思議そうな顔をしつつも満足そうにカフェモカをがぶりと飲みました。その様子が先ほどから流れているJohnny Winterの曲になんだか合っていて、思わず笑ってしまいました。いつもクールな渡部さんが峰子さんと一緒の時以外でこんな可愛らしい表情をするのは珍しい事でした。
「俺もあんな美人と知り合いになってみたいもんだ」
「渡部さんがそんなに美女好きだとは思いませんでしたね」
「美女を嫌いな男の方が少ないだろう? 美しいものは目の保養にもなる」
その好奇心一杯の子どものような真剣な眼差しで語る渡部さんに、僕は確かにと頷きながらカレーをお出ししました。
「気になるのでしたら、宜しければマリさんのお店にお連れしましょうか?」
「おお!是非頼む!」
と言う事で数日後、僕と渡部さんは仕事が終わってから連れ立ってネオン輝く夜の新宿ゴールデン街へと繰り出したのです。
「そこのおにいさーん寄ってかなーい?」
彼方此方から飛び交う色っぽい誘いを生真面目に断りながら渡部さんの顔が些か強張り始めていました。
「なぁ、マスター。まさかとは思うんだが、まさかじゃないだろうな?」
「え? どんなまさかですか? はい。着きました。ここです」
僕はアールヌーヴォー調の手すりが伸びる階段の前で立ち止まりました。
「なんだ? 何処だ?」
「この階段を登った所にマリさんのお店があります」
「なんだ。凝った造りの階段だな。でも普通そうで良かった」
「? なにがですか?」
「いや。なんでもない」
渡部さんはそう言い捨てると先に階段を登り始めました。するとすぐに古びた真鍮製の丸い取っ手がついた分厚い木製の扉が現れ、その上には真っ赤な薔薇の装飾を施され秘密の花園と書かれた巨大な看板が出現しました。
「おい、マスターまさかここじゃ・・・?」
「え? そうですよ。ここですよ」
階段の途中でそんな事を言っていると、急に店の扉が開いて中から南国の花々のように鮮やかな色を纏った美人のホステスさんが現れました。どうやら呼び込みに行くらしいのです。たちまち僕らを見つけて圧倒的な笑顔と力で店の中に迎えてくれました。
「あら、マスターじゃない。来てくれたの? 嬉しいわ。そちらの男前の方はどなた?」
金色のドレスに身を包んだ純金の塊のようなマリさんが長く豊かな髪を揺らして手を振りました。渡部さんは固まったまま動かなくなってしまいました。
「今晩は。こちらは常連の渡部さんです。今日はどうしてもマリさんに会いたいとおっしゃるので・・・」
「おいおいおいおい!マスター余計な事言わなくていいからっ!」
「あらっ!そうなの光栄だわ。初めましてマリと申します。この店のチーママよ!」
マリさんの豪華な笑顔にウィンクまでされた渡部さんはまるで夜遊び初体験の初々しい新社会人宜しく眩しそうに目を細めながらも、丁寧にお辞儀をしていました。
「あ、渡部と申します。宜しくお願いします」
「こちらこそ。マスターの喫茶店には時々顔を出しているの。2人共水割りでいいかしら?」
「お願いします」
僕と渡部さんは思わず声を揃えて言ってしまいました。マリさんはくすっと笑って僕にはジャイアントコーンと水割りを渡部さんにはミックスナッツと水割りをそれぞれに出してくれました。
「僕がジャイアントコーンが好きだって覚えていてくれてたんですね」
「当たり前よ。お客様の好みは一人一人正確に把握出来なきゃホステス失格よ」
背の高いマリさんの惜しげもなく強調している豊満な胸に目を奪われながらも僕は感心してしまいました。
「すごいな。よく俺がミックスナッツ好きだってわかりましたね」
「渡部さんはなんとなくそんな感じがしたからよ。当って良かったわ」
「峰子はいくら俺がミックスナッツが好きだと言っても、自分が柿ピーが好きなもんだからそれしか買ってこないんだ」
「渡部さんは先月ご結婚したばかりなんですよ」
「あら、新婚さんなのね。いいじゃない。一番熱々の時よ」
渡部さんにからかうように言うマリさんは先日よりはいくらか元気になっているようでした。
「元気になられたようで良かったです」
「あら。なんの事だったかしら? あたしは基本的には元気よ」
「色々と」
「相互理解には妥協もある程度必要だと言う事? それとも相容れない喧嘩の事?」
「うーーん・・・両方でしょうか」
「私達のような滲みがついてしまった人間はどうしたって頑なに滲みがとれないどころか逆に広がっていくだけ。なら、その滲みを不安がって忌み嫌わないで認めて生かしていければいいのよ。いつか滲み色に全てが染まってしまっても胸を張っていれば、その色が粋に見えるかもしれないわ。いいえ。誰も理解してくれなくても自分がわかっていればそれでいいの。例え汚い道を歩いていても自分で決めた理だけは真っ直ぐに持って歩いていれば必ず足跡は後ろに繋がっていくわ。そしてそれが自分の生きている証なのよ」
些か酔っているのでしょうか。ちょっと以前とは違う話の答えのような気もしましたが、マリさん自身が納得しているようなのでまぁいいかと思い聞いていました。
「その通りっ!やっぱり美人は前向きで気が強いのが一番だ!」
美人好きの渡部さんはお酒が進んで威勢良く言いにっと笑いました。
「光栄だわ。渡部さんって随分といい男じゃない? 奥さんと別れたらいつでも相手してあげるわよ」
そう言って片目を瞑るマリさんに、渡部さんは溜らず吹き出して咽せ始めました。その横で僕はマリさんが言った事を考えていましたが、ふと思い当たって手を打ちました。
「だからカフェマキアートなんですね」
マリさんが僕を見てにっこりと笑いました。
春の風に吹かれて、最後の桜の花弁が惜しげもなく舞い散るある日の午後。渡部さんと峰子さんのご夫妻がいらっしゃってました。どうやら最後の花見と洒落込んだようです。
「この間のマリさんはそりゃーいい女だったな。あんないい女は滅多にお目にかかれないさ。な、マスター?」
渡部さんが面白そうに峰子さんの前でぬけぬけとそんな話をするので、僕はわかってはいますが内心冷や冷やしていました。峰子さんはへぇーそうなのーと相槌を打ってはいましたが、何処となく不機嫌なのが見て取れました。
「あらそう。そんなに素晴しい方なら是非とも一度拝見しなくちゃ。ね、マスター」
「はぁ・・・」
その時タイミング良くマリさんが扉を開けて入ってきました。今日は髪を1つに結わえ、白い縞のワイシャツにスリットの深いグレーのスカート、金色のアクセサリーが品良く光りまるで貿易会社の秘書のような出で立ちです。
「こんにちは。マスター、それに渡部さん・・・あら?」
マリさんは手を振る渡部さんの隣で若干訝しそうな顔をしてこっちを見ている峰子さんをじっと見つめました。
「峰子? 峰子じゃないの? 久しぶりねぇ」