茅山道士 かんざし1.5
「いたっ!! 角端兄。言いたいことがあるなら口で言ってくれ。度々、その堅い手で叩かれては頭が割れてしまう。」
フンと一言だけ吐くと角端は白麒麟に後は任せるとばかりにスタスタ館へ戻ってしまった。
「青飛、少しは静かにしないか。館のものが起きるだろうが。」
「策明兄、焦らさず教えてくれ。」
兄がたしなめているのもものともせず、同じ問いを繰り返した。困った様子で兄は急かす弟に麟の経過を聞かせた。
「でも逢ってはいけない。おまえは帰りなさい。しばらく出仕しなくてもいい。」
最後に白麒麟は青麒麟にギラリと眼をやった。一瞬、青麒麟はたじろいだ。温厚な白麒麟に睨まれるのはこわいものだ。
「だが、俺も麟に逢いたい。」
「だめだ。」
「どうして? 俺とて麟のことはよく知っている。策明兄も角端兄も麟と逢っているのに、どうして俺はいけないんだ。」
「麟はおまえの知っていた仙人ではない。まして、麟は人間だ。おまえが興味本位で逢ってはいけない相手なのだ。」
諭すように策明は穏やかに話している。黙って聞いていた若い麒麟はぼそりと呟いた。
「あの方は黙っていってしまった。………だから、麟とはそんなことになりたくない。」
「麟はあの仙人ではないと言ってるだろう。たまたま、傷の手当てを受けた人界のものだ。むやみに関わりを持つのはよくないのだ。」
「一度でいい。一度だけ逢わせてくれ。何も言わない。ただ、逢いたいんだ。」
その昔、青麒麟は角端と談笑するかの仙人を遠くに見ていた。たまに話すこともあったが、親しいというほどではなかった。それでも角端とあれほど語り合える相手に一目置いていた。しかし、当の本人はいたってのんきに、「おまえが角端を恐れているからで、角端はいつもおまえたち一族の者を大切にしているではないか。それがわかっていれば、恐れることなどないのだよ。ちゃんと目を見て角端と話してごらん。」
と、言った。その後、青麒麟は角端に言いたいことを吐き出せるようになった。穏やかで聡明な仙人は青麒麟のあこがれになった。年齢的には青麒麟のほうが何百年か年上だが、精神的には仙人のほうが上だった。たいして西王母の館に出仕するわけでもなかった青麒麟はかの仙人が人界に落ちたと知ったときは何年か沈んだ。それが転生して自分の近くにいるのだ。どうしても一度逢わずにはおれないのが青飛の心情である。
「会わさぬというのなら、人界に降りて逢いに行く。」
はっきりと青飛は策明に宣言した。用もなく人界に麒麟が降りるなど西王母や角端が許すはずもない。罰も覚悟の構えだ。
「確かに俺は一族の中では若造だ。無茶だということも承知している。だが、この館であの仙人がいっとう気にいっていたのだ。その生まれ変わりに俺が逢いたいのは興味や好奇心じゃない。確かめたいだけだ。」
本当に生まれ変わって元気にしていることを、きっと少し話せば、それがあの仙人かどうかわかるだろう。青麒麟は確信できたら心底安堵できると思うのだった。あまりに強く言うので仕方なく白麒麟が折れて許した。
「明日、一度だけだぞ。けっして転生のことも過去のことも話題にしてはならんぞ。」
「わかった。では、明日。角端兄に殴られても逢うからな。」
それだけ言うと麒麟の姿に戻りふわりと中空に浮かび、音もなく立ち去った。
「しょうのない奴だ。」
白麒麟はクスクスと笑い自分もゆっくりと館に戻った。どうやら怪我人はおとなしく休んだらしく部屋の灯は消えていた。そっと中を覗くと黒麒麟が麟の寝台の傍らに麒麟の姿で眠っていた。扉が開いたので顔を上げたが、御馴染みの白麒麟と認めると面倒くさそうに顔を伏せた。さっさと出て行けの合図である。構わず策明が麟に目をやるとうつぶせで顔だけ横を向けて眠っていた。息苦しくないようにクッションで身体を柔らかく支えているらしく寝息は静かである。
「おやすみ、角端。」
小声で黒麒麟に声をかけて白麒麟はそっと扉を閉めた。
青麒麟が現れたのは次の日の午後になってからであった。西王母が席を外すのを見計らっていたのだろう。庭で白麒麟、黒麒麟と共に麟が日光浴をしているところへ随分遠くから人型で青麒麟が歩いて来た。緊張しているらしく歩き方がぎこちない。角端がそれを目に止めて策明をギロリと睨みつけた。
「逢いたいんだそうですよ。」
それだけこっそりと言うと、横を向いて麟に、「うちの末の弟が遊びに来たようだが同席させても構わないか。」 と、尋ねた。麟は頷き、策明は青麒麟を手招きした。
「はじめまして、麟殿。」
それだけ言うと策明の隣に座った。角端は相変わらず無口に明後日の方向を向いている。
「うちの末のほうの弟で青飛。暇をあかせているのでこき使ってやるといい。」
策明は麟に青麒麟青飛を紹介した。麟はニコニコと会釈した。
「いくら末の弟とおっしゃられても、私よりずっと年上の方に用事などお願いできません。」
「いや、構わないのだ。本人も退屈しているのだし、青飛、皆に茶を持って来てくれないか。」
策明は麟の代わりににこやかに命令した。青飛は慌ててすっ飛んで行った。
「角端。」
不服そうな角端を策明が館の中へ連れ出した。
「そう怒らないで、逢わせなかったら人界まで追い駆けると強情を張ったのです。一度だけと申し付けてありますから、少しここで待っていましょう。」
「……傷に障らんようにな……」
言い終わらぬうちに角端はスタスタと館の奥に入ってしまった。やれやれ、策明は笑いながら庭にぽつんと取り残された麟を回廊の端から見守っていた。
騒々しい音ともに青麒麟が戻って来た。手には茶がなみなみと入った茶器がのった盆をしっかりと持っているが、危なっかしいことこのうえない。
「あれ、うちの兄たちは?」
「おふたりとも館に戻られたようです。せっかくのお茶が冷めてしまいますね。」
「いやいや、では麟殿だけでもどうぞ。」
青麒麟は策明が気をきかせて角端と共に席を外してくれたのがわかっていたので、慌てずに麟に茶を手渡した。しかし茶器の蓋をとらずに渡したので、麟は一端茶器を下に置いて蓋をとって一口飲んだ。
「あの……麟と呼び捨てで結構です。青飛様。」
「じゃ私も呼び捨てで。」
「それはできません。」
「そうでないと、俺も麟殿と呼ぶ。だから、軽く青飛とお願いします。俺は兄たちのように人格者ではないので敬称など不要です。」 半ば強引に麟に認めさせ、青飛は徐々に緊張をほぐしていった。「ところで、麟。ひとつ尋ねるが、うちの角端兄は怖くないのか。俺などよく殴られるし、あの通り怖い顔だ。」
そこで青飛がふざけて頭を抱え殴られるのを防ぐまねをしたので、その様子が妙に真剣味があり、麟はイタタタッ…と笑いながら呻いた。それにはふざけていた青麒麟が慌てた。
「大丈夫か。麟。」
「……大丈夫です。笑うとダメなんです。でも大丈夫ですからご心配なく。……初めて角端さんにお逢いした時には驚きましたが、あの方は優しくていい方です。あなたを叱られるのは、きっとあなたが大切だからですよ。」
作品名:茅山道士 かんざし1.5 作家名:篠義