茅山道士 かんざし1.5
安堵した王夫人は、青竜王にお礼を言うように促した。お礼を受ける本人は大袈裟なことではありませんよ、といたく平気である。「たまたま、うちの分家筋にいらっしゃるとわかったからですよ。お礼など結構です。」
「ありがとうございます。あの…あなた様のことは何とお呼びすればよろしいですか。」
「えーっと、『若長』で、なんなら『まぬけの若様』でもよろしいですよ。ハハハ……」
以前青竜王の友人は、公式の場では前者を、非公式の場では専ら後者だったので、それを知っている王夫人はクスクスと笑っている。つられて麟も笑い出したが、小刻みな振動が肩にきてイタタタッと声をあげた。
「笑わせてはいけなかったかな。すまない。麟殿。」
「いえ、大丈夫です。それより私のことは呼び捨てにしてください。お願いします。」
三人が和やかに歓談しているのを聞きつけた者がやって来た。白麒麟策明と黒麒麟角端である。青麒麟は待っているのに飽きたらしくふらりとどこかへ消えていた。
「麟!!」
策明は立っている道士の姿をみつけ駆け寄った。麟のほうも二人の姿を目にして喜んだ。
「もう起きれるのだな。よかったよかった。」
心底、策明は喜んだ。傷付いて意識のない麟がこのまま冥界へ逝ってしまうのではと心配していた白麒麟には、肩から手をつり痛々しそうではあるが微笑んでいる麟の姿は本当に嬉しかった。
「ご心配をおかけしたのですね。すいません。……お久し振りです。策明さん。角端さん。」
ガヤガヤと賑やかな声が辺りに響き、少し離れたところで休んでいた西王母の耳にも届いた。仙女が起き上がって、声のするほうを見やると五人が仲良く歓談している最中だった。どの顔も嬉しそうに輝いている。遠目にしている西王母も思わず口元が緩んだ。久し振りに青竜王や策明それに角端までがはしゃいでいる。何百年と生き続ける彼等がこれほどにはしゃぐのは珍しい光景である。普段は無口で無愛想な偉丈夫として有名な角端が、喋っているわけではないがニコニコと、歓談の輪の中心にいる麟を目で追いかけて少し微笑んでいる。白麒麟以外とは滅多に口を開かないものが歓談に同席して楽しんでいる。その背後からわざとらしい咳払いが聞こえ、一同が振り返った。自称麟の母親がすまして立っていた。
「おやおや、皆様お揃いで楽しそうね。……麟、誰か来たら起こしておくれと頼んだのに…私くしを仲間はずれにしましたね。」
「いいえ、お母さん。よくお休みでしたので……」
麟の言葉にその場の全員が、『お母さん?』と復唱した。
「そう、ここにいる間、この子は私くしの子供です。子が母をそう呼んではいけませんか。」
道理では悪くない。だが、他の仙人にこの場を目撃されてしまったら大騒ぎが起こるだろう。西王母は懲りもせずまた養子を育て始めたのかと…。それはちょっとまずいと皆は思っている。
「悪くはないと思いますが……少し驚きました。」
皆を代表して青竜王が返答した。返答を物ともせずに西王母は麟の側に割って入り提案した。
「内へ入りましょう。ここにいては騒ぎがますます広がりそうですからね。」
いそいそと麟を連れて自称母親はゆっくりと歩き出した。王夫人が先に中へ行って、部屋を整えさせた。少し広い部屋に絨毯を敷き、クッションをいくつも置いてくつろげるように配した。そこに他の仙女にも手伝わせてお茶や菓子の用意をさせた。皆がそれぞれ好きな場所に座り、歓談は続けられた。
ひさしぶりに歩いたのがこたえたのか麟はその席でうつらうつらと白麒麟に寄り掛かったまま居眠りをはじめ、とうとう眠ってしまった。
「疲れたのね。」
王夫人がそっと上から覗き込んだ。完全に眠ってしまった麟はまったく気が付かない。
「傷が思ったより深くて、大量に血を流してしまいましたからね。体力が戻るにはもう少しかかるでしょう。それより、気に懸かるのは右手の傷ですね。かなり深く切ってしまったから、ちゃんと物を握れるようになるかしら。」
一同が麟の顔を眺めた。どの顔も慈愛に満ちた優しい顔だ。一気に五人の視線を浴びても、当の本人は眠りの中である。ずっと、無口に座っていた黒麒麟はそっと立ち上がって、麟を静かに抱き上げた。「ごゆっくり」 と、だけボソリと言うと部屋を下がった。
そっと麟を寝台に下ろしたが、傷の具合で俯せに寝かされていたのを失念して仰向けに寝かせた為に麟は痛みで目を覚ました。
「どこか痛いか。」
心配して角端が尋ねた。ゆっくりと麟が起き上がり、どうやら自分が居眠りして黒麒麟にここまで運んでもらったことを察した。
「すいません。つい、うとうとして……」
「かまわん。どうせくだらぬ茶会だ。」
歓談の席であれほど無口だった黒麒麟とは思えぬほど間髪を入れずに声を発した。麟のほうも知った相手で気が楽である。
「以前も私が目を覚ますと、角端さんがいらっしゃいましたね。度々、ご迷惑をおかけします。」
道士は以前角端と出会った時のことを思い出した。その時も角端は漆黒の麒麟姿で寝台の傍らに存在していた。そして、目覚めた道士に同じ様に傷の具合を尋ねたが、麒麟の姿に驚いて口を聞けぬ道士を鼻先でフンと笑っていた。道士の言う過去の話を頭に思い浮かべはしたが角端はまたフンと鼻先で笑い、以前と同じ様に傷の具合を尋ねた。
「だいぶ楽です。でも、痛みがなかなか取れませんね。」
「その手はどうした? ]
「かんざしを奪おうとした相手が差し出した短剣を素手で掴んだんです。その時は痛みを感じなかったのですが……」
黒麒麟は痛そうに顔を歪めた。無茶をする奴だと口にすると、相手は、「必死だったんですよ。」と照れ隠しに笑いながら答えた。いくら抵抗するにしても限度があるだろうに、と黒麒麟は思うのだ。「角端さん。実は大切な杖をあそこに置いてきてしまいました。人界に戻して頂く時はあそこへ降ろしてくださいね。」
「まだ、先の話だ。」
「いいえ、もう起き上がれますし…ぼちぼちお暇乞いしてみようかと思っています。うちの兄弟子もまた突然に私がいなくなって心配しているでしょうから。」
どうしてこうなってしまうんでしょうね…残念そうに怪我人は黒麒麟の顔を見て悲しそうに笑った。麟は緑青を守りたかった。ただ、それだけだったのに、なぜか天界、仙界を巻き込んで大騒ぎになってしまった。自分の独りよがりの判断が自分の生命の危機までも呼んでしまったのだ。自称母から叱られて落ち込んではいないのだが、心に重く残っているのは確かである。
「兄弟子は心配いらん。あそこのまぬけな若長が『かんざしを返しに行ったから遅れる』 と言付けをしてくれた。人狐は竜の眷族だ。大切にもてなされているはずだ。」
「えっ? あの方は竜の一族の…」
普段スラスラ話さない黒麒麟はポロリと秘密を漏らしてしまった。「今のは内緒だぞ。麟」
焦った黒麒麟があまりにおかしかったので、麟はケラケラ笑ってイタタタタッと呻いた。麟は涙が出てきた。笑う振動で傷が痛み、黒麒麟の優しさが嬉しくてさらに涙を誘う。イタイ、イタイと言う麟に黒麒麟はおろおろしている。
作品名:茅山道士 かんざし1.5 作家名:篠義