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茅山道士 かんざし1

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 人の話を聞いてくれと思いながら、麟は目を閉じた。
「好きにしなさい。」 それだけ言うと、意識は遠のいた。ヌラリと刃の光る短剣を手にした男が、道士に切りかかった。軽く頬に傷をつけたが、道士は気を失ったままである。次に、短剣を降り下ろそうとした寸前に、どこからともなく怒気を含んだ声がして、木立ちの中から偉丈夫な男が姿を現した。
「何をしている。」
身の丈は短剣を持つ男よりも高く、黒い服を着ているせいか異様なただならぬものを感じさせた。驚いた男は、踵を返すと馬に飛び乗り一目散に逃げ出した。
「麟!! リン!!」
 偉丈夫な黒衣の男は、倒れている道士を揺すり起こした。フーッと息を吐いて、意識を戻して第一声に、こう言った。
「どなたかは知りませんが、………私のつれが東の次の街市におります。どうか連絡をお願いします。」
 人がいないことを確認して仙女と青竜王もやって来たが、その言葉に心配が爆発した。
「私たちがわからないの。麟。」
 側からの声で、ようやく誰がいるのか判った道士は、呼びたてたことを謝罪し、もう一度自分の兄弟子がいる詳しい場所を告げた。「……その方は人狐の一族の方で、……以前お世話になった人狐の縁者です。お呼びたてして申し訳ありませんが、そこまで私を連れて行ってください……」
 消え入りそうな声でそれだけを伝えると、また麟は眠るように気を失った。身体を起こしている角端の衣服には流れ出る血がべったりとついている。
「どうしますか。王夫人様。人狐ならば、我が眷族です。何なら私がお連れしますが……」
「いえ、この傷を手当てしなければ……ひとまず私くしの石室へ…」「おまちください。」
 遅れてきた白麒麟は肩に先行した雉を止まらせて、三人の間に入った。
「西王母様が、謡池に連れて来るようにとおっしゃられました。」 仙女と黒麒麟は顔を見合わせた。まずいことになったとは、口に出して言えないが、ここにいた者は全員そう思った。
「お母様がご存じなの。」
 王夫人は全ての動作を止めてしまった。しかし、そうこうしているうちに黒麒麟は麒麟に戻り、麟を背にのせて飛び上がった。王夫人の言葉を待っている余裕は、麟の容態からしてなかった。それを見て仙女も後を追うように空へ昇った。
「やれやれ、またお声をかけていただけなかったな。」
「気が動転していらっしゃるのですよ。どうかお許しください。青竜王殿。」
 白麒麟も後を追う為に空へ駆け上がったが、青竜王がついてこない。声をかけると、用があるから先に行ってくれと言われてしまった。一体何の用だろうと策明が首をひねりながら戻って行った。皆の姿が消えてから、青竜王はニヤニヤとしながら歩き始めた。
「まあ、あの怪我だから当分謡池の館に足留めされるだろう。話はゆっくり聞くことにして、あの元おちゃらけのお願いとやらをかなえてやることにするか。」


 次の街市に到着した緑青は、麟が布袋に押し込んでいった紹介状を手に先方を訪ねた。相手は大層喜んで、屋敷の中に迎え入れた。「いえ、あなたの縁者を助けたのは私の弟子でして、それと待ち合わせの約束をするだけですから、屋敷の玄関に置いていただければ結構です。」
「何をおっしゃいます。私の姪を助けていただいた方のお師匠ともなれば、どうぞ屋敷の内でおくつろぎください。何日でもゆっくりしていただいて結構ですから。」
 主人から屋敷の一室を与えられ、緑青は少々困惑気味だ。たかだか迷子の子供を送ってやっただけだった筈なのに、ここの一族はとても恩義にあついのだろうか、と思っていた。しかし、軒先で何時来るかわからぬ相手を待っているより館の一室で居るほうが楽である。緑青は部屋の窓を開けて椅子に腰掛けた。
 師匠役の道士が居眠りなど始めた頃、屋敷に別の来客があった。その者は身なりは大家の者のように派手ではないが良い仕立ての服を着、春のような緩やかな顔で玄関に入って来た。下僕の一人が応対すると、『敖家の長男が来た。』と取り次いでくれるように頼まれた。下僕が聞いたこともないので不思議に思いながら主人に伝えると、主人は一瞬青ざめて、本当に『敖家』と言ったかと尋ねた。「はい、そう取り次げとお客様が申されました。」
下僕の答えを聞くと主人は玄関にすっ飛んで行った。
 来客がぼんやりと待っていると、跳ねるように屋敷の主人が走ってきた。
「あの、失礼ですが、敖家の方とおっしゃられたのは……。」
「はい、私です。」
 主人はやや拍子抜けした。自分の主家筋の長男が来たというので、慌てて飛んで来たところ、玄関にいたのはどうみても、そこいらの道楽息子が遊びに来た様子なのだ。偽りかと主人は眉をひそめた。「あのー嘘ではありません。なんなら、ここで証拠を見せてもよろしいのですが、館が吹っとんでしまうのをお許しくだされば、竜の姿に変化しますが……よろしいですか。」
 道楽息子はニコニコと冗談でも言うように軽やかに語った。それを聞いた主人は青ざめて土下座した。
「私くしが一瞬でもあなた様を疑ったことをお許しください。我が家に主家のあなた様がいらっしゃるなどと考えもしませんでした。私の浅慮でございました。」
 しゃっちょこばった主人の前に屈み込んで、またニコニコ笑いながら自分が突然に押しかけて来たのだから当然であると返した。人狐は竜の眷族にあたる。そのことを知っているのは人界では当人たちだけである。人に混じって暮らしている人狐のところへいきなりそんな冗談ができるものはいない。来るのは当人だけだろう。
「何かお急ぎの用でも? 」
 主人は恐る恐る尋ねた。失礼があっては末代まで許されない相手であるだけに慎重である。
「いえ、こちらに待ち合わせをしている道士様はおられる筈ですか…」
「はい、先刻からお待ちです。」
「ああ、その方に伝言があるのです。お弟子さんから。」
 自分の主家筋の頂点に立つ人物に言付けを頼むとは、一体姪はどんな人物に助けられたのかと当惑した。その主人の様子を見ながら道楽息子は手を振って否定した。
「いえいえ、我が眷族と縁のある方だとのことなので、私が勝手に伝言役を買って出ただけで、私も本人とはお話ししたこともないのです。さて、逢わせていただけますか。ご主人」
 敖家の若長は屋敷の主人に丁重に招きいれられ、道士の待つ部屋に通された。そこには、初老というには少し間のある男が椅子に腰掛けていた。入り口から主人と若い男が入って来たので、緑青は立ち上がった。主人は我が家の主家筋の若様が、あなたに御用だそうですと紹介すると早々に立ち去った。目前の人の良さそうな道楽息子はにこやかに挨拶して、緑青の前に立ち自分の来訪の目的を告げた。
「あなたが麟さんのお師匠様ですね。」
「はい、うちの弟子が何かやらかしましたか。」
「いえ、ちょっと遅れるので、しばらくここで待っていてほしいと伝えてくれと頼まれました。」
作品名:茅山道士 かんざし1 作家名:篠義