小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

シンク・レイル#1 雪に散る

INDEX|3ページ/6ページ|

次のページ前のページ
 




 ノースペテルを含むエルクト国の街々の一部は、王に任命された領主が、それぞれ特殊なかたちで統治をしている。
 例えばノースペテル現領主ルードフェルド・ハオラ・コーラレル伯は、街の民から選出された三人の官僚の意見をもとにするという民主に近い統治をする領主であった。
 ルードフェルドの手腕は確かであり、民の要望に誠実に臨みつつ、官僚の顔も立てる。妥協すべき点と抑えるべき点を知る、希有な人材と言えた。
 他地の領主たちが乱暴な統治で反乱の波にさらわれようとしている中、民からの絶大なる信頼を集めたルードフェルドは、『国内で最も身の安全が保障されている領主』とすら呼ばれたのであった。


 ――さて、その名領主のおひざ元。

 民から民へ領事館と呼び習わされるようになった屋敷のどこかで、深窓の令嬢が溜息を吐いた。
 ロザリンド・ユナ・コーラレル。
 ルードフェルドの実兄であるサーバイン公の娘であった彼女は、六年前に妻も子もない叔父のもとに養女として迎え入れられた。
 暖かい父の領地からこの極寒の街に移って来たとき、ロザリンドはまだほんの十を少し過ぎたばかりの年齢だったが、今では亜麻色の髪を長く伸ばした雪のような儚く白い美しさを持つ女性に育っていた。
 あともう数カ月もすれば、婿選びが始まるという時期に達した彼女は、窓の外の暗闇にちらつく雪を眺めては、小さな吐息をしきりに洩らしている。
 時はとうに夜半を数え、領事館から見渡せる街並みにも明かりは無い。ただ窓際に置いたランプがぼうっとした光を放つばかりであり、彼女のひとときは誰にも阻害されることなく続いた。

 ――養父が嫌いなわけではない。むしろ慕っているし、好きだ。

 しかし、いやだからこそ、婿をとって養父の後を継ぐというのが嫌だ。名も姿も知らない男たちに会うのが怖くてたまらない。
 エルクトは政治思想が比較的先進している国だが、それでも政治主導を握るのは男だという認識が根強い。ルードフェルドはロザリンドに婿をとらせ、それを影から操って政治をさせようとしているのだ。つまり、婿は能無しの方が都合がいい。それがロザリンドの憂鬱に拍車をかけた。
 気遣いはわかる。ルードフェルドは実の娘のようにロザリンドに愛情を注いだし、ロザリンドはそれを窮屈だと感じたことは一度もなかった。……少なくとも今までは。

 ルードフェルドはいつでもロザリンドに選択肢を与えてくれていた。しかし、今回に限っては見せかけの選択肢ばかりで、実は選ぶべき道はひとつしかない。こんなことは初めてだった。

(おとうさまは、なにを焦っていらっしゃるの?)

 実のところ、ロザリンドの悩みの種は、自分のことよりも養父の焦りようだった。
 ルードフェルドは賢い人間だから、その意図の多くをロザリンドは知ることができない。しかし、最近の焦りようは見て明らかなものだ。
 ロザリンドはルードフェルドとの関係が義父と養女というものであることを差し引いてさえも、自分が深く愛され、そこに特別な隔たりは無いものと考えている。だからこそ、急な見合いの話の浮上に納得がいかない。
 本来のルードフェルドなら、しかるべき時を定めてなおそれをロザリンドに説明し、多くの言葉を費やして意志の疎通を図る―― というような手順を踏むだろう。それが丸ごと省かれているから恐ろしかったのだ。

「これ以上は体に障るかしら」

 ランプの灯もだいぶ小さい。あと少しもしたら尽きることだろう。潮時か。
 ロザリンドは明日に控える予定がある。明日は―― 何を教える教師が来るのだったか。忘れてしまった。
 とにかくもう寝よう。明日になればどうすることもできる。悩みを打ち払うように、そう自分に言い聞かせる。

 ――そう、明日になれば。

(明日、おとうさまにお聞きしましょう。それがいいわ)

 密かな決意を固め、ベッドに入ろうとしたその時だった。……ドアがノックされたのは。

「誰?」

 ロザリンドは少しおびえたように、部屋の扉に向かって声を投げた。
 普段、ロザリンドの私室の扉を叩く者はほとんど一人に限られる。ロザリンドの護衛であり、もっとも信頼できる女官、シエラ・リーだ。
 怜悧として滅多に表情を崩さない彼女は、しとやかに礼儀に重んじたノックをする。今、この時のように乱暴にガシガシと、むさぼるようなノックはしないはずだった。

『お嬢様! 起きていらっしゃいますか!』

 しかし、ノックとともに聞こえてきたのは、聞きなれたシエラの声だった。
 どうやらロザリンドの声はノックの音にまぎれて届かなかったらしい。相手がシエラと知るや、こんな時間に何用かという訝りを残しつつも、ロザリンドは静かに扉に向かって近づいていった。

「シエラ? こんな時間にどうかしたのですか」

 おそるおそる訊ねる。すると、魔法のようにノックの激しい音が止んだ。

『……騒がせてしまって申し訳ありません。しかし、火急の用向きなのです。鍵をかけていただけますか』

 扉越しにシエラの熱が下がったような気配がする。
 ロザリンドはただならぬ雰囲気に息を呑みつつ、ゆっくりと扉の鍵を開けた。

「シエラ?」

 扉を開けると、肩で息をしているシエラの姿が目に入る。
 いつも整えられた銀髪は乱れ、首筋には汗の雫が光る。表情は普段の冷静な彼女の顔だったが、それも務めてのことだろう。険呑な、刃物のごときオーラが背中から立ち上っている。

「お嬢様…… ありがとうございます」

 シエラはロザリンドの顔を見、表情を緩めた。しかし次の瞬間には唇を噛みしめる。

「シエラ、いったいどうしたのですか? どうしてそんな顔をしているの?」

 ロザリンドの質問に、シエラは沈黙を返す。
 時間にして数秒。体感にして数分。シエラはロザリンドの瞳をまっすぐ見つめ、言った。

「お嬢様。これから私の言うことを、落ち着いてしっかりと聞いてください。絶対に取り乱してはなりません。いいですね?」

「はい」

 シエラは息を何度か呑み、呼吸を必死に整えている。

 ――彼女ほどの冷静な人間が、どうしてこんなにも取り乱し得るのか。

 緊張感は空気を通して、ロザリンドにも多大なプレッシャーをかけ始めた。

「本日、国境が破られました。敵国の侵入です。戦争が―― 始まります」



 ◆◇◆