小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

2月 涙虫

INDEX|2ページ/6ページ|

次のページ前のページ
 

 論点が過去に遡ってしまい、思わず話してしまった事を後悔した。母も含め実家の家族は離婚どころか結婚にすら反対していたのだ。それを押し切って結婚して挙げ句離婚しただけに、弱音を吐きずらい。かと言って、あのままズルズルと不倫されながらも一緒にいる気には到底なれなかった。そう。不倫なのだ。離婚の原因は。
 浜崎の不倫相手は以前から家族ぐるみで仲良く付き合っていた既婚女性だった。翠の職場の同僚だったのがきっかけで仲良く付き合うようになり、旭に至っては相手の女の子と大の仲良しでよく泊まりにまで行っていたのだ。それが相手の旦那が脳出血で亡くなってしまってからか、いつのまにか知らないうちにこんなややこしい事になっていた。
「浜崎とどうしたいの? あたしは旭もいるし、離婚する気ないよ」
 浜崎の行動や言動がおかしかったので不審に思って問いつめた所、悪びれもなくさらっと彼女の事を認めた。あまりの事にどうしていいかわからず、とりあえず翠は彼女に電話してどう考えているのか聞きたくて呼び出したのだ。
「離婚はしなくて大丈夫。そんなでもないから」
 綺麗にカールのかかった品の良さそうな黒髪を微かに揺らして、淡い色を身に纏った彼女はなんの詫びもなくにっこり笑って淡々とそう答えた。時々、見え隠れする濃い赤のマネキュアがそれ単体の生き物のようにやたらと目につく。複雑な境遇で育った彼女はどこか寂し気で不思議な魅力を持っていて頼り無さげなところがあったので、翠はよく世話を焼いていたし浜崎も相談に乗っているようだった。亡くなった旦那を恋しがるように寂しがっているのを最近こぼしていたのを思い出したが、だからって何でうちのを選ぶかなと半分腹立たし気でもあった。当時旭は小学校2年生。こんな多感な時期に離婚したりなんて出来るわけない。そう思って最初は離婚なんてする気は更々なかったのだ。
「お互いに子どもがいるんだから、子どもの気持ちも少しは考えてよね」
「・・・わかってる」
 そう言って項垂れる彼女にそれ以上なにかを言う気にもなれず、翠は家に帰って浜崎に彼女と話した彼女の気持ちを言った。ところが、浜崎のところに彼女から電話があったらしく、あなたがいないとダメだと泣いて縋り付かれたらしい。
 あーーーーー・・・嘘だったんだね。でも、どっちが嘘なのかすらわからない。浜崎も翠もあのいやらしい赤いマネキュアに惑わされているのかもしれない。でも、もういい。翠は心底面倒臭くなって疲れた。もういいや。勝手にすれば。でも子どもだけは作って欲しくない。そう言うと浜崎は首を傾げてどうしてだと無神経にも聞いてきた。
「旭と彼女の子どもは友達だったんだから、それがこんな事になってるだけでも破綻してるのに更に複雑な兄弟が出来るなんて嫌に決まってんじゃんっ!」
「そう? それは子ども同士の問題だから。それに旭達は本当の姉弟みたいだったし、更に兄弟が増えるんだからそんなに悪い事でもないだろ」
「あんた達は無責任過ぎんだよっ!そこまで言うなら、もう勝手にすれば。アホっ!」
 それでも浜崎は、どうもよくわからないという顔をしていた。きっと嫉妬してそんな事を言ってるなんて思っているんだろう。バカじゃない。一回死ねば? 間の抜けた浜崎の顔を忌々し気に睨みながら、翠はそれでも仕方ないと思っていた。
 だって、こんなしょーもない旦那を選んだのはあたしなんだから・・・


 なにかが崩れる音がして翠はふと起き上がった。寝ていたのだろうか。いつのまにか窓から伸びる光の色が豆電球みたいなぼんやりした色に変わりやけにがらんとした部屋の中を照らしている。又何か冊子が落ちたような音がした。旭の小狭い部屋から聞こえてくる。旭が帰ってきたのだろうか。
 翠は立ち上がって旭の部屋の襖を開けた。濁ったオレンジ色のうら寂しい薄い筋がぼんやりと滲んだ室内は影になっている部分が際立ち、シルエットになった本棚から無精者の旭がやたらめったら突っ込めるだけ突っ込んだ教科書やら絵本やらが雪崩を起こしたのが認められた。翠が見ている前で、また一冊本が滑り落ちた。旭の姿は何処にもなかった。翠はしばらく動く事が出来ずに立ち竦んでいたが、ふと屈み込んで崩れ落ちた本を拾い集め整理して本棚に戻した。
 影はいよいよ濃度を増してもう殆ど感覚だけで全てを納め終わると、もう窓の外の送電棟くらいしか見えるものはなくなっていた。猫の額程の雑草だらけの庭に植わった老木の梅の枝につき始めた蕾もまだ固く疣のように見えるだけ。
 もう、帰ってこないのかもしれない・・・
 胸に浮かび上がったその言葉はぱちんと割れて悲しい臭いをそこら中に巻き散らした。嫌な臭い。それを紛らわす為に翠はキャスターを一本とって静かに火を点けた。上手く火が出ずに何回か着火してようやく灯った火を眺め、こんな空間では100円ライターの安っぽい音もちょっとした精神安定剤並に効くのだとわかった。知らないなら知らない方がいいような事ではある。
 不意におもちゃの電池式3両編成の電車が学習机の下から走り出してきて、ぎょっとした。電車マニアの旭の机の下には小さな頃から集めた電車のコレクションが眠っていた。翠は走り回る電車を慌てて捕まえて電池を抜いた。それは一番初めに旭に買って上げたものだった。お気に入りで塗装が剥げてしまっても変わらず大切に保管していたその電車を真っ暗に染まった机の上にそっと置いた。その時どうしてだかは判らないが、浜崎の不倫相手である彼女の娘の事を不意に思い出したのだ。
 彼女の娘、蛍ちゃんは旭と5つも年が離れていて、黒目の面積が大きい瞳に肩までに切り揃えられたストレートが可愛らしい華奢な体つきをした変わった記憶の持ち主だったのだ。いつだったか、蛍ちゃんが当時住んでいた浜崎の実家に泊まった夏の日だった。ちょうど夏休みだったので、じゃあみんなで怪談大会でもするかと盛り上がったのだ。浜崎は確か野外ライブかなにかに泊まり込みで出掛けていていなかった。ようやく幼児を卒業したばかりみたいな小学生旭の体験談は少なく、大半は翠が話していたのだが、ふとそれまで黙って聞いていた蛍が静かに口を開いた。
「あの、私も話してもいいですか?」
 蛍は普段からそこまで明るい子ではなく、どちらかと言うとのんびりした控え目な女の子だったので、その時の別人のような黒曜石のような深い目の輝きにふと不思議な気がした。
「いいよー。旭をビビらせてやってよぉー くくく」
「母さんっ!なんだよこれーー! くそぉ苛めかよ?!」
 旭はこのクソ熱いのにもう頭までタオルケットを被り、眉間に皺を寄せてさっきからそわそわと落ち着かないので、翠が面白がってからかっているのだ。蛍はそんな旭を見て微笑みながら、でも私のはそんなに怖くないかもしれないよと言った。
「これは私が持ってる記憶なんだけど、私の記憶じゃないの。多分私として産まれる前の私の記憶なんだと思うの」
「え、それどういう事だよっ」旭が身を乗り出して聞いてきた。旭は蛍が大好きなのは一目瞭然だ。
「前世の蛍ちゃんの記憶って事でしょ。旭、邪魔しないのっ」
作品名:2月 涙虫 作家名:ぬゑ