小鳥と少女
そんな、ある日のことだった。
「白鷺、どうして貴女は反抗しないのです」
硬く強い口調で小鳥が言った。
白鷺は「反抗?」と訊き返した。
「何の話?」
「さっき見てしまいました。貴女、何故魔女にあんなにされて怒らないのです」
「……ああ」
白鷺はようやっと何のことか得心がいった。と同時に何やらばつが悪い心持ちになった。情けない姿を見られてしまったようだ。
「ね、どうして殺してしまわないんだろうね」
「はー?! そんなこと言ってません!」
小鳥が爆発した。比喩的な意味で。
「あのですねぇ、普通はあんなことされたら泣きますよ! 泣くのですよ!」
「まぁ、痛いけど。私は厄介者だからね」
そんな話より月の話が聞きたいのだが。
そう言おうと口を開きかけ、白鷺はぎょっとした。
「えー! 目から水が出てるー!」
「涙ですよ涙! 馬鹿ですか!」
小鳥がだばだばと泣いていた。
「貴女があんまり酷いことを言うからです」
「そ、そうなんだ?」
「はいはい解らないのですね! まったく……、大体何故殺してしまわないのだろう、になるのですか」
「だって、目障りで厄介者で異端な存在を、嫌な因果の巡りが恐いからって、ただ閉じ込めるだけにしてるんだよ。こういうの生殺しって言うんでしょう」
ど、どうでしょう、と小鳥は仰け反った。
「それって、残酷だよね。いらないなら、見たくないなら、放っておけばいいのに」
「……その意見は否定しませんが」
「殺せば、死ぬのにね。私だって」
『再生』の魔法は、使い手が生きていなければ作用しない。死ぬ前に何か時間差の魔法やら何やらをかけていれば違うのだろうが、生憎白鷺にそんなに生へ執着がない。
一発で心臓を貫くか、一発で死ぬような魔法を使うかすれば、白鷺だって死ぬだろう。
異端でも、禁忌の魔法が使えても、所詮はただの生物なのだ。
不老不死の魔物でもない。
「……やめて下さい」
不意に、呻くような苦い声が降った。
いつもの鳥らしい高く陽気な明るさは微塵もなく、それは、低く、重かった。
「やめて下さい。魔女にとっては貴女は厄介者かもしれませんが、少なくとも私にとっては友人です。友人で、恩に報いるべき恩人です」
恩人なのです、と。
まるで懇願するような。
声。
「……小鳥さん?」
「ああ、ごめんなさい。私は、貴女に名前を言わなかった」
「……え、ああ、そうだね」
それがどうかしたのだろうか。
足枷を鳴らしながらおそるおそる近付くと、小鳥が項垂れながら押し殺すように言葉を吐き出す。
「私ははじめ、貴女はそれでも魔女でしょうと言いましたよね」
「うん?」
「あれは、あれの意味は、本当は少し、貴女を警戒していたからなのです」
……うん?
白鷺は大きく首を捻った。ついでに眉も寄せた。
「ごめんなさい、小鳥さん。よく、解らない」
「魔女に、名前を教えてはいけないのです」
「へ、」
「魔女に本当の名前を、つまり生まれその一生で使う命につけられた名前を教えてしまうと、それを利用して鍋に入れられたり、臓物を抜き取られたり、まぁ色々されてしまうことが多いのですよ。と、いうか、魔女に捕らえられた時に逃げられなくなるのです」
「へぇ……」
怖。
ぞっと背筋が粟立った。
「それは、怖いね……」
「まぁ、それで、万が一を思い、言わなかったのです。酷いでしょう?」
「え、何で?」
「私は命の恩人を信用しなかったのです。信頼も。友と思えるようになる相手だったのに」
白鷺は、よく解らなかった。
白鷺は魔女ではないけれど魔女で、しかもこんな懲罰房の一番悪い魔女が入れられる場所に居たのだから、信用出来ないのは当然だと思うし、そんな警戒をしながらも喋りにきてくれた小鳥はある意味大胆というか神経が太いと思うしで、やっぱり小鳥が謝る理由は解らなくて。
ただ。
ただ、友人という言葉が、とても良いものに思えた。
友人、とは何だろう。
解らない。
けれど。
つぅ、と胸の奥に何か綺麗なものが入ってきて、腹の中をゆっくりと満たしたような気がした。
そう、小鳥に白鷺の魔法を感謝された時のように。
「小鳥さん、じゃあ、名前を教えてくれるの?」
少しの期待を持って尋ねて、
「いいえ」
ざっぱり打ち砕かれた。そ、そんな。
「今は、です。私はこれから一仕事してくるので、それが終ったら教えます」
「ぇえ?」
「まぁ適度に楽しみにしていて下さい」
「……はぁ」
もうすっかりいつも通りの小鳥は、白鷺がぽかんとしているうちに、さっさと飛び去っていってしまった。
……やっぱり、小鳥は変わっている。