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小鳥と少女

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 白鷺はぼんやりと空を眺めていた。
 澄み渡るような晴天。胸一杯空気を吸いたくなるような青空——ではなく、うんざりするような曇天だ。さらに雨でも降っていれば少々は面白みがあるものも、ただ曇っているだけで、つまらないことこの上ない。
 しかし。
 だからと言っても他にすることもないのが現状だ。
 ああつまらない。
 ふぅ、とただでさえ暗い室内に、暗くて重い溜め息が落ちた。
 白鷺がいるこの最上階の一室は、とりわけ空気も雰囲気も暗く、彼女を囲う円状に広がった鉄格子が余計に柄を悪くしている。いや、これは鉄格子とは言わず、巨大な鉄の鳥籠と言った方が正しいのかもしれないが。
 その鉄の柱は、簡単に逃げられそうな程前後の間隔が広いが、そこは魔女の村、中の者が触ると電流が流れたりごうごうと燃え上がったり、おかしな幻が現れたり、と面倒な魔法がかけられているのである。やれやれだ。
 じゃらり、と足首に嵌まった、鎖で鉄柱と繋がっている足枷を鳴らして億劫そうに立ち上がる。
 魔女の村を取り囲む森と曇天が、大きくも小さくもない窓の外に広がっている。
 座っていると地面についてしまう白髪が、立つと足首上辺りまでになる。揺れて微かに触れる毛先がこそばゆい。
「あー…」
 暇だ。
 白鷺は眠たそうに口の中で呟いた。
 意味もなく硝子窓を、こつこつと叩く。
 ぱきん、と縁が割れる。
「……」
 脆い。
 にも程がある。
 くらい脆い。
 というかボロい。
 眠た気な目をさらに細めて、彼女はひゅっと息を吸った。
 ぱきん、ともう一度、割れる音。
 だが。
 今度は割れた縁が元通りになっていた。
 つまらなそうにそれを見て、白鷺は窓の鍵の、取っ手の部分を押し上げた。そしてそれを、至極のんびりとした動作で、がらがらと開ける。
 瞬間。
 赤緑の物体が飛び込んできた。


 白鷺はぽかんとその物体を見つめやった。
 頭の天辺から爪の先まで、見事に硬直している。
 別にそれが恐ろしいものだったり『魔女』でも認められないようなものだったからではなく、単に突然過ぎて驚いてしまっただけではあったが、兎に角彼女は声も出ない程驚いていた。
 それは、推定するに、おそらく大部分が緑、腹は白だった、生物のようであった。
 もとは。
 だが今のそれの姿は、見るも無惨に緑が裂け、そこかしこが茶色に変色しつつある、何か赤いものに汚されていた。
 まさに虫の息と言った体で、荒く呼吸を繰り返している。
 それは。
 血塗れの小鳥だった。
 ごくん、と白鷺は唾を呑んだ。どくどくと、心臓が騒いでいる。
 白鷺は生まれてからずっとこの塔で幽閉されていたので、こういう『魔女』以外の生き物を見たことがなかった。さらに言えば、傷だらけで血塗れで、臓物がはみ出た瀕死の小鳥なぞ想像したこともない。
 ……ど、どうすれば。
 いいのだろう、と彼女は柄にもなく混乱していた。
 今までゴミ捨て場よろしく鳥籠内に捨て込まれてきた本の知識やら、毎日飽きもせず嫌味を言いにくる魔女たちの言葉やらが、ぐるぐると頭の中で回っている。
 くらり、と目眩がしてきた。
 とりあえず白鷺は小鳥に近付こうと試みる。
 が、やはり何をどうすればいいのかさっぱり解らない。
 伸ばしかけた手を引っ込めて、白鷺は仰け反り気味に唸る。
 と。
 そうこうしているうちに、ぱたり、と。
 不意に小鳥の息が止まり、呼吸に併せて揺れ動いていた身体が停止した。
 倣うように、白鷺の動きも止まる。
「……あ、」
 彼女は大きく目を見開いた。
 世間知らずで混乱の限りを極めていた彼女にも、その意味くらいは解った。
 小鳥は全てを停止させている。
 否。
 己の意思関係なく、止まらせられたのだ。
 白鷺は微かに震えた。
 
 小鳥が死んだ。


 理解し、認識し、咀嚼したその事実に、白鷺は猛烈な罪悪感を覚えた。
 見殺しに、してしまった。
 ぞくりと背筋に冷たいものが走る。
 なんてことだ。
 額を押さえ、唇を噛み締め、ぐっと奥歯を噛み合わせてから、息絶えた小鳥に近寄る。
 一瞬躊躇い。
 しかし。
 白鷺は小鳥の血塗れの身体に触れた。
 ぬるり、と生暖かいものが指の間を滑る。う。白鷺はぞっとした。どう言い繕っても怖いものは怖い。
 手を離したくなる衝動を押さえて、白鷺は鳥籠中の空気を吸い込んだ。
「起きて、起きて」
 歌うように呟く。
「起こしてあげる? 起こしてあげる」
 まだ微かに温度を残す躯を捧げ持つ。
「さぁさぁ朝よ、さぁさぁ起きて」
 白髪を地面に垂らしてかがみ込む。
「る、ら、る、らら」
 風に溶けるような声で。
「朝よ、朝よ。優しい眠りはもうおしまい」
 唱える。
「ほぉら起きて。貴方の命は終らない」
 りん、と鈴の音が。
 鳴る。
 その途端、小鳥の躯が溶け出した。
 白い燐光のような光が溢れ出す。どんどんどんどんそれは広がり、到頭小鳥の身体を包み込んでしまった。
 それを、白鷺はじっと見ていた。
 瞬き一つせず。
 じっ、と。
 不意に、暫く小鳥を包んだままぼわぼわと揺れ動いていたその光が、蕩け出した。
 仄かに垣間見える小鳥の身体は、綺麗な緑を取り戻し、臓物がはみ出ていた様子など微塵も感じられない。
 光が解ける。
 空気に溶けるように、消えていく。
 白鷺は息を詰めた。
 視線の先で。
 永久に閉じられた筈の小鳥の瞼が。
 ゆっくりと、震えながら。
 押し上げられる。
「……ぅ……」
 微かな呻き声。
 はたりと緑の翼が動く。
 白鷺は。
 ぺたん、と仰向きに倒れた。
 
 ……出来た。

 ぐったりしながら安堵して。
 白鷺は生き返った小鳥のささめくような鳴き声を聞いた。

作品名:小鳥と少女 作家名:祭 歌