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銀の絆

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5


 朝、鏡を見ると、くっきりと麻子の指の跡が残っていた。
 これでは制服を着て出かけることなどできないから、学校は休むことにする。
 けれどこの痣はいつ消えるのだろう。いつ、消えてしまうのだろう。
――嫌だな。
 こんな痣でも、麻子が与えてくれたものなのに。それがいつか消えてしまうなんて、嫌だな。
 とにかくその日は一日家で勉強して過ごし、時折鏡を見ては愛しそうに痣をなぞった。
 痣は一向に薄くなる気配を見せない。
 明日も明後日もずっと、この痣と一緒にいられたら良いな。それは何だか麻子が傍にいてくれるみたいで、嬉しいな。
 夕方になると、呼び鈴が鳴った。宅配便か何かだろうと、無防備に玄関へと赴く。
 玄関を開けると、そこに立っていたのはクラスメイトの男子だった。
 名前は、覚えていない。学級委員長だということは知っている。
 だから、
「委員長」
と呼んだ。
「うん」
 委員長は応えて、それから、柚子の首をじっと凝視した。
「どうしたの、首。
 伊原、時々頬も腫れてるだろ。誰にやられてるんだ?」
 どうしたもこうしたもない。明らかに人の手形なのだ。
 柚子は手でそれを隠して、
「なんでもない。どうしたの?」
 話題を逸らした。
 しかし委員長は怯まず、眉をひそめる。
「それがあるから学校に来なかったの?」
「どうでもいいでしょ。何しに来たの?」
「プリント、渡しに来たんだよ。テスト近いから、必要だろうと思って」
 差し出されたプリントの束を、乱暴に受け取る。
「それ、ホントにどうしたの?誰かにやられたんだろ?親?」
 しつこく食い下がるものを、ぴしゃりと遮断する。
「もういいでしょ。プリントありがと。帰って」
「良くないよ」
 腕をとられて、痣を隠していた手をどけさせられる。柚子は
「あっ」
と声を上げた。それと同時についさっき受け取ったプリントをバサバサと床に落としてしまう。
 何をするのだ。何故、今日始めて話したようなクラスメイトに、こんなことを追求されなければならないのか。
 委員長の真摯な眼差しが柚子を捉える。その目は誠実で、意思が強く、僅かに同情がうかがえるような視線だった。
「親?男?」
「何が……」
「犯人」
 腕は、自由を奪われたまま。片方の手で委員長の手をはがそうとするが、力では勝てない。
 ああ。そんな目で見るな。麻子の愛の証を、凶悪なおぞましいものを見るような目で見るな。
「帰ってよ!」
 我慢も限界に達して、腕を振り解こうと暴れる。これには委員長も敵わず、漸く腕を解放された。
「帰って」
 繰り返して言うと、委員長は少し俯いて
「力になりたいんだ」
と言った。
 柚子はぞっとする。
 力になりたい?この男が、自分の力になりたい、だって?そんなものは必要ない。自分には麻子がいるだけで充分じゃないか。
 そうだ。麻子以外の人間関係を持つことは、裏切りにも値する行為なんだ。
「ふざけないで!」
 柚子は激昂し、勢いよく突き飛ばした。
 委員長はふらつき、玄関から足を踏み出す。
 柚子はさっと玄関のドアノブに手をやって、乱暴に扉を閉めてしまった。
 だがまだ外には気配がある。
 委員長は言った。
「話せるようになったら、俺を頼って。きっと力になる」
 そうして、気配は消えた。
 柚子は全身を弛緩させて、玄関に座り込む。
 なんなのだ、あの男は。
 一体何が目的で、あんなことを言うのだろう。
 胸元から鎖を引っ張り、銀の指輪を取り出す。麻子のくれた、絆の証。自分達が繋がっているという、証。
 あんな男には惑わされない。自分の『力になれる』のは、麻子だけだ。
 そう。この世界には二人だけしかいてはならない。
 柚子には麻子しかいないし、麻子には柚子しかいない。
 それが世界の正しい姿なのだ。
 怖い。それが崩れるのが、怖い。頬をぶたれるのよりも、首を絞められるのよりも、そちらの方がずっと怖い。
 柚子は震えて、指輪を握り締めた。
作品名:銀の絆 作家名:ハル