銀の絆
結局二人は終点まで揺られていった。
予定通り街中を彷徨うように歩いて、途中雑貨店や喫茶店に立ち寄って、そして何事もなく平穏に過ごして帰路についた。
放課後の遠出だったものだから、家に着いたのは深夜になっていた。
が、いつもと違う光景が広がっていて、動揺する。
家に明かりが点いているのだ。
柚子は足早に我が家へ駆けて、勢い良く玄関を開けた。
その音に、リビングから母が顔を覗かせる。
「柚子ちゃん。遅かったのねぇ」
呑気な声である。娘が日付も変わろうかというような時刻に帰宅した親の反応とは思えない。
「お母さん晩御飯作ってみたんだけど、食べる?もう食べてきたかしら」
柚子は答えず、恐る恐るリビングに向かう。
その顔があんまり強張っていたからか、母は怪訝そうに顔を顰めた。
「嫌ねぇ。他人じゃないんだから、そんなに警戒しないでよ」
そうは言っても、母の顔を見るのは二月振りである。他人よりも接点のない母はどこかぼやけていて、掴み所がなく、どう接すれば良いのだか分からない。
「ご飯は?」
重ねて訊かれて、柚子は首を振った。
「食べた」
「あらそう。じゃあ、明日の朝ご飯にでもすると良いわ。お弁当に詰めるのも良いわねぇ。お弁当箱ってあったかしら」
「し、知らない」
「貴女お食事作らないものね。相変わらずコンビニで済ませてるんでしょ」
母は言いながら、キッチンを漁って弁当箱を探している。だがどうにも見つからなかったようで、すぐに諦めた。
そのままソファへ向かって行き、どざっと腰を下ろした。
「それにしても、遅かったわねぇ。塾?」
流石に親である。娘に帰宅の遅さは、気になるらしい。
柚子は少し考えて、正直なところを話すことにした。
「友達と、気晴らしに、電車に乗ってた」
「あら。そう。彼氏でもできた?」
「違うよ」
「でしょうねぇ」
素っ気無い。原因は気になっても、怒るつもりはないらしい。
もしかすると、ろくに面倒も見ない母親に怒る資格はないと考えているのかもしれなかった。
それでもゆずにとってはたった一人の母親だし、どんな理由でも良いから怒って欲しいという気持ちがあった。
だがそれは届かず、母はテレビに集中し始めた。
「お母さん。どうしたの?」
柚子は入り口に突っ立ったまま、訊いた。
母は振り返る。
「何が?」
「今日、帰ってきた」
「ああ」
おいで、と手招きをされる。柚子はゆっくりと近づく。
「久しぶりに貴女の顔を見たくなったのよ。進路の話もしたかったし」
「進路?」
「貴女今年三年生でしょう」
「まだ二年だよ……」
「あらっ」
母は素っ頓狂な声を上げて、それから大きく笑い始めた。
「あははははっあはっ、あー嫌だ。間違えちゃった」
娘の年も覚えていないのか、と、柚子は悲しくなった。悲しくなって、悲しい気持ちのまま母の隣に腰を下ろす。
「でもまぁ良いわ。どこの大学にいきたいの?T大?K大?」
「……どこも」
項垂れたまま、つい、本音が出た。
母はギョッとして柚子を見る。
「どこもって何?まさかどこにも行かない気?」
これには慌てた声を出した。テレビから柚子へと視線が戻り、母の瞳の中に柚子が映った。
「駄目よ柚子ちゃん。
貴女成績は悪くないはずなんだから、どこか優秀なところへ行って頂戴」
「でも……」
「駄目よ。本当は分かってるんでしょ?」
有無を言わせない強い語調に、押し黙る。
小さく頷くが、母に従うつもりはなかった。
高校を卒業したら、麻子と共にどこか遠いところへ行くのだ。
こんな一人きりの寂しい生活は捨てて、毎日麻子と向かい合う暮らしを手に入れる。
だけどそれは、母には内緒だ。
娘の年も覚えていない母には、何も、何も打ち明ける気にはならなかった。