海竜王 霆雷8
笑ってばかりいる彰哉に、美愛まで笑い出してしまった。一大決心で告白したというのに、相手は笑って、「いいよ。」 と、軽く応じてくれた。それが嬉しいのだが、なんだか、自分のあの決意は、なんだったのだろうと、馬鹿らしくなってきた。
しばらく、ふたりして大笑いして、ようやく、笑いの波が収まった時、彰哉は、照れくさそうに、「俺を美愛の家族にして。」 と、だけ告げてくれた。
「もちろんです。私は、彰哉の妻で、将来、彰哉は、五人の子どもの父です。」
美愛も、囁くように、そう言った。もっと長くかかると思っていたのに、実際は呆気なかった。ただ、彰哉は、嬉しそうに頷くのが、美愛にも嬉しかった。ようやく、自分は、自分の背の君を見つけた。確かに、理想だと思っていた父とは、まったく違うタイプの彰哉だ。
「美愛、竜になるのは急ぐのか? 」
「いいえ。慌てなくても、彰哉が、人間界での生活を堪能してからで、充分、間に合います。」
「じゃあ、再来月まで待ってくれ。親父の命日が来る。墓参りして、報告してからにしたい。」
「え? 」
「えってなんだよ。」
「いえ、そんなに慌てなくてもいいのです。十年でも二十年でも、彰哉が納得するまで、こちらで暮らしていいのですよ? 」
納得なんて、最初からない。義父に、ちゃんと報告はしたいが、それだけだ。自分には、何もないのだから、納得するものなんて、あるわけがない。そう説明したら、美愛は、「でも、私の父は、竜になってから、随分と人間界が恋しいと泣いたそうです。竜になってしまったら、二度と、人間には戻れません。だから、もう少し、こちらで暮らせばどうですか。」 と、元人間だったという自分の父のことを持ち出して、そう説明する。
「なんで、そんなに恋しいのに、竜になったんだ? 美愛のおかあさんって、拉致ったか? それとも誘拐したのか? 」
「私も詳しいことはわかりません。父には、人間界に家族があって、娘もいたのです。だから・・・」
「娘? 」
「ええ、先日、私も墓参りをいたしました。すでに、墓も朽ち果てておりましたけど、私と同じ名前の娘だったそうです。」
唐突に、持ち出された美愛の言葉に、彰哉は、ちょっと驚いた。ちゃんと人間界に家族がいたのに、美愛の父は、それを捨てて竜になったということだ。恋しいと泣くほどに後悔したというのなら、なぜ、竜になったのだろう。
「美愛、おまえの親父に逢えるのか? 」
「はい、水晶宮におりますから、あちらに出向けば逢えます。」
「じゃあ、連れてけっっ。そんで、美愛の親父に逢いたい。」
「今すぐですか? 」
「おう、善は急げって言うだろ。とりあえず、美愛の親父の体験談を聞いてみたい。」
「でも、家のほうが・・・冷蔵庫に、野菜があるんですよ? 彰哉。」
美愛も、随分と人間界に馴染んだので、食べ物を粗末にしたくないという感覚ができている。そういや、そうだった、と、彰哉も思い出した。定期的に配達されるので、それを、まず止める必要がある。
「帰って来るとしたら往復どのくらいかかる? 」
「三日もあれば充分ですが・・・帰って来るつもりなのですか? 」
「わかんない。でも、帰らないかもしれないから、やっぱり、ちゃんと止めて行こうか。」
未練なんてないと思う。だが、美愛の住む世界に違和感があれば、やっぱり、戻ってくるだろう。行ってみないと、それははっきりしない。ただ、元人間だったという美愛の父親に逢ってみたいと、今は、それが強いのだ。
とりあえず、帰ろうと、彰哉は立ち上がった。つられて、美愛も立ち上がる。周囲に、人がいないことを確認して、瞬間移動して、家に戻った。
いろいろと話し合って、水晶宮に行くのは、やはり二ヵ月後にしようと決めた。もし、そのまま帰らないと、彰哉が決めてしまったら、この家にあるものを、そのまま放置することになるし、義理の父の命日を逃してしまうからだ。
「とは言ってもさ。別に墓はないんだよ。そこの浜から遺灰だけ海に流したからな。」
「では、たくさんの花を流せばよいのではありませんか? 私も、そうしてまいりました。」
もう一人の人間の自分のために、花を散らせた。すでに、その魂は、そこにはないだろうが、それでも、何かしたいと思ったからだ。
「おまえも墓参りしていけよ、美愛。」
「いいえ、一度で結構です。もう、あの方はいらっしゃらないのですから、私の感傷でしかありません。数百年前に亡くなった方です。それよりも、この家の整理をしませんと・・・」
持って行きたいものがあるなら、と、美愛は言うのだが、ほとんど私物がない。生活に必要だったものはあるが、それだけだ。衣服は必要ではない、と、言われてしまうと、途端に、持って行くものがなくなる。こちらに養子にきてから、揃えて貰ったものは、たくさんあるのだが、どれも思い出になる品物ではない。考えて準備すると、言ったものの、二ヶ月しても、何も思いつかなかった。
「あれって運べるか? 」
結局、義父の部屋に飾られていたリトグラフを、彰哉は持って行くことにした。月夜の海のイラストだった。ひとつぐらい思い出すものがあればいいだろう。義父が、最後まで手元に残したものだし、自分も一番、見ていた絵だ。義父が教えてくれたのは、月灘という名前の由来が、珊瑚を多く算出した地域の場所だったという。だから、あの月夜の海のイラストを飾っていた。よくよく考えたら、その海底へ行くのだから、不思議な運命というものだと、彰哉は思う。義父が、何を考えていたかは知らないが、そのイラストが指し示す場所へ、自分は向かうのだ。
「ええ、あれぐらいなら梱包してくだされば問題はありません。」
私が爪でひっかけるので、きつく梱包してくださいな、と、美愛は微笑んだ。衣服は、そのまま放置していくことにした。どうせ、この家のものは、弁護士が処分する。だから、そちらに任せてしまうことにした。食材の宅配も止めたし、新聞も止めた。戻ってきてもいいように、弁護士には連絡しなかった。通信教育のほうも、止めなかった。消えても問題はない、と、弁護士は言うのだから、放置しても問題はないはずだ。
ネット通販で届いた、たくさんの白い花を、ふたりして浜に運んだ。また、月夜だ。煌々と輝く波が、月の明かりを反射している。
少し海に入って、両手一杯の白い花を流した。美愛も同じようにする。それから、手を合わせて黙祷した。
・・・ありがとう・・・・俺はしたいように好きなように生きていく・・・・
それを認めて、そして、その助けをしてくれた義父に心から感謝の言葉を贈った。目を開けると、白い花は沖へと、ゆっくりと流れていくところだった。この世界から消えるというのが、こういう意味もあるのだと笑った。生産調整で生まれてくる部品たちの中には、自分のように欠落していくものがあるのかもしれない。人間だけが、すべてではない。
「そういえば、彰哉は、ちっとも驚きませんでしたね。人外のものに知り合いでもあるのですか? 」
並んでいる美愛が、前を向いたまま、そう呟く。
「いないけど、人間であることに嫌気はさしてたからな。美愛がいて、俺みたいなヤツがいるんだっておかしかった。」