海竜王 霆雷7
気分が高揚していて、とても気持ちが良かった。だから、軽口まで叩いてしまう。しかし、周囲に何かしらの気配がして、少し海上から高く距離をとった。すると、海底から、次々と、不思議な生き物が浮かび上がってくる。大きなイカとか、巨大魚とか、怪獣みたいな名前も知らない生き物までいる。自分の足元に、そんな生き物が、わらわらと浮かび上がった。
「特撮か? これは。」
しかし、特撮ではない。ちゃんと生きていて、勝手に動いて、勝手に喋るし、吼える。捕まえようとされているのだと気付いた。
大きなイカの吸盤のついた足が持ち上がってきた。スピードはあるが、避けられないものではない。届かない上空に上ったら、今度は自分に向かって、飛び上がってきた巨大な魚だ。さらに、トビウオのでかいヤツが、飛んでくる。テレビでは、巨人が薙ぎ倒していたような怪物たちを、自分が相手している段階で、かなり腹が立ってきた。あまり派手にはしなかったが、乱れ飛んでくる魚や触手を、力で払い落として、それから、「じゃかましいっっ。」 と、怒鳴った。
跳べる相手というのは、本当に厄介だ。自分の思い通りにすることができない。深海から一気に、彰哉は海上へと跳んでしまった。配下に、追えと命じて、自分も跳んだ。眠ったことで、完全に回復してしまったらしい。
すぐに、彰哉の気配は捉まえたが、やっぱり、そこから逃げるつもりだ。別に、帰るというなら帰ればいいのだが、このまま、海竜王の宮で、話をして、求婚するつもりだった美愛としては、帰したくない。命じていないのに、配下は、彰哉を捕獲しようと動いた。
「じゃかましいっっ。おまえらになんか捕まるかぁぁぁっっ。」
大きな怒鳴り声と共に、彰哉の波動が高まっていく。やはり、それは、この晴天の明るい世界でさえ、闇色の深い波動だった。そして、それは、配下たちを怯えさせるには、またとないほどの波動でもあった。
「捕まえられるなら捕まえてみろっっ。ただし、抵抗はするからなっっ。目一杯、抵抗して、おまえらを凹ってやるぞっっ。」
叩きつけられる言葉と波動は、配下に恐怖心を与えた。ただの人間の子供だというのに、それよりも長く生きている竜の眷属たちは怯えて、動きを止めたのだ。
「ほおう、変わった波動だ。」
自分の横に、いつの間にか、三叔父がやってきていた。暢気な様子で、怒鳴っている彰哉を眺めている。ついでに、三叔父の正妻までが並んでいた。
「まあ、深雪とは似ても似つかない波動だわ。人間の超常力というのも、様々なのですねぇ。」
こちらも、暢気な感想を漏らしている。
「そんなことを言ってる場合ですか? おふた方。」
「いや、だって、帰るっていうなら帰ればいいだろう。おまえが、すでに力比べをしたのだし、引き留める理由もないぞ、美愛。」
「ですが、彰哉は怪我をっっ。」
「捻挫ぐらいで大袈裟だ。あれくらい活きのいい小僧っていうのも、なかなかいないし、もう少し、人間でいればいいだろう。見たところ、生まれて十数年というところだ。あれでは、無理に引き留めても人間に未練を残す。それに、おまえは、まだ、あの小僧に肝心なことを告げていないのではないのか? 美愛。」
鋭い指摘に、ぐっと、美愛も詰まった。求婚していないのだから、こちらに滞在させる理由を、彰哉が理解できていない。そんな状態で、無理をすれば、爆発するというものだ。さすが、伊達に千年以上生きているわけではない。美愛は、その指摘に黙るしかない。
図星だったのか、美愛が押し黙った。慌てる必要はない。ゆっくりと時間をかけて、美愛が説得するなり、美愛に気持ちを向けさせればいい。代替りするのは、まだ千年以上先までかかっても問題はない。現水晶宮の主人たちは、とても若い。これから、まだまだ現役で働けるのだから。
「まあ、待て、小僧。」
ゆっくりとした所作で、西海白竜王夫妻が、彰哉に近寄った。警戒はしている様子だが、波動を増大させていないから、仕掛けてくることはない。
「あんたは? 」
「この下の宮の責任者だ。これは、俺の女房だ。敵意はないから、落ち着け、小僧。」
「ああ、怪我の治療をしてくれたんだろ? ありがとう。もう帰りたいんだが、あんたんとこの怪獣がうざかったからな。」
「すまないな、血気盛んなヤツらなんだ。帰るなら、送ってやろう。ここから、おまえの家までだと距離がありすぎる。近くまで、俺が背に乗せてやろう。どうだ? 」
「いや、勝手に帰る。」
「そうか。おい、弁当になりそうなものを渡して遣ってくれ。」
自力で帰るというなら、帰ればいい。ただ、距離が生半可ではないので、食料と水ぐらいは提供してやろうと、白竜王は妻に命じた。妻も、ニコニコと笑って、「はい、承知いたしました。」 と、手の平を翻すと、そこに、風呂敷包みが現れる。
「水と果物と甘いもの、それから、竹の皮で包まれているのが、蒸した米です。これぐらいあれば足りますか? 」
「え? 」
「あなたは、このまま帰ると申されましたが、かなりの距離があります。途中で、空腹や喉の渇きで立ち往生しては、大変でしょう。ですから、お弁当代わりにしなさい。」
そう言って差し出されたら、断るのもできなくて、彰哉も、それを受け取った。そこから陸への距離と、方向を白竜王は教えて、最後に、「気をつけて帰れよ、小僧。」 と、手を振った。ちょっと下にいる美愛は、じっと見上げているだけだ。何か言いたいのだが、言うことが思いつかなくて、さっきと同じことだけ口にした。
「美愛、二週間したら遊びに来てもいい。」
そう声をかけて、教えられた方向に意識を向けた。跳ぶ場所に、人が居ないことを確認すると、「じゃっ。」 と、手を挙げて、さらりと姿を消した。
「ふんっっ、なかなか素晴らしい波動だ。・・・あれを追い駆けておけ。ただし、襲ってはならない。何か、あの小僧が困っていたら、美愛に報せろ。」
眼下で、畏まっている眷属たちに、そう命じて、白竜王も海底へと降りていく。姪には声をかけない。それは、妻がするだろうとわかっていた。それよりも、あの波動と、小僧のことを、さらに詳しく調べさせる手配をした。どう考えても普通ではない。あれだけの超常力を持ち合わせているのに、その報告は受けていなかったからだ。
どうやって、真実を告げようと、美愛は、途方に暮れた。まさか、「あなたを夫にしたいのです。」 と、剛速球並みのストレートな発言は、確実に、彰哉を呆れさせるだろうと予想は付く。とはいうものの、そういう意味のことを告げなければならないわけだから、悩むしかない。
「美愛、私たちは戻りますが、あなたは、どうしますか? 」
考え事をしていて、声をかけられて、はっとした。三叔父の妻が、そこに待っていたからだ。すでに、三叔父の姿も眷族の姿もない。どうしますか? と、言われても、どうしましょう? だった。
「あなたの背の君の服を、残していかれたのですが、届けられますか? 」
優しく三叔母は、そう言って、手の平を翻す。そこには、先程より大きな風呂敷包みがある。
「・・あ・・」
彰哉は、単の寝間着に着替えさせられていた。あの格好で、とっとと帰ったのだ。