海竜王 霆雷7
「綻びは繕いましたし、染み抜きもしてございます。あの格好で、炎天下では、さぞかし辛いことでしょう。だいたい、靴すら履かずに行かれましたからね。」
「・・・ああっっ・・・」
そう、靴も履いていないのだ。素足で、この暑い地上にいるのも大変だ。うっかりというか、無頓着というか、勢いで跳んでいってしまった彰哉がおかしくて笑ってしまった。
「まだ、あなたの背の君は年若くて、お元気なのは何よりですけどね、美愛。」
ほほほほほ・・・と、三叔母も笑っている。追い駆けてやれ、という意味で、美愛の背中を、とんっっと押して、「仲良く移動しておいでなさい。焦る必要はありません。」 と、海底へ降りていった。
彰哉が跳んだ方向に目を遣って、苦笑した。どうも、走りすぎる傾向が自分にはある。黄龍の気性というのは、よく似ているとは、さすが、父だ。確かに、そうだ。別に、ここで、すぐに求婚して、竜にする必要などない。まだ彰哉は子供だ。それに、自分の両親は、これから千年以上現役で、水晶宮を維持するだろう。そう考えたら、ちょっと肩の荷が下りた。
・・・とりあえず、靴と服は必要だろう。それに、私の世話というなら、私が誰かを呼び出せばいい。そうだ。できないことを無理にする必要はない。・・・・
彰哉の家の近くにいる眷族に、世話を命じればいい。ゆっくりとでいい。ゆっくりと、彰哉に、自分のことを理解させて、それから、本当のことを話してもいいはずだ。
母は十年待った。自分も待てる。たぶん、彰哉は寂しいのだ。自分が持てないと思っている家族というものが欲しいのだ。それなら、自分が名乗りを上げればいい。いや、むしろ、家族だと、彰哉に思わせればいい。そして、それから、水晶宮に誘えばいい。そう考えて、彰哉の気配を探した。どうやら、陸には辿り着いたらしい。そこへ向けて、自分も跳ぶ。ついて来るな、と、言われたら、服と靴を渡して、こっそりと後からついていけばいい。
陸に辿り着いたら、どかっと砂浜に倒れこんだ。百キロの瞬間移動は疲れる。ついでに、遮るものがない直射日光と高温多湿な気候というのも、辛いものがある。うっかり、着物みたいな格好のまんまで跳んでしまった。ついでに裸足だ。砂浜の熱せられた砂は、裸足には熱すぎて問題だ。木陰に、辿り着いて、早速、水と果物の世話になった。それを食べて、横になったら、また眠くなる。こんな行き倒れは、誰も手を出さないだろうと、そのまんま目を閉じた。
次に、目を覚ましたら、日陰が移動していた。そして、ついでに、人影もあった。美愛が、自分の横に座り込んでいたのだ。
「どうしたよ? 」
「お届けものです。」
差し出された風呂敷包みには、服と靴が入っていた。靴は有り難いと、片足を突っ込んだものの、片足は入らない。厚く巻かれて添え木までされている足では、足の先にひっかけるぐらいしか入らないのだ。Tシャツとジーパンも着替えようとしたが、Tシャツは着られてたが、ストレートのジーパンは、やはり捻挫した足が通らない。
「ちっっ、入らないや。」
「取ってまいりましょうか? いつものゆったりしたパンツ。」
「それ、意味がない。」
そこへ帰るために移動しているのに、そこから服を持ってきてもらうっていうのも、どうかと思う。仕方がない。人前に姿を晒さなければ、この格好でもいいだろうと、そのまんま寝間着に戻って、靴だけ履いた。
「助かった。砂が、あんなに熱いとは知らなくてさ。」
「それは何よりです。」
「美愛は帰れよ。」
「いいえ、一緒に、彰哉のところへ帰ります。そのつもりで、出てまいりました。」
「おまえなぁー、だから、おまえの世話まで手が廻らないってっっ。」
「世話はしてくれなくても構いません。むしろ、私くしが、彰哉の世話をいたしましょう。」
「無理。」
「無理ではありませんから。できなければ、誰かに命じます。」
「いや、だから、それって、俺しかいないだろーがっっ。」
「ほほほほ・・・私には配下があります。それを呼べば、どうにかなります。」
「人んちに居候増やして、どーすんだよっっ、おまえはぁぁぁ。」
「別に、用事だけして帰らせますから問題はありません。」
「人の話を聞けっっ。」
「聞きません。彰哉が怪我をしたのは、私の所業です。ですから、彰哉の世話を私くしがするのは道理です。それのどこがいけないのですか? 」
「いや、怪我したのは自業自得だから、美愛の所為じゃない。」
自分が消えるために、美愛の怒りを利用しようとした。だから、美愛に叩かれても突き飛ばされても、それは、自分のやったことの仕返しだ。それで、美愛に怒りなんて感じない。死なないで欲しい、と、あんなに懇願されるとは思わなかった。それに、自分が消えていたら、美愛は、もっと泣いただろう。そう思ったら、他人に消して貰うことはできないのだと、理解した。
「ごめんな、美愛。もう、おまえに消してくれ、なんて言わないから。」
素直に、そのことは謝った。すると、美愛も、「ごめんなさい。」 と、同じように謝ってくれた。美愛がいると、家は賑やかだ。義父が居た時のように、人の気配がする。その空気は心地よいのかもしれない。
「とりあえず、帰りますよ、彰哉。」
すくっと、美愛は立ち上がって、手を差し出してくる。
「そうだな、とりあえず、帰ろうか。」
その手に手を差し出して、起き上がった。距離は、数百キロ。一度で、百キロ単位となると、回復する時間も計算すると数日かかる計算になる。だが、美愛は、手を離して、少し離れた場所で黄金色の龍に変化した。
「この背に乗せるのは、彰哉だけです。空の散歩と洒落ましょう。」
日は沈みつつある。夜のうちなら、この姿で空を飛んでも見咎められる心配はないし、姿を見えなくすることもできる。竜の姿なら、数百キロだって、あっと言う間のことだ。頭を垂れて、彰哉が乗るのを待った。
「結局、送られるのかよ? 俺。」
「その格好で、明日も炎天下で昼寝をしたいと言うなら、それでも構いませんよ? そのうち、干からびるでしょうから、それから送ってもかまいません。」
「ちっっ、痛いとこをつくな、美愛。まあ、いいか。乗せてくれ。」
「はい。」
首の辺りに跨って、彰哉がたてがみを握った。風呂敷包みは、美愛の前足に、ちょいとひっかけている。ふわりと落とさないように浮かび上がり、海に向かって飛び始めた。速度は、それほど出せないので、数時間は飛んでいることになるだろう、と、美愛は心積もりしていたのだが、「最高速を体験させろ。」 と、彰哉が言うので、それに近いくらいの速度を出した。すると、「息ができないっっ。」 と、言葉ではない声が、美愛の頭に届いて、速度を落とした。
「人間は弱い生き物ですね、彰哉。」
「うっさいな。」
そう、彰哉は人間だ。どうしたって、竜に本気で勝てるわけではない。だが、美愛は勝てる気がしない。本気で怒鳴られたら、それだけで泣きそうだ。彰哉に出会うまで泣いたことなんて、ほとんどない。それなのに、逢って初日に泣かされて、それからも目が腫れるほどに泣いた。母が言うように、黄龍を泣かせるなんて、並大抵では出来ないのだ。ようやく確信できた気がする。