魔導装甲アレン-黄砂に舞う羽根-
雲海のような砂煙の中から飛び出す生物の形状は、身体は菱形で平たく、尾が糸のように細長い。人々はこの生物にサンドマンタという名を付けた。
何十匹というサンドマンタの大群を前にして、セレンは感激の声をあげた。
「こんな雄大な自然の光景を目の当たりにできるなんて感激です!」
「俺様もこんな大群の大移動を観たのははじめてだ」
ジープを止めたトッシュは、サンドマンタたちが通り過ぎるのを待った。その間に、荷台から聞こえていたいびきが聞こえなくなり、変わりに大きなあくびの音が聞こえてきた。
「ふわぁ〜〜〜っよく寝た。お、美味そうなのが空飛んでんじゃん」
目を覚ましたと思ったら、すぐに食のことである。
呆れ顔をしたトッシュが荷台に向かって振り返った。
「おまえは寝ることと食べることしか頭にないのか。あんな硬い骨格に覆われた生物をどうやって喰うんだ?」
「う〜んと、普通に皮剥げばいいんじゃないの。蟹とかといっしょいっしょ」
「いっしょなわけないだろうが」
ジープの荷台でサンドマンタを喰うとか喰わないなどと話されたら、せっかくの雄大な光景も台無しだ。セレンはため息をついてサンドマンタの大群から視線を外すと、手に顎を置いてふと横を見た。
「あ、二人とも見てください!?」
セレンの声に誘われて、アレンとトッシュはそこに広がる光景を見た。
砂漠の中で、そこだけが水の恵みに育まれ、草木が生える緑地――オアシスだ。だが、トッシュはすぐにそれを否定した。
「さっきまではなかった。〈蜃の夢〉だな」
「大蛤喰いてえ!」
トッシュの言葉に、すぐにアレンが言葉を乗せたが、セレンには二人の言葉がさっぱり理解できなかった。
「あのぉ、〈蜃の夢〉とか、あとなんでいきなり大蛤の話になるんですか?」
「俺様が説明する。〈蜃の夢〉ってのは、つまり蜃気楼のことだ。?蜃?は大蛤のことで、?気?は息、?楼?は楼閣の楼。この砂の中に住んでる大蛤が吐く気が蜃気楼になってるってわけだ」
「そうなんですかぁ、だいたいわかりました」
うんうんと首を縦に振って頷くセレンの首が、ガクンと揺れた。それはトッシュが急にジープを走らせたからだ。
「〈蜃の夢〉に囚われる前に早いとこ逃げよう!」
アクセルを踏み、ハンドルを切るトッシュにセレンが声をかけた。
「逃げるってどうしてですか?」
「〈蜃の夢〉に囚われた者は、下手をすれば一生夢の中の住人ってことだ」
幻のオアシスが水の中にあるように揺れ動き、遥か後方に消えていく。
薄れゆく幻影を眺めながら、アレンがボソッと呟いた。
「俺の蛤ぃ……」
燦然と輝く太陽は、まだ一番高い位置には到達していなかった。
木製のドアが軋めきながら開けられ、中から無数の皺が刻まれた老人の顔が出てきた。
「どうぞ中へお入り」
三人は老人に促されるまま家の中に入った。
茶色いローブを羽織った老人の後姿は、まるで枯れ果ててしまった老木のようだ。幾星霜を生きた老人は、その姿からも声からも、性別を判断することすらままならない。
石造りの家の室内には古ぼけた木製の家具が並び、この家で使われている金属はすべて真鍮だった。そして、どこからかお香を焚いた独特な匂いが漂ってくる。
居間に通された三人が椅子に座って待っていると、老人が薫り立つコップを三つトレイに乗せて運んできた。
「どうぞ召し上がれ」
枯れ枝のような手からセレンはコップを受け取り、コップの中身を覗き込んで鼻で息をした。
鼻を抜ける心地よい花々の甘い香りが口の中で広がり、セレンは薫りに誘われてコップに口を付けた。
「美味しい」
と、自然と口から零れた。
至福の顔をするセレンを見て、老人がにっこりと微笑む。
「裏庭に生えていたハーブに、特性のシロップを三滴ほど加えたもんさ」
老人の言葉は緩やかな川のせせらぎのようで、この家の中の時間は外の時間の流れよりも遅く流れているようだった。
セレンはこの家に懐かしさと温かみを覚え、いつまでものんびりとティータイムをしていたい気分だったのだが、彼は違うらしい。
「俺様は前回ここに来たとき、まんまと惑わされちまったが、今日はそうはいかない」
目をギラギラと輝かせ、気合十分なトッシュの横で、あくびをする音が聞こえた。
「わたし……なんだか、眠くなっちゃいました……」
眠い目を擦りながらあくびをしたセレンは、腕を枕にしてテーブルの上に沈んだ。そして、すぐに彼女の鼻から安らかな寝息を聞こえてきた。
眠りに落ちてしまったセレンを見て、トッシュは訝しげな表情をしていた。
「やはり、この飲み物に睡眠薬が入っていたのか」
トッシュの言葉を受けて、アレンはカップの中を満たす液体を覗き込んでいた。
「ふ〜ん、そーなんだ。飲まなくてよかった」
食べることと寝ることが思考の大半を占める彼にしては珍しく、アレンは一口も飲み物に手をつけていなかった。もしかしたら、野生の勘とやらで危険を察知していたのかもしれない。
老人が静かに笑う。
「ほっほっほっ、同じ罠には引っかからんか」
「俺様が二度も同じ罠に引っかかってたんじゃ、世間様に顔向けできんからな。さて、シスターが眠ってくれたのはちょうどいい、クーロン地下に眠るエネルギープラントの話でもしようか」
以前にもトッシュはこの老人の家を訪ねている。そのときは話半ばで眠気に襲われ、気づいたらクェック鳥の背中に揺られ、砂漠の真ん中を彷徨っていた。同じ過ちは繰り返さない。
クーロン地下にエネルギープラントがあるというのはアレンも初耳だった。トッシュはここに来るまで詳しい話をなにひとつしていなかったのだ。
「クーロン地下にエネルギープラントがねぇ。で、この?姐ちゃん?となんの関係があるわけ?」
老人は表情一つ変えないでアレンの顔を見つめていたが、やがて破顔一笑した。
「おぬしはわしを?姐ちゃん?と呼ぶか。ほっほっほっおもしろい小僧じゃ」
?姐ちゃん?と呼ばれたのが嬉しかったのか、老婆は不気味な笑いを低く立て続けている。
トッシュは『この老人、?婆さん?だったのか』という感心した表情をしていたが、すぐに気を取り直して話を元に戻した。
「クーロン地下に眠るエネルギープラントの開発に、あなたが携わっていたという話は前回もしたと思うが、覚えておいでか大魔導師リリス殿?」
「わしを耄碌したただの婆と思っているのかい?」
妖婆リリスは妖艶と笑った。その笑みを見たトッシュは、久しぶりに背中に冷たいものを感じ、自分が額から汗を流していることに気づいてすぐに拭った。
「いいや、失礼した。それでエネルギープラントの件だが、あそこの入り口を開けられるのは、この世でもうただひとり――あなただけと思っているのだが、やはり開ける気はないか?」
「ないね」
リリスの返事はあっさりしていた。だが、ここまでは前回来たときと同じだ。
正直トッシュには切り札もなにもなかった。彼はもとより考えるより身体が先に動く性質なのだが、ひとたび頭を使えば切れ者と早変わることから、その辺りを高く評価して彼を高額で雇う者も多い。だが、今回に限っては目の前にいる老婆の心を動かす材料が、なにひとつ見つからなかったのだ。
作品名:魔導装甲アレン-黄砂に舞う羽根- 作家名:秋月あきら(秋月瑛)