魔導装甲アレン-黄砂に舞う羽根-
第2章 帝國の影
心身ともに疲れていたのか、セレンはいつもよりも遅い朝を迎えた。
目を開けてベッドの上で上半身を起したセレンはふと思う。
「あれ、わたし……?」
そうだ、聖堂で気を失って、きっと誰かがここまで運んでくれたのだろう。
そして、セレンの脳裏にトッシュの顔が浮かんだ。
セレンはおでこに片手の甲を当てて、背中からベッドの上に倒れ、口から息を吐き出した。
とんでもない人と係わり合いになってしまったと思いながらも、過ぎたことはしかたないとあきらめ、これ以上深く関わらないようにしようとセレンは心に誓った。――二人とも。
ベッドから身体重たげに這い起きたセレンは、少しずつ気持ちを切り替えながら僧服に着替える。ただのセレンから、シスター・セレンに変わる瞬間だ。
シスターへと変貌したセレンは、胸の前で拳を二つつくり、気合を入れて頷いた。
「よし、今日も頑張ろう!」
これが毎日の日課なのである。特に今日は気合が入っている。
自分の部屋から廊下に出たセレンは、そこで鼻をくんくんと動かした。
「……なんだろ?」
どこからかキツネ色に焦げたいい匂いが漂ってくる。きっと、トーストの焼けた匂いだ。だとすると、この匂いは食堂から?
踵を鳴らしながら足早にセレンが食堂に向かうと、そこではトッシュとアレンが美味しそうに朝食をとっていた。
キツネ色に焦げたトーストの上で蕩けるバター、白い食器の上に乗せられたハムエッグ、瑞々しい色鮮やかなサラダまであり、トッシュが飲んでいるのは湯気の立つコーヒーだった。
セレンとトッシュの視線が合い、トッシュが先に挨拶をしてきた。
「おはようシスター」
「お、おはようございます」
頭を下げて、再び頭を上げたセレンは食卓の上を見た。
食卓にはセレンの分の朝食も置いてある。こんなに食卓の上に料理が並んだのは、いつ以来だっただろうか。食卓に一人以上の人間が着いているいつ以来だっただろうか。
爽やかな朝の光景を見て、セレンは嬉しくて少し口元が綻んだが、すぐにある疑問が頭を過ぎる。
「あの、うちにこんな食材ありましたっけ?」
トッシュはあくびをしながら首を横に振って答えた。
「いいや、なかった。だからこいつに朝市に買いに行かせた」
こいつとトッシュが親指で示す先には、口元についたミルクを服の袖で拭き取るアレンいた。そして、アレンの口から手が退かされてとき、セレンはあることに気づいた。
「その頬どうしたんですか?」
アレンの頬には紅い一筋が走っていた。なにかで切られたような傷痕だ。
「ああん、これ? ちょっとさ、ごたごたに巻き込まれちまってさ。ま、どーってことなんだけど」
「どうせすっ転んで切ったんだろ」
「ちげえよ、ばーか!」
トッシュに向かってあっかんべーをしたアレンは、ヤケクソと言わんばかりにトーストに喰らい付いた。あっかんべーをされたトッシュはアレンに構うことなく、コーヒーを飲みながら黙々と食事を続けている。結局アレンはなぜ怪我をしたのか語らず仕舞いだった。
それは今朝のことだった。
「おい、金渡すからパンと野菜と卵とハムでも買って来い」
トッシュにいきなり金を差し出されたアレンは露骨に嫌な顔をした。
「なんで俺が行かなきゃいけなんだよぉ」
「俺様は街を出歩けんからな。家の中でガクガクブルブル震えてることしかできん」
「よく言うぜ」
トッシュから金を奪い取るように受け取ったアレンは、鼻で笑って部屋を出て行こうとした。そのアレンの背中にトッシュが声をかける。
「あと、タイムズ紙っていう新聞も頼む」
「あいよ」
アレンは背中越しに手を振って部屋を出た。
セレンよりも早く起きたアレンとトッシュは台所で食材を確認し、食材が乏しいということで、トッシュがアレンに朝食の材料を買いに行かせた。
街外れの静寂と物悲しさに包まれた教会を出て、石畳の上を散歩でもするように歩くと、やがて石畳の道が乾いた地面になり、アレンは少し大きな通りに出た。
街は朝から活気付いている。その活気の質は夜とは全く違うものだが、根底にあるものは人間の生だ。
生きるために必要なものとして、衣食住が挙がられるが、それを満たすことは難しい世の中だ。その衣食住のひとつである?食?がここにはあった。
ビニール屋根の店が立ち並び、店には所狭しと野菜や肉や魚食材が敷き詰められている。
彩り豊かな野菜や果物、生きたままの鶏やさばいたばかりの紅い肉、身が締まり鱗の輝く魚たち。ここに集まった食材はすべて街の外から輸入されて来たもので、食材の豊富さは文句のつけようがない。問題を挙げるとしたら、たまに食あたりを起すくらいなものだろう。
声のデカイ親父や頭にタオルを巻いた丸顔の女主人が、今日も朝から客相手に汗を流している。そんな人々の往来する店と店の間を歩きながら、アレンは目的の品を買っていく。
まずは豚のもも肉を加工したボンレスハムを二本買い、次は薫り立つパン屋の前で立ち止まり食パンを一斤買おうとしたが、やっぱりやめて一斤の三倍にあたる一本の食パンを買った。
新鮮な野菜も買い、卵も買って、さあ帰ろうとしたところでアレンは立ち止まった。
「デザート喰いてえ」
両手に食材の入った紙袋を持ち、アレンは?胃?の向くままに果物屋に向かった。
赤や黄色や緑の色鮮やかな果物たちが並び、甘い香りが店の周りに漂っている。
柑橘系の果物を見ただけで、アレンの口の中は甘酸っぱさで満たされ、彼女はゴクンと唾を呑み込んだ。
柑橘類の横には真っ赤に染まった林檎があり、色艶良くてこれも食欲をそそられる。
口元を拭ったアレンは結局両方買うことにして林檎に手を伸ばした。が、その林檎がアレンの手の先から突如姿を消した。
林檎が消えた方向へとアレンが視線を移動させると、そこには金髪の?ライオンヘア?が立っていた。
「あら坊や」
赤い林檎と真っ赤なルージュが妖艶と誘っていた。
一番美味そうな林檎を取られたことも腹立たしかったが、それよりも昨日の一件がアレンの頭に血を昇らせた。
「テメェ!」
アレンは持っていた紙袋を地面に置き、ライザの襟首に掴みかかろうとしたが、赤い林檎が宙に投げられライザの白コートが波打ち、ハンドガンがアレンの顔に向けられた。
「それで防ぐ気かしら?」
ライザのハンドガンの先にはグローブに隠されたアレンの左手があった。
「防いでやるよ」
「アナタの手は鋼鉄でできているのかしら? でも、このハンドガンから出る玉は鉛じゃないわよ」
「ふ〜ん」
興味なさそうな返事だった。それは絶対に防げるという自信の表れか?
ちょっとでも二人に触れれば、この争いに巻き込まれそうな危機に直面して、人々は後退りするようにこの場から徐々に離れて行った。
ライザの持っていたハンドガンから、なにかが蠢いているような奇妙な音が聴こえはじめた。
「このハンドガンは?失われし科学技術?を使ってアタクシがこの世に生み出した傑作。グングニールとアタクシが名づけたこの銃から発射されるエネルギーは、一瞬にしてすべてを灰にしてしまうのよ」
「ふ〜ん、魔導銃ってことか」
作品名:魔導装甲アレン-黄砂に舞う羽根- 作家名:秋月あきら(秋月瑛)