HOT☆SHOT
見るとどこからともなく、にょきっと現れた白い華奢な腕で絞めつけられた山咲が、天井を仰いでいた。
「だめー! ストーっぷ!」
そして山咲の座っているソファの後ろから――、
「こんにちは〜。えぇっとぉ、これは私から説明しますね。せぇんぱい」
おっとりした甘え声にこれまた、ふんわりと肩あたりまで伸びたウェーブがかった髪を揺らしながら現れたのは神薙凪咲(かんなぎ なぎさ)だった。
首を絞めつけられながらも、凪咲のふくよかな胸に頭が埋れていた山咲は脱力したように無抵抗だった。こいつ、今の状況を楽しんでるな。ご満悦か? この野郎。
凪咲はいわゆる、ふわふわお嬢様ってやつだ。実際、どこかの社長令嬢らしいのだが、なぜかこの公社で働いている。おっとりとした顔立ちに泣きぼくろ、甘え声。公社の男性(特に中年)から絶大な支持を得ていた。
だが、それは凪咲の真の姿を知らないからだ。こいつは、一癖も二癖もある。
「凪咲じゃないか。こんな所で何やってるわけ? 凪咲は、このプロジェクトの一員じゃないだろ?」
「でもでも、山咲さんから危ない時はよろしくって頼まれてぇ……」
「ん? 頼まれたって、何を? 何か危ないの?」
「いえいえ〜、何でもないですう」
「ふーん、そうか、でも凪咲なら安心だな」
「はい! 先輩にそんな風に言われるなんて、嬉しい〜」
「それで、どういうわけで俺なんですの?」
凪咲は山咲の首から腕を離すと、忙しそうに身振り手振りで話し始めた。ちなみに、しゃべりは遅い。
これでも将来はリポーターを目指しているらしい。
「えぇっと、実はですねぇ。国内に優秀なカメラマンさんは数多くいらっしゃいますが、先輩のように若くて、ガッツがあって、行動力があって、情熱があってぇ、たくましっくってぇ、もう勇者サマって感じでぇ……」
「凪咲ちゃん、途中から妄想入ってますよ。戻ってらっしゃい」
「黙れ山咲。心地良い響きだ、凪咲。もっと浴びせろ」
「えと、えーと、とにかく、先輩の撮られる写真が一番、すごく素敵だなと思います。他の人では決して、撮れない写真を先輩は撮れるんです!」
「よく言った! 凪咲! その言葉を待っていたんだ!」
「うそつけ」
虎康の動きは速かった。小気味よく手首のスナップを利かして、手にしていたスチール製の缶を山咲の顔面に投げ飛ばした。
受け取れ――俺の熱い情熱を!
「うわ、ぬりぃ! ベタつく。気持ちわりぃ」
「先輩……頑張ってください」
凪咲が山咲(コーヒー臭い)のソファ(コーヒー臭い)の背後から、拝むようにして手を合わせ、キラキラと目を輝かせていた。
「フっ、お前ら邪魔したな。お前らの期待、俺は決して裏切らないだろう。じゃあな」
「先輩って、頼もしい……」
「凪咲ちゃん、現実見ようよ――ぐはっ!」
山咲の顔面にスチール缶がめり込んでいた。
次に立っていた場所は、あわただしい編集部の中だった。
「何だ? そのウルトラ○ンの今にも『ジュワッ』って言いそうな構えは?」
中条小絵だ。
「いや、何となく……」
脳を構成する領域「海馬」できっと、原始時代に埋め込まれた防衛本能が呼び起こされたのだろう。いつの間にか、ウルトラ○ンの構えを取っていたようだ。
こいつは、いい女なんだが……黙ってれば、いい女なんだけどなぁ、ああ――神のいたずらとは良く言ったものだ。
姫カットの黒髪に白肌の女性が、腰に手をあてて立っていた。少しツンとした感じだが、面倒見もよく仕事もきちんとこなす。だけど、それを自慢したり相手を卑下するようなこともない。男女問わず、人気があるといっていい。
だけど、それにも例外っていうやつがある。
「悪かったな、お前の考えているようないい女じゃなくて。カス」
「あれ? わかるの?」
「てめぇ……、わかるわけないだろ。でも、まさか本当に思ってたとはな。私のことお前がどう見てるのか、よ〜くわかったよ。このミジンコ未満が!」
スラっと伸びた脚がしなやかに上がると、スカートとサイハイソックスの間から覗く白い素肌。
踵落とし――だと?
いや、違う。これは――。
白い素肌の先にあるもの――、
「黒スケ――だと?」
脳天直撃。次の瞬間、大の字で天井を見ていた。なんかこう達成感はあった。蛍光灯の一つが切れているのを確認。
「何だって?」「虎が今、黒って言った!」「黒スケだって?」「スケスケ……スゲー」周りでは黙々と仕事していた男たちが手を止め、こちらを見ていた。
「ちょっ! 違う! 私は……」
これは珍しい光景だ。彼女がもじもじする姿はレアだ。
なぜ、こんな時にカメラを持っていないんだ。脳天が痛い。
「人前でなに言ってるの! もう! このカス!」
鈍い音とともに、革靴の底がナーバスな顔面とドッキングした瞬間だった。
脳内スライドショーは続く。
虎康と中条小絵は場所を変え、廊下に出ていた。
「ふう、虎。お前といると疲れる」
「それはすまなかったな……それで? 小絵はどう関わってるわけ?」
セミロングの黒く艶やかな髪が、風も無く揺れ動く。
小絵は、眼の前に垂れた前髪を人差し指で、くるくると巻きながら、
「全面的にお前をサポートするのが役目で一応、チームのリーダーも務める。虎康、恵介、私の三人で一つのチームだ」
「ふうん、小絵と恵介がサポートするといっても、どうやって、違う時代にいる人間のサポートをするんだ? だいたい、昔の言葉遣いって違うだろうよ。"麿は"とか"おじゃる"とか言っちゃうわけ? それこそ、外国なんてもっての他だ」
「その辺は心配するな。詳しい事は明日、現場で説明していくつもりだ。お前はとにかく、限られた時間で撮影する事に集中すればいい。話は以上だ。もういいぞ」
「え? もういいの?」
「そう言った」
「わかった。じゃあな、また明日」
虎康は体を翻し、ゆっくりと足を前に出した。
「……」
「……なあ、小絵」
「……何だ? クズ」
「年末……だな」
「それがどうした?」
「……良いお年を」
「……」
もう一歩、足を踏み出した。
「……ああ、お前もな。虎」
今の小絵の声を聞いて少しだけ嬉しかった。
彼女は一瞬だけ、クスっと笑った――そんな気がしたからだ。
最後に頭の中に映し出されたのは、少し暗い部屋の中だった。どこか懐かしい。
(そうだ。思い出した。俺は仕事に生きる男だ。いやそれだけではない。写真は俺のステイタスでもあり、俺自身といってもいい)
だから年末、年始というものは関係ない、ついでにクリスマスも関係ない。
(世間はキャッキャうふふイベント目白押しで、ピンク一色だろうが、俺は常にブルーだ)
そんな事を考えながらも時間が無いので、このまま、オフィスに残って出張の準備に取り掛かった。
五分後。
写真やノートが散乱したデスクの上で虎康はディスプレイと格闘していた。
マウスを軽く手にする。そして――、
そいつをディスプレイに向かって投げつけた。
「何だ! ゴルァ! 動かねえじゃねぇか? いいか、よく聞けよ俺はな。明日、出張という名の未知の旅に出なきゃいけねェんだよ! わかってんのか!」