高校生・恋愛・短編・オリジナル
伴侶を得ることで経済的な余裕ができたというのもあるが、学校へ通えなくなった娘とできる限り一緒にいたいという考えと、両親の離婚というのを経験させてしまった負い目もあった。
「だから、自然と親と過ごすこと長くなる」
「へー、男子より女子は親をうざがならいのかな」
不思議そうに言う。
「東谷くんは親が鬱陶しいと思うことは?」
「別に。うざがると機嫌悪くなって仕事行かない!とか言いだすから」
「え、二人とも?」
「いや。うち、親一人だから。母親の」
そう言って自分の頭の中を探るみたいに眉をひそめた。
「私生児だっけ。何か、親父が父親になれなかったっぽい」
クラスの友達が言う昨日テレビのことでも言うように自分のことを話した。
母親は機嫌が良い日はもう会わないであろう父親のことを褒めること。
その話が惚気話にしか聞こえないのでうんざりすること。
父親はとある事情で今の母と結婚することができなかったこと。
東谷はそのきっとそいつが既婚者だからだと思っていること。
でも母親が子供だけでもと思い授かったのが東谷であること。
そして、自分の存在自体父親は知らないということ。
「だから、ちょっと前まで中瀬と同じだったんだな」
そういってまだ慣れない様子の紅茶のカップを置いた。
母が席を外し、食器を洗い終える前に終わってしまうほどの時間で語った身の上話だった。
帰り際、母親が、またチョコレートケーキを焼いたら食べに来てほしいと言うと、
「ありがとうございます」
と言ってばつの悪そうな顔をした。
冬休み中に一度、東谷は家にやってきた。
中瀬の母は東谷の事が気に入り、さらに先日聞いた身の上話をしたらとても興味を持ったらしかった。
「たまに『仙波じゆう塾』ってのに行くんで。そこは大学生や大人も多いから、それあるかも」
母が東谷の大人とでも物怖じしない様子を不思議に聞くと、そう答えた。
学校に行かない子供や、経済的に塾に行けない子が通っていると東谷は言った。
片親なのを気に掛ける近所の人がいて、その人の同情のこもった態度が意味不明だったが、話に出た塾はおもしろそうだったので行ってみたのがきっかけ、だそうだ。
中瀬自身、学校に行かなくなっても家で勉強はしていたが、成績のことは心配だった。
母もそれとなく気にしていたらしく、興味があると言ったら喜んで応じた。
電話で東谷に頼んでみると二つ返事で承諾した。
東谷に連れられてやってきたビルの2階に『仙波じゆう塾』はあった。
カーペットの上で壁にもたれて携帯をいじる子。
学校の給湯室のような机で本を読んでる子。
一角の和室にねっ転がって問題を解く子。
それぞれが思い思いの格好をしていた。
勉強する場と聞いていたが、図書館の学習室のような殺伐としてぴりぴりした雰囲気はなかった。
年末には集会所を借りて、もちをついたりするよ、と東谷は言った。
そんな、解放された場所にしばらく通った。
3年生になると少しずつ中学にも通うようになった。
以前のような気怠さも抜け、顔にふくよかさも戻った。
成績も持ち直し、中学校入学当初から描いていた普通科高校に進学した。
もう以前のようなプレッシャーはなくなり、休み時間は親しい友達とだけ過ごすようになった。
特に中学からの友達、橋川由奈とは多く時間をと秘密を共有した。
そのひとつに倉沢直斗のことがあった。
中学の頃から倉沢と付き合っていると中瀬は本人から聞いていた。
そのことを橋川が教えたのは口の堅い中瀬だけであり、当然、その愚痴を聞くのも彼女だけだった。
橋川は最近友達付き合いが多くなった倉沢がおもしろくないようだった。
「倉沢くんって、前に出るタイプじゃなかったのに、変わったから」
そしてそのことを同じく知る東谷と話した。
夏休みになり、中学時代通っていた塾に顔を出した帰り道だった。
左右に並んではいるが東谷が一歩分前を歩いている。
「高校デビューってやつだと思う」
「そうか?変わった…そうか?倉沢が変わったって言うよりは、周りのやつの態度が変わったって気はするけど」
「周りの人の、態度」
アスファルトを見つめて歩いていた中瀬は東谷の背に視線を移した。
「あいつは元々気がきくし、いいやつだよ。目立ちたがり屋や、前に出るのか好きなやつがいたから、そいつらを思ってあえてやらなかっただけだろ」
人の目が怖くてできなかったってチキンな一面もあるだろうけど、と褒めた分を差し引くように悪く付け足す。
「実際、そうしはじめたらちゃらしてるなんて言われ始めたみたいだしな」
倉沢の事を言っていたのに、ここだけ噂話を語るような口ぶりだった。
まるで、そう思っていないという風に。
そう訊くと、
「あー、前より明るくなったとは思うけど。かといってそんな変わったようには思えねえんだよ。その証拠にあいつはまだ橋川一筋だろ?あれで結構、誘惑多いみたいだぜえ」
あくまで、変わったのは周りの態度だ、と言う。
離れた机。纏わりつく鉛。待ち焦がれた金曜日。逃避した月曜日。
中学時代がフラッシュバックする。
「嫌われたり、クラスで浮いちゃわないかとかいう心配はなかったのかな」
家族以外、味方がいなくなっちゃうって心配は。
「はァ?嫌われてもどうせすぐに卒業だろ、気にしてらんねーよ」
「東谷くんはそうだろうけど、」
他の人も東谷くんみたいに強くないと思うよ。私みたいに。
視線を再び落とす。
中瀬の腑に落ちない様子が気にかかったのか、中瀬の顔色を窺うと前言を言い直すように言う。
「あー、まあ仮に中瀬のいう高校デビューに失敗してハブにされた、としても」
引き寄せられるように顔を上げ、東谷の口元を見ようとした。
「あいつがクラスで浮こうが沈もうが、構うやつが最低三人はいるんだろし」
歩調は変わらず、口調も変わらない。
「あ、二人か?まあいいや」
東谷は思い出すように上を向く。
そのあとには何も続かなかった。
駅が近づき、僅かだが周りに人がいなくなったとき東谷は足を止めた。
「中瀬には、」
そう言いかけ、口を空けたまま沈黙した。
だが言いたかったことを飲み込むように口を閉じ、
「中瀬にもいるだろ、そういう人」
そう言って珍しく、へたな笑顔を作った。
心の変化は現実を挟み、伴い、相乗的に大きくなった。
並べたドミノ牌が少しずつ大きくなり、最後は見違えるようになった中瀬に辿りつく。
彼女は化粧に挑戦した。
ただ、同級生のようにすべてを作り変えるような化粧はいやだった。
塾で得意だという大学生に助けてもらい、眉や目元などを中心にナチュラルに仕上がるように教えてもらった。
顔の表面だけの変化は、それ以上に自分の内面に大きな影響を与えた。
怖かったコンタクトにも挑戦した。
同じ視力補正の道具を通して見たとは思えないほど、世間は違って見えた。
橋川には美容院を紹介してもらい、服を一緒に買いにいった。
着ている上から重ねられる服は、どれも今時風で恥ずかしかった。
しかし、プロの店員と親友のふたりに勧められると断れなかった。
彼女自身、新しい服に身を包んだ時の気分の変化に驚きながらも呆れてしまった。
単純なことに、明るい色の服を着ると気分も明るくなったのだ。
作品名:高校生・恋愛・短編・オリジナル 作家名:小橋由