高校生・恋愛・短編・オリジナル
「あと、そのしゃべりかたも気をつけた方がいいね」
塾で小さい子の世話を一緒にしているとき、橋川は言った。
「あんたの喋り方って、なんか怖い。たまにノーリアクションだし。私とかはいいけど、他の人は怖がるよ、機械じゃないんだし」
そんな忠告を受け、話し方も気をつけるようになった。
ただ、誰かの言われたように、小学校の頃のように過敏にならないようにした。
そんな彼女を、
「やっぱり有里は磨けば光るコだったんだね」
両眼を潤ませて橋川は言った。
ウエディングドレスに身を包んだ娘を見る父親みたいだった。
東谷は塾に来ることは減ったが、たまに会うと近況情報を交換し合った。
ただ、東谷は誰もが驚く変わりようにも何の興味も示さなかった。
服も変え、髪型を違え、入念に鏡に向かっても、東谷は特に触れなかった。
良い出会いがあると予言されていた日を寝過ごしてしまったような、言い表しにくい気持ちだった。
一番明解な言葉で言うと残念な気持ちだった。ここまで言い表しにくい感情ははじめてだった。
2学期となり、中瀬を取り巻く環境は変わった。
中瀬自身はそれほど変わっていない。
自分の好きなように身だしなみ整えた。
橋川に言われた通り話し方に温かさを込めた。
相手のことを思って言葉を返すようにした。
他の人が当然のようにやっていることを当然のようにできるようになった。
以前のように怯えることなく、やれるようになった。
自らが変わったという実感はなかった。
ただ、以前より毎日が明るくなったとは感じた。
萎縮しなくても、気どらなくてもいい。
そう誰かから教わったような気がした。
2学期になっても、東谷とはいつも通り挨拶をし、今まで通りクラスで距離を置き、普段通りに過ごした。
だが、その距離に隔たりを感じだ。
愛想笑いが増えた。よく姿を見失った。話す時は意図的に第三者を挟むようになった。
冬から夏にかけて昼間の時間が延びるように、少しずつ東谷との距離が開いていくように感じた。
明確な寂寥と確実な欠落感だった。
夜が明け朝日を迎えたら自分の影がなくなっていたのに気付いたような気持だった。
そのことを橋川に相談したのは商店街が赤や緑のクリスマスの飾りつけを始めた十一月の末だった。
どういうわけが生き生きしはじめ、話に乗ってきた。
そんな一番身近にいた橋川も、東谷が彼女から距離を置いているとは感じていないようだった。
それほどさりげなく、東谷の態度は変わっていた。
眼の色を変えた橋川は、東谷が距離をおくようになった理由をいくつかあげた。
きっと押してダメなら引いて作戦を取っている。
勝手に諦めている。
中瀬が人気者になっておもしろくない。
など、どれも東谷が中瀬に好意を寄せているとう前提の理由だったためだろう。
彼女は納得しなかった。
今まで、東谷の接する態度が自分と他人とで違ったことなど一度もないと、いぶかしげにする親友に懇切丁寧に教えた。
今度は橋川が納得しなかった。
直接尋ねてみるのが起死回生の案と言わんばかりに橋川は提案した。
なぜ、手紙で呼び出す必要があるのかと反論すると、
東谷もこのクリスマスムードにあてられ、さすがに人恋しくなるはずだから、あわよければ付き合ってしまえ、ベタな方が男はくいつくはずだ、と無責任なうえに無根拠なことを力説した。
もちろん好奇心もあっただろうが、そんな賭けに出ても大丈夫だろうと踏んでのことだった。
その時は断ったのだが、結局、橋川は手紙を渡してしまった。
しかし、東谷は来なかった。
高校からの帰り道、彼女は深く安堵した。
距離を置かれた理由を知るのは、やはり怖かった。
優柔不断な自分を相手にする、さばさばした性格の東谷のことを思うと、思い当たる理由はいくらでもあったからだ。
その湯船にでも浸かった様に安心した顔を見て、本人以上に乗り気だった彼女も、今回は諦めざるを得ないと悟った。
仕方ないので、初詣にでも倉沢と誘い合わせてみようと、橋川は来年に希望を託した。
終業式を終えたイブの日の夕方、中瀬は橋川たちと塾でのクリスマス会用のケーキを作った。
終業式のケーキのケーキ作りということで、中瀬は東谷がプリントを届けに来た日を思い出した。
あの頃とは随分変わった。
良くも悪くも。
そんなことを思いながらケーキを切り分けた。
「チョコが嫌いな人って生きる楽しみが半減しそう」
会を終えた後、指についたチョコレートクリームを舐めながら言った。
片づけのため、ケーキの皿を洗っていたときだった。
「東谷の不機嫌そうな顔の原因はそのせいに違いない。きっと糖分が足りてないんだ」
ひとりごとのように言った。
東谷はチョコレートが苦手なのかと橋川に尋ねると、直から聞いた話だけど、と隣で手を洗いながら言う。
「中学のバレンタインのとき、小さいけどチョコレートケーキもらったんだってさ。しかも手作り。その時に告られたんだけど、『おれがチョコ苦手なの知っててやってる?』つって泣かしちゃって。まあ、ケーキは直と私がおいしく頂いたけど」
手を洗い終えるとケーキの皿を持ち、ついた泡に流水をあてた。
脳というのは中枢神経の主要部で、ほとんどの意識活動のを指示している。
が、その中はからっぽになった。
理由は訊かず、今までみたいに接してくれるように頼もう。
まったく、何も考えられなくなったあとに浮かんだのはひとつの衝動的な行動を促す命令だった。
手を止めてしまったのを不審に思って顔を覗き込んでいた橋川に、頭がまっさらな状態な今ならともかく、一人になった時に逃げ出さないように一緒にいてくれと頼んだ。
橋川は普段と打って変わって、何も聞かずに承諾した。
距離を置いた理由を知りたくはなかった。
思い当たる節はいくらでもあった。
だから。
イブの日、距離を置いた理由を尋ねるつもりはなかった。
理由を知るのは怖かった。
しかし、いざその場になると、話の流れ上、訊かないわけにはいかない。
いきなり、前みたいに接してくださいと頼むわけにもいかない。
そして、彼は嫌そうに教えた。
自分で自分の嫌いなところも長所として捉えてくれていた東谷に感謝した。
が、申し訳なさもあった。
元々気を回す必要のないほど身近な人の優しさに甘えていたこと。
元々自分が悪いこと。
これで、以前のように接してくれなど、都合がよすぎる。
「ひとつ区切りのためにも、訊きたいことがある」
だが、そう言って東谷は開いた距離を、自ら距離を縮めてくれた。
ただ、泣いた。
泣いている自分に動揺した。
そのとき何を言っていたかは覚えていない。
作品名:高校生・恋愛・短編・オリジナル 作家名:小橋由